最近のこと、いろいろ

もう1月も後半に入りましたが、皆さま、あけましておめでとうございます。

 

冬至を過ぎて、少しずつ日も長くなり、お日さまの位置も、少しずつ高くなっています。

暗くて何もしたくない、という状態から、一日に何か一つくらいはやろう、という気分になってきました。

めでたい。(笑)

 

ということで、ブログ更新。

 

年末・年始は仕事でした。

多くの人が休んでいるときは忙しい、逆に、多くの人が忙しくしているときはヒマ、という仕事をしている私です。

同じ仕事をしている者たちで、年が明けたら集まって新年会を、というアイディアが出て、幹事をやって、と頼まれました。

私ってイニシアティヴをとる能力が全くなく、結局、ほかに二人いた幹事さんに全部お任せ状態でありましたが…。

みんなで集まって宴会、なんて、思えば大学時代のコンパ以来でありました。

メンバーは皆フリーランスで仕事をしているんで、こうやって集まるのは初めてでありました。

 

王立美術館に、アントーン・ヴァン・ダイクによる、フランソワ・デュケノワの肖像画があります。

 

 

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フランソワ・デュケノワ

 

この肖像画の人は、有名なブリュッセルの小便小僧

(日本の観光ガイドブックでは、世界3大がっかり、なんて言われているようですが、ブリュッセルではものすごく大切にされているブロンズです。)

を作ったジェローム・デュケノワの二人の息子のうちのお兄さん。

ずっと以前に、もうすでに引退されている仕事の先輩から甥っ子だと教えられ、調べもせずに信じ込んでいて、今まで息子とは知らないでいました。お恥ずかしい。

宴会で仲間から指摘され、およよ、という感じで調べてみると、とても興味深いことがいろいろ出てきました。

フランソワも、弟のジェローム・デュケノワ2世も、父親同様に彫刻家です。

兄はイタリアで活躍、イタリアで亡くなっています。

バチカンの聖アンデレ像なども制作しているので、かなり認められた人だったのでしょう。

25歳でスポンサーに死なれ、自分で生活の糧を稼がないといけなかったそうですが、上述のような大作より、小さな作品を多く作ったそうで、それもお金を稼ぐ必要があったからなのかな?

弟は、ゲントの聖バーフ大聖堂にある、とても見事なトリースト司教の墓なども作ってます。

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Wikiを読むと、この墓の制作中に、8歳と11歳の男の子への性行為によって有罪判決を受け、完成後死刑になってます。

遺体は燃やされたそうです。

しかも、フランソワの死は、兄の才能に嫉妬した彼が毒殺したという疑いもあるとか。

いやはや、調べてみると、いろんなドラマがあり、興味は尽きません。

 

 

先月は何回か聴講を申し込みながらも、当日になってめんどくさくなり、さぼって行かなかった王立アカデミーの講義ですが、今年に入って2回、シンポジウムを聴きに行きました。

何回か触れていますが、王立アカデミーの公開講義は、申し込みさえすれば、誰でも無料で聴講できます。

 

1回目のシンポジウムは、17世紀、スペイン領ネーデルランド(現在のベルギー)とフランスの間のアートにおける交流について、というテーマで、王立美術館で行われました。

スペインとフランスの間は継承戦争の真っ最中、そんな中でも、アートに関してはいろんな行き来があったわけで、そういうお話。

当時はネーデルランドの絵画がパリではとても売れていたそうで、アントワープの画商たちが盛んに活動していたらしい。

でもこういう現実は、書かれたものの中では、ローマの流れをくむ正当なものではないということで、けっこう無視されてきたとのこと。

 

ルーベンスや前述の小便小僧ファミリィの時代は30年戦争の真っ最中。

当時大人気だったルーベンスは、よその国の宮廷に出入りすることができるという理由で、スパイのような活動もしたらしい。

たいへんな時代だったはずなのに、作品を見る限り、感じるのは当時の豊かさばかり。

そのあたりも、ちゃんと勉強したら、きっとものすごくおもしろいことだろうなあ…。

 

二つ目のシンポジウムは、EUにおける移民問題についてでした。

会場はいつも通りブリュッセルのアカデミー宮でしたが、このときはオランダ語圏のアカデミーと合同のもので、会場では仏・蘭語の同時通訳がつき、聴講に来た人全員に、翻訳を聞くためのヘッドセットが用意されていました。

ちなみにランチも用意されていました。

コーヒーやジュース、スープ、いろんな種類のサンドイッチにデザートまで。

いやしんぼの私はめちゃ嬉しかったです。(笑)

 

王立アカデミーとして、まず最初に、反ポピュリズム・反ナショナリズムを謳うことでスタート。
移民の人たちの、国家に与える経済的影響なども、ちゃんと数値で示していました。
各国の人口推移をグラフで見ると、それぞれの国が全く違う様相を見せているのも興味深かったです。
 
正直に言うと、話を全部集中して聞いているわけでなく、時々ふーっと他のことに脳みそがそれると、言葉のハンディもあって、ちゃんとわかってないのであります。
それでもいくつか心に残る言葉がありました。
 
移民問題イデオロギーの問題にすりかえることなく、きちんと現実をみつめないといけない。現実問題としてとても複雑な要因があるから、それを単純化してはいけない。
2015年、シリアの難民問題が起こった時、もっときちんと対処しておけば、今ずいぶん異なる状況であっただろうが、これからでも遅くない。難民に対するホスピタリティというのは、難民の人の権利である。難民問題は外からやってくる問題ではなく、ホスト国の問題でもある。などなど。
 
特に印象に残ったのが、家族ごと迎えることの重要性。
家族全員を受け入れる方が、社会によりなじみやすい、と。
それと、どんなに凶悪なテロリストであったとしても、人としての権利が保護される、と。
そして、移民としてやってくる人の能力を、最大限発揮させてあげることが大切だ、と…。
 
 
17世紀アートに関するシンポのランチタイム、美術館のレストランでたまたま隣に座ったご婦人もやはりシンポを聴きに来ていて、いろんな話をしたんですが、彼女は「すべての分裂を生むのが宗教だ」と、宗教に批判的。
私は宗教自体が悪だとは全然思わず、その宗教を道具として分裂を起こさせることが悪だと思うので、そう言ったんですが、全く聞き入れてもらえなかった…。
 
その数日後に、ボタニックで今行われている、エルネスト・ピニョン・エルネストの展覧会を観に行きました。

www.botanique.be

一昨年ニースでも観ましたが、今度はブリュッセルでやってるんで、喜んで行ってきた次第。

ストリートアートの人なので、ほんとは展覧会で観るってのは、ちょっと違ってるかもしれないんだけど。

そして、しみじみ、宗教的だなあ、と感じたのです。

このアーティストは、分裂を生んでいる現在の状況に抗議している人だから、やはり、決して宗教自体が、社会の分裂を生んでいるのではない、と、強く思ってしまった。

 

 

忘れないよう、今年に入ってからのことを記しておこうと書き始めたけど、ずいぶん長くなってしまった。

 

 

そこで、若者たちの記事をふたつ書き留めておしまいにします。

 

その①

1月10日木曜日、オランダ語圏の高校生が、気候問題に対するデモをブリュッセルで行いました。

平日なんで、授業はさぼって、です。

毎週木曜日に行うということでしたが、翌週、つまり今週の木曜日には、フランス語圏の高校生も集まり、さらに大規模なものとなりました。

www.rtbf.be

授業さぼって大丈夫?とのインタビューに、将来のために学校で授業を受けなさいと言われるけど、それならまず未来を壊さないで、との回答。

もっともです。

参加した高校生は、皆一人一人ちゃんと校長先生と話したうえでやってきてるとのことでした。

 

 

その②

 うちの長女くん、もう3年か4年前から、友人と二人で、女性の生理についてフィルムを取っていて、ドキュメンタリー映画を作るつもりだったみたいなんだけど、結局ブログという形で公開することに決め、去年の夏にスタートさせました。

その時点でFBではリンク貼ったりもしたんだけど、このブログでもリンク貼っておこうかな、と思ったので。

coolmenstruation.wordpress.com

ちょうど時を同じくして、日本でも同じテーマで映画が公開されたりもしているようで、同時進行であちこちで、というのが面白いことだと感じました。

ちなみに長女くん、去年の6月、軍の救急車だったというでっかい車をキャンピングカーに改造、ボーイフレンドと旅に出ました。

東欧をまわった後イタリアへ、年末からギリシャにいるようです。

私もいろんなことしてきましたが、もうこの年になると、まず快適さを求めてしまい、とてもそんな旅行をする気にはなりません。

だから、若いうちに何でも経験してね。

 

 
 

はたしてどうなる?

前回の日記に記したとおり、連立政権が崩壊したベルギー。

首相は中道右派のMRという政党

(前回も中道右派と書いたけど、右派ってのが正しいか、自信ない。リベラルな政党、フランス語でリベラルと言うと、英語のリベラルと違って、経済リベラルって感じかな?左翼じゃない。同性婚とか、そういうのにいっさい抵抗を表明しない政党です。ってか、首相を見る限り、そういうのは賛成だと思う。← 賛成ってのもヘンなくらい、同性婚などはベルギーでは当たり前化しているんだけど。)

なんだけど、N-VAが連立政権を降りたので、この政党だけではマイノリティというわけで、単独でやっていいのか、という問題が起こったわけです。

 

一昨日の議会、19時30分のニュースでライブで国会中継していて、おもしろかったのでずっと見ていました。

 

結局首相はその場で辞任を表明、その足で王様のところにその旨伝えに行きました。

ベルギーでは、政府が混乱するとき、王様のところに行って報告する、というのは、皆が落ち着くための時間稼ぎとして、これまでもお決まりの行動らしい。

 

連邦議会の建物とブリュッセル公園を挟んで真向かいにある王宮は、王様が執務を行うところ。

ニュースでは、そこに向かっているようなことを言ったので、ええええっ、王様ったらこんな時間にもお仕事?と驚いたら、それはやっぱり間違いで、住まいであるブリュッセル首都圏の北にあるラーケン宮でした。

そりゃそうでしょ、そういうことになるとはじめからわかってたならともかく、20時ごろとなると王様もご自宅よね。(笑)

 

その辞任を王様が受け入れれば、辞任が決まり。

決まっても決まらなくても、これからどうなるか、全く不明。

 

今のところ、王様の方では保留ということで、昨日から、各政党のトップがひとりずつ、王宮に赴いて、王様と話し合いをしています。

 

来年の5月26日は選挙、あと半年だから、それより前に選挙をやるってのは、だれも望んでないと思うのだが…。

 

マラケシュでの国連の難民問題に関する協定(協定だの指令だの、適当にいろいろ訳してますが、本当は日本語ではどういう表現にしないといけないのか、私はよくわからないので、このへんまちがってたらごめんなさい。)については、議会では過半数が賛成だったので、いくらN-VAが脅かしても、そんな脅しには負けられないところ。

そこまでは当然なんだけどね。

 

極右に近いN-VAと組むのが悪い、と、10月の地方選で大躍進した極左政党のPTB(トロツキストだったと思う)とエコロ(緑の党)は、とても強気で攻撃していました。

 

選挙が早まらないととすると、今のどの政党がどの政党とどう組むか、ですよね。

 

たとえば、今日の19時30分のニュースでは、CDH(キリスト教民主党)の党首がゲストで、PTBとは絶対組まないと言ってました。

彼らは反レイシズムを謳ってるので、当然極右とも組まない。

 

ベルギーでは前々回の選挙後、なかなか合意に至らず、1年半も内閣が組めなかったこともあるぐらいだし、このドタバタが5月の選挙まで続くってこともあるかも…。

ニュースでは、このままの混乱が続けば、予算関係で大きな問題が出るようなことを言ってましたが...。

 

 

さて、もう2019年まであと10日ほどですね。

もしかしたら、この日記が今年最後になるかもしれません。

 

どうぞ皆さん、よい年末年始をお迎えください。

 

 追記・30分くらい前のニュースによると、王様がシャルルミシェルの辞任を受け入れたとのこと。(ベルギー時間12月21日13時)

考えないといけないことがいっぱいありすぎる

日が短くて、暗い。

ここ数日ほとんどお日さまも照らないんで、よけい暗い。

暗いと何もしたくない。ほんとになーんにもしたくない。

 

それなのに、考えないといけないことや、注視しておかないといけないことがいっぱいありすぎて、困ってしまう。

このブログに、そういうことを忘れないように記しておこうと、しばらく前から思っているんだけど、暗いもんだからその力もわいてこない。

記そうと思うと、人さまが読むこともあるのだから、いいかげんなことは書いてはいけないし、ちゃんと記す前にいろいろと調べて確認もしておかなければ…、なんて考えるので、よけい力が湧いてこない。

 

ベルギーでは、今ちょいと騒ぎになっていることや議論になっていることがいくつかあるんで、そのことを記しておこうと思っているんだけどね…。

そういうわけで、あまり確認もしないまま書くんで、事実関係に間違いがあるかもしれません。

 

日本でも話題になっているイエローヴェストのマニフ。

フランス同様ベルギーでも行われていて、先週の土曜日にも行われ、そして今日も行われました。

先週は破壊行為に及んだ人たちがいたんで、今日はより多くのコントロールが行われたようです。

 

その翌日の日曜日には、地球温暖化に関するマニフが行われ、これはホントに大規模で、ベルギー中から75000人の人がブリュッセルに集まりました。

このときは、国鉄も運賃を安くし、ブリュッセル市内のメトロ・トラム・バスも無料になったので、より人々が集まりやすくなったことも関係しているでしょう。

 

実はその前に、ブラックフライディっていうんで、買い物する人のために国鉄が運賃を安くするというサービスをしたらしい(私はこんなことしてたの知らなかったけど)、そこに環境問題が深刻なテーマになっているこの時代に、こんなことだけに安くするなんてなによ、という批判が起き、それでマニフのためにも安くした、ということらしい。

ブラックフライディなんて、以前は話題にもなってなかったのに、たしかに、何よそれ…、という気がするよね。

 

で、これだけたくさんの人が、しかも非常に平和的に意思表示をしたのに、ベルギーはCOP24の環境問題に関する指令について反対と答えちゃった。

 

これだけの数の市民が意志表明したというのに、政府の態度は何よ、と多くの人が失望し怒っているわけです。

 

ちなみに、イエローヴェストに対して、環境問題でマニフしている人たちは、グリーンヴェストなんて呼ばれてます。

 

そして、あなたはどっち?といった質問に、どちらでもある、という人たちもいっぱいいます。

 

それと、国連による難民に関する協定に関する問題。

この協定に賛成するなんて許さない、と、連立政権のうちの極右に近い片っぽが脅しをかけてきたのです。

もう片っぽの中道右派政党に属する首相が、その協定のためにマラケシュに行こうもののなら、自分たちは連立政権を降りる、とまで脅されてます。

そういうわけで、政府が崩壊するかも、という状況にあるベルギーです。

極右に近いN-VAという政党、その背後には極右のヴラームス・ブラングがいて、実は今、ブラームス・ブラングを支持すると言って、米国のバノンとフランスのル=ペンまでアントワープに来てる状態。気持ち悪すぎる。

 

(ちなみに今この記事を書いている最中、この件に関して、首相の記者会見がライブで中継されているところ)

 

↑ というわけで、今首相の記者会見での発表を聞く限り、

「すでに7月にベルギー国として協定を支持することを表明し、また今回のN-VAの«待った»の後、国会でも協定を支持することが絶対多数によって支持された。私はマラケシュに行く。N-VAは従って政府から退くことになる。」

とのことであります。

 

よく耐えたね、ミシェル首相。

でも、これに堪えられなかったら、この政党に次はないもんね。

堪えるしかあるまい。

 

この件に関しての議会での議論もライブで中継してましたが、そのとき、この協定を批准しないなんて、伝統的ベルギーの国の在り方に反する、と言ってる議員がいて、ちょっと感動しました。

 

さて、上述したような問題と少し異なる、過去を問う問題も。

 

2013年から改修工事に入っていたアフリカ博物館が、またオープンします。

今日が落成式で、明日から一般公開。

Home | Royal Museum for Central Africa - Tervuren - Belgium

 

 これを機会に、ベルギーの植民地政策を振り返る動きがあるのです。

所蔵品を返すべきか、といったことも含めて。

以前は、コンゴの人たちの視点など一切抜きの、偏見に満ちた展示だったのだけど、新しくなった今は、反省の下に大きく変えられたそうです。

 

追記:加えて、これまで全くなかった「女性の視点」もスタッフに女性が加わることでなされた、とのことです。

 

ニュースやドキュメンタリー番組などで、植民地支配していた時の状況が取り上げられています。

 

そういえばずっと前に、MIXIの日記に、レオポルド2世に関して記したことがあったなあ、と思い出し、探してきたので貼り付けます。

中に貼り付けている3つのリンクのうち、今でも読めるのはひとつだけですが。

 

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2005年11月の日記

 

LE ROI BLANC, LE CAOUTCHOUC ROUGE, LA MORT NOIRE

わたしは見ていないんだけど、2日か3日前の夜、arteで放送されたドキュメンタリーのタイトルです。

http://www.arte-tv.com/fr/semaine/244,broadcastingNum=500395,day=7,week=45,year=2005.html

クマが見て、たいへんなショックを受けて、いっぱい話してきかしてくれたのですが、わたしも全然知らなくてショック・・・、ちょっと衝撃的ですが、みなさんにもお話します。

ベルギーの独立は1831年、国としては非常に若いのですが、2代目の王様レオポルド2世の頃が、一番豊かでした。
なぜ豊かだったかというと、ベルギー領コンゴと呼ばれた植民地を持っていたからです。
このコンゴ、実は最初、レオポルド2世個人の持ち物でした。
それを後にベルギーの国のものとしたのですが、ここまでは、一応わたしも知っていたのです。

驚くのはこの王様の支配の仕方。

ある人は、ヒットラースターリンポルポトと並ぶ虐殺者として並べているほどです。

この番組のタイトルは、白い王=レオポルド2世、赤いゴム=生産されアントワープ港に下ろされるゴムは黒人奴隷たちの血で赤かった、黒い死=虐殺された黒人たち、を、それぞれ指しています。

レオポルド2世、反ヒューマニティの罪で、つい最近、裁判にかけられるところを、資料等すべてブリュッセルのラーケンにある王宮で、証拠隠滅のために焼却してしまったらしい。

日本語で検索したら、

http://d.hatena.ne.jp/Gomadintime/searchdiary?word=%a5%e2%a5%ec%a5%eb

こういう日記を発見。
前述のドキュメンタリーの内容と大きく重なっているので、ご覧ください。

ベルギー領コンゴ、「切りおとされた手の国」と呼ばれていたらしいです。
ゴムの生産量が少ないと、奴隷たちは1回ごとに指を1本ずつ切られ、しまいには手を切り落とされてしまい、それでもゴムの木に登って働かなければならなかったらしい。

リベラシオンの記事「切りおとされた手の国」です。

http://home.tiscali.be/be074683/coupees.htm

絶句・・・。

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 ↑ こういうことも含めて、今また皆が過去を振り返っているところです。

 

レオポルド2世のことを書いた日記を探していて、こんなのも見つけちゃった。

 コンゴの話にも通じているし、貼り付けておこう。

 

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 2006年4月、ポルトガルやスペインを家族で旅行したときの日記

 

メデリンの町の丘の上には、14世紀に建てられ15世紀末に修復された教会があって、エルナン・コルテスがそこで洗礼を受けたのだそうですね。
こういう小さな町の地理的構造は、それこそ500年経とうと、ほとんど変わっていないでしょうから、丘の上から町を見下ろしつつ、ああ、コルテスも、こうやって町を眺めたことがあったのだろうと、なんとも言えない気持ちになりました。

そうやってぼうっとしていると、おじいさんがひとり近づいてきて、話しかけられました。
クマが相手をしていましたが、私たちがメキシコにいたこと、長女がメキシコ生まれであることを知るととても喜び、
「コルテスのおかげで、あの連中も、怪物を祭ったりいけにえをしたりするような、恐ろしい信仰から開放されたのだからねえ」
と、誇らしげに語ったりしていました。
それを聞いていた子供たちが、この時代に、まだそのような発想でものを捉える人たちがいるのかと、メデリンを去りながら、たいへんショックな様子でした。

 

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力が湧かないわりにはがんばったぜ。(笑)

 

 

 

第一次大戦終戦記念日

はてなダイアリーから、はてなブログにお引っ越ししました。

めんどくさいなあ、と思いつつも、記事も少ないし案外簡単に終了。

よかった。

タイトルは、ダイアリーの頃のはやたら長くて入力するのがめんどくさい、という怠慢オバサン的理由ゆえに、たんなる「備忘録」ということに。

 

もう数か月前から、PCが「ディスクEの残りスペースが少ない」という警告を発するようになり、いろいろやってみたけど解消の方法なく、なんじゃらほい、これは…と思っていました。

先月やってきた友人に話すと、これってWindows10のアップデートの際のバグだと教えてくれました。

彼女が日本語で解消法を探してくれたけど、こういうことはいつもフランス語でやるんで、日本語だとイマイチわからず…。

次女がうちに来た時その話をしたら、仏語で解消方法を示すサイトを探してくれました。

そしたら意外に簡単。

それでこれも昨日解決。

 

というわけで、お引っ越しもバグ解消も終え、なんだかめでたくて、日記でも書こうか、という気分になった次第。

 

さて、明日は第一次大戦終戦記念日です。

日本では第一次大戦は遠い昔の出来事でしょうが、ヨーロッパではそんなことはなく、毎年大きく取り上げられます。

今年も、ニュースで、あるいはTVのドキュメンタリーで、ここんとこ盛んに話題として取り上げられています。

終戦後100年ということで、今年はいろんなところでいろんな展覧会も行われてきました。

昨日は、大戦で亡くなった兵士の遺骨から、現在のテクノロジーを使えば、生前の体格もわかるし、顔まで再生できるということをニュースでやってました。

そうやって、戦死した兵士のひとりのお孫さんが、一度も会ったことのないお祖父さんの顔を見せてもらって、嗚咽している様子が映されていました。

 

オフィシャルに終戦宣言がなされたのが、1918年11月11日11時。

(ちなみに、11・11・11という、ベルギーの仏語・ドイツ語圏のONGがあります。世界のいろんな問題を取り上げ、よい世界を作ろうという活動を行う、le Centre national de coopération au développement=CNCDという組織の名称なんですが、この名前はこの終戦宣言の日時から来てます。これ↓)

www.cncd.be

今朝の新聞に、11時にあと2分というところで亡くなったカナダ人兵士の記事も載っていました。

https://www.cncd.be/spip.php?page=sommaire

まだ26歳。亡くなった彼のポケットに入っていた、血に染まったカエデの形をしたワッペンがちゃんと残されていて、2001年に甥っ子さんに渡されたそうですが、この方も、明日モンスの近くの墓地で行われるセレモニーに参加されるそうです。

 

そういえば、以前にこんな記事もアップしたんで、それも貼り付けておこう。

shohoji.hatenablog.com

いつもいつも戦争をしていたヨーロッパ、第一次大戦に突入したときは、多くの人が、またかよ、と思いながらも、すぐ終わるだろうと思っていたそうですが、実際は4年も続き、出征した兵士のものすごく多くが亡くなるという、本当に悲惨な結果に。

それで、ヨーロッパ人が「国家」というものを疑うようになった、と。

それでも第二次大戦が起こり…。

それに懲りて生まれた鉄鋼と石炭の共同体、ECに、そしてEUへと発展してきたわけだけど、今はアンチEUの動きも生まれ…。

 

これが人間の本性と思えば、こういう歴史の流れには抗えないのかもしれないけど、それでも、何が起きてどうなったか、振り返ることで、以前に学んだことを思い出せるかもしれない。

アンチEUの動きの原因のひとつとして、各国の教育現場では自国の歴史しか教えず、ヨーロッパ全体の歴史をちゃんと教えていないことがある、と反省されていました。

そういうわけで、去年の夏、新しくEU本部の近くに、ヨーロッパの歴史博物館がオープン。

もうだいぶ前からある、EU議会の博物館、Parlamentarium同様、これも入場無料。

Bienvenue à la Maison de l'histoire européenne | MAISON DE L’HISTOIRE EUROPÉENNE

 

というところで、今ちょいとニュースをチェックしたら、終戦の調印がなされた場所や経過などに関する記事がアップされているんで、今からそれを読むことにしよう。

www.rtbf.be

というわけで、今日はオシマイ。

 

 

 

地方選のこと、旅行したこと、その他いろいろ


月に1回くらいはブログの更新をしようと思ってましたが、前回の記事から3か月も経ってしまった…。

日がどんどん短くなっています。
1日に4分くらいの勢い、もう真っ暗な冬もそこまで来ています。

さて、昨日でサマータイムも終わり、時計の針を1時間戻しました。
日本との時差は8時間です。
昨日のニュースで、こうやって時計の針を戻すのもこれで最後になるかもしれない、と言ってました。
サマータイム制をやめるかどうかは、EU各国、自国の判断に任せるそうで、もしかしたら来年からは、お隣の国と夏の間は1時間の時差ができるかもしれない、とのこと。
サマータイム導入した時も同様だったそうで、例えばお隣のドイツは、ベルギーより3年遅れて導入。
その間は、国境をまたいで仕事をしている人たちは、その1時間の差を考慮しつつ通っていたそうです。

今月14日、ベルギーでは地方選が行われました。
投票はベルギー市民の義務、正当な理由なく投票を怠ると罰金です。
また地方選に関しては、手続きをすれば外国人でも投票の権利があります。
投票場では、英語その他、いろんな言葉が聞こえていました。
ブリュッセルの投票はすべてエレクトロニックです。
私の投票場は近所の学校でしたが、そこのいくつもある投票部屋の中で、私のところだけがインフォルマテッィクのトラブルとかでなかなか中に入れず、人がいっぱい並んでいました。
それでも待たされたのは30分かそこらだったので、まだよかったみたい。
リエージュの方では、何時間もトラブルが解決できなかったところもあったと、その日のニュースで知りました。

選挙の結果は、エコロ(緑の党)の大躍進。
私の住むコミューンでもエコロがトップで、区長はこの党の人になります。
私のまわりの人たちも皆エコロに投票したと言ってました。
この夏の異常な暑さ、水不足、プラスティック問題、その他もろもろ、環境問題を実感しないわけにはいかないからでしょうか。
私の周りの人たちがエコロに投票するのは、今に始まったことではないのだけど。

今月初めに、予定通り日本から友人が遊びに来ました。

まず予定通り一緒にウィーンへ。
エゴン・シーレ展を観にいくのが当初の目的だったんだけど、ちょうど美術史美術館で、ブリューゲル没後450年ということでブリューゲル展がスタートしたところだったので、ラッキーとばかりにこれも鑑賞。

ブリューゲル展、なかなかのものでした。
93点、油・デッサン・版画が展示されていました。
もうきっと私が生きている間に、これだけの作品をいっぺんに鑑賞できるチャンスはないでしょう。
その緻密さと観察眼、それに好奇心に満ちた作品群で、こういう人がもし今、この時代を一緒に生きているとしたら、はたしてどういう生き方をしたでしょう。
この展覧会、1月までやっているので、もう1回、行けるものなら行ってみようかと思います。
朝いちばんの飛行機に乗って、最終の飛行機で帰ってくれば、日帰りだって可能です。

シーレ展は、6月に観たときと入れ替えが行われていました、というか、作品の数が減っていました。
それでも満喫。
やっぱりこの人は天才だと、またまた感じてしまいました。
今回はレオポルド美術館では、モーリッツ・ネールの写真展もやっていて、これが興味深かったです。
私は全然知らなかったけど、よく見るクリムトマーラーヴィトゲンシュタインなどのポートレートなど、すべてこの人が撮影したものなんですね。
ヴィトゲンシュタイン一家とは、親交があったということで、彼らの家の外部・内部の写真もありました。
宮殿と呼ばれるくらいの豪邸だったとどこかで読んだことがあったんだけど、ごてごての装飾など一切ない、非常にモダンなもので、ちょっと感動。
今年からブルガリア文化センターとして開かれたそうなんで、今度行ったらちょいと見てこようか、と。
http://www.haus-wittgenstein.at/

ウィーンの後はプロヴァンスへ出かけました。
エクサンプロヴァンスにアパートホテルを借りて5泊。
小さいけど密度の濃い街。
ゆったりだらだらと満喫してきました。
また来年も来ようか、と話したことでした。


ということで、今日はオシマイ。

暑い


晴天の日が珍しく続くと少しずつ気温が上がり、30度を超える頃に雷雨が来て、またすーっと10℃〜15℃気温が下がり…、というのを繰り返すのが、こちらの普通の夏。
その時期はまちまちで、6月にそういうことがあれば、ああ、これで短い夏が7月にならないうちに終わりかあ、みたいな寂しい気分になったり。

ところが、今年はその晴天が何日も続いていて、暑い。
昨日はブリュッセルでは36℃くらいになり、ベルギー気象台始まって以来の高温を記録したとニュースで言ってました。
夕方雷が鳴り雨が降りましたが、あまり気温は下がりませんでした。
今日また雷雨が来るそうで、明日から少し涼しくなるそうですが。
それでも、来週も25℃くらいの気温らしい。

今日、北海は23℃を記録し、これも気象台始まって以来らしい。

農家は、1976年以来の水不足に悩んでいるそうです。

暑いと言っても湿気が少ないので、日陰にいる分には大丈夫。

私のところは午前中に日が射すので、その間はカーテンを閉めて日陰にしてます。
クーラーも扇風機もありませんが、特に暑さに苦しんではいません。

バカンス期なので、いろんなオフィスも働く人の少ない時期ではありますが、ニュースによると、クーラーのないオフィスでは、暑さを避けるため仕事のスタート時間を早めて、13時には終了して帰宅できるようにしているところもたくさんあるそうです。

今日は、ワロニアの公共のバスの運転手たちが、エアコンなしのバスの運手はできないと、ストしているらしい。

オランダではアスファルト舗装の道路に塩を撒いて、少し温度を下げる工夫をしているとのこと。

猛暑と乾燥で、あちこち火事も起こり、ギリシャでは悲惨なことになりました。

ところで、今日は月食が観察できるらしいですね。
お月さまはうちの窓からちょうど見えるあたりにでるんで、やってくるらしい雷雨がもうおさまっていれば、空気もきれいになってるだろうし、見たいな、と思ってます。


ということで、またまた今朝読んだ興味深い記事のリンクを貼り付けてオシマイに。
この記事に貼りつけてあるリンクを訪ねて、今から読んでみようっと。

https://spinou.exblog.jp/29653114/