予定がキャンセルになったので時間ができた

出かけないことになったので関係ないけど、今日の気温は13℃を超えないと昨日の天気予報で言ってました。ちょっと寒い。

今現在マチネの終わり頃、外は11℃。

 

今日は次女と3女と一緒に3人で、王立美術館にドートルモン展を観に行く予定だったんだけど、木曜日、チボーくんとうちにやってきた3女くん、そのすぐ後にどこかで足の小指をイヤというほど丸太にぶつけ(なんで丸太に?とその過程は不明だが)、どうも骨折らしく歩くのがタイヘンだというんでキャンセル。

しかも今日はブリュッセルの恒例の20kmマラソンの日で、公共の交通機関も変則的だし、どういう動きをするべきか考えるのも面倒ですし。

 

金曜日の朝、3女クンより「一晩おいたらより痛くなった」と上述の件でSOS。

実は最近レオくんと別れ、一緒に住んでいたうちからそれぞれお引っ越し、今彼女はうちの近所にあるレオくんの叔母さんちに、次の住まいが見つかるまで住んでいます。

ブリュッセルに何代にも渡って住んでいる人たち、お金持ちが多いなあ、と感じる私。立派な家を何軒も持っているんで驚きます。↑ の叔母さんは加えてギリシャにも家を何軒も持っている。)

ケンカ別れではないので今でも仲良しですが、レオくんがいるおかげで安心・ラクチンだった母としては、また心配事が・・・と、とても神さまには言えない罰当たりなことを感じているのである。

 

そういうわけで、前回締め切りに間に合わなかったタブレットのアフターケアの件も、さらに月曜日に延期にしました。

 

足の指の骨折ってギブスをすることもできないし、何もせず自然治癒を待つしかないんですね。

私と一緒にタクシーで病院の救急セクションに行ったんですが、そのタクシーのドライバーが自身も経験者でそういう話をしてくれたし、待合室で待っている間レスをくれた3女のホームドクターも同様のことを言いました。

病院でできることと言えば「骨折だ」ということを確かめるくらい。

ま、せっかく来たし、というんでしばらくそこで待ったものの、いつまで待たないといけないか不明だし、結局、帰ろか、ということで意見が一致。

何もせず彼女は職場に向かい、私は帰宅しました。

 

 

 

昨日土曜日はひと月ぶりに美容院へ。

土曜日はパパが赤ちゃん担当なんで、今回はいつもの彼女。

カットはやはり彼女がいい。すごく上手。

今回おしゃべりして初めて知ったけど、イギリスのヴィダル・サスーンのアカデミーで勉強したのだそうです。

自慢してるみたいだからディプロムもコンクールでゲットしたトロフィーも店には置かないけどね、と言ってました。

それに、全然値段も高くないのです。近所だし。

 

 

カンヌ映画祭、ベルギー監督の3作品が受賞しました。

 

トランスジェンダーを扱った作品 Girl で話題になったルーカス・ドンツ監督が Close でグランプリ受賞。

フランス語圏とオランダ語圏の少年の話、ベルギーならではの話で、監督は「言語による分断の修復」をテーマにしているようなことを、しばらく前にインタビューに答えて話していました。

 

ダルデンヌ兄弟の Tori et Lokita が75周年記念賞。

これは、付き添いなしで子供だけで困難から逃れてきた難民の話。

これも現在実際に起きている大きな問題です。

 

もう一つの作品、審査員賞を受賞したフェリックス・ヴァン・フルーニンゲン監督の作品については、今のところ私は何も知らないです。

 

3作品も受賞するなんて、すごいわ、と思いました。

 

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今朝PCを起こして最初に読んだ記事。

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私の中で 炎のランナー と対になって記憶される ガリポリ という映画があります。

どちらも戦争に大きく運命を左右される「走る若者たち」を描いてあるので。

まだ日本にいる頃オーストラリアを2回旅行しましたが、それは後者の映画で見た映像があまりにも美しかったからでした。

この目で実際に見たいな、と思ったのです。

 

この2つの映画作品を観た時、その若者たちの運命に深い悲しみを感じ涙しましたが、同じような出来事が、今現在、毎日起こっているのだなあ、と…。

こんなことを言うと顰蹙をかいそうですが、侵攻を仕掛けた側をさっさと叩くしかないのかも…、と考えたりしてしまいます。

 

 

昨日プラタナスの木を見上げたのだった。

 

 

私にとってまさしくフランス人のイメージぴったりのふたりの動画。

ジャン=ピエール・レオーとボリス・ヴィアン

 

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大好きな俳優さん。パトリック・ドゥアールのドキュメンタリー。

この人が出演する映画 海辺のホテルにて を見て、ビアリッツに憧れたりした若かりし頃。笑

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FB上で見つけたフォト。

美しいなあ、と思う。

 

1952年、ジェラール・フィリップたち by Agnès Varda

 

ジュリエット・グレコ 1947年 by Robert Doisneau

 

イザベル・ユーぺール 1983年 by Edouard Boubat

 

 

数日前、見上げた空。

 

 

 

追記・今昼のニュースでカンヌで受賞した3人の監督のインタビューを見た。ちょっと感動。

フェリックスのアラバマモンローの撮影に、ルーカスも参加していたこと、そして今回の3作品の監督はベルギー映画の3世代にあたること、など。

3作品参加ってのも小国にしては例外的、さらにその3作品全部受賞というんで、ニュースでもちょっとエキサイトの様子でした。

昨日の今日だけど メモ

昨日は朝からずっと、テキサスでの事件がニュースで大きく取り上げられていました。

ああ、またか…という感じですが、今回は米国では何故自由に銃器を所持できるのか、その歴史的・文化的背景や、憲法などにも触れながら、いつもよりずっと詳しく説明がなされていたと思います。

米国での銃器によるこういう事件、今年に入ってから既に213件も起こっているそうですから驚きます。

 

米国社会の研究者が意見を求められ、「問題は銃器でなく人だ、社会だ、という意見があるが、それは間違っている。銃器売買の容易さが原因。今回の事件のショックをもってしても事件はまた起こるだろう。報道を見て真似をする者が必ず出てくる。」と言ってました。

 

加えて、ベルギーでは?という話がたっぷりなされたのでメモしておきます。

 

銃器を入手するには、メディカル・テスト、テオリー・テスト、実技テストをクリア、ポリスのアンケートをクリア、その上で射撃クラブに所属し、そのクラブで年に10回から12回以上射撃をする義務があるのだそうです。

銃器はひとつひとつトレースすることが可能で、現在ベルギーで所有されている銃器の数が70万、うち個人所有が17万だと言ってました。

とはいえ、不法な入手経路をストップさせることはできないままで、そういう形で年に1000ほどの銃器売買が闇で行われている、という話でした。

 

 

今朝Twitterを見てたら、↑ のニュースでも見せていた動画の日本語字幕つきが視聴できたので、貼っておきます。

 

https://twitter.com/bbcnewsjapan/status/1529337400463441920?s=20&t=3XVXKB7pRXfZyPePVJolfw

 

 

 

 

一昨日スーパーに買い物に行きました。

イチゴ、サクランボ、ブドウなどなど、果物をいっぱい買い込んだのですが、そのときイチゴがビックリするくらい安かったんです。

今年は味にハズレがないなあ、と思っていました。

 

そしたらニュースでその話が取り上げられました。

この前まで気温の高い日が続いたために、いっぺんに熟してしまい収穫も間に合わないほどで、無駄にするわけにもいかず、安く出荷しているし甘い、と。

でもその分出回る期間が短いですよ、とのことでした。

天候に左右される農業に携わる方たちもタイヘンだなあ、と思いました。

とはいえ、消費者の私はイチゴをたっぷり楽しませてもらいます。

 

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サクランボも出回り始めました。

今回は1キロ13ユーロくらいでした。

もっと安くなると思うけど、我慢できず買ってしまった。

 

 

 

昨日記したように、長女クンと待ち合わせして、一緒にタブレットを購入した店に行ってきたんですが、ものすごい人で、アフターケアのために来たのならもう今日は〆きったから出直してください、と言われちゃった。

長女クンももうスマホ買う気にならない、というんで、二人で退散。

彼女の仕事の後となるとこうなっちゃうから、明日朝のうちに一人で行くことにしました。

今日がイエスさまの昇天の日で祭日でどこの店もお休みなんで、昨日はよけいに人が多かったんでしょう。

長女クンに必要な自転車グッズをゲットしに向かった店も閉まってた。

「せっかく出かけたのに閉まってると、なんだか自分を拒絶されたような気持になってイヤになる。仕事が終わってからしか来れないのに…。」とがっかりしているんで、「きっと今日買ったらもっとイヤなことが起こるから、守ってもらったのだよ。」と励ましたことでした。

私はいつもこう思うことにしています。というか、かなり確信しています。

起こらなかったことはわからないので気づきませんから、起こったことでがっかりしてしまうものですけどね。

 

 

彼女と待ち合わせしたモネ劇場前の広場。

 

 

 

サル痘が話題になっている時なんで、こういう記事がありました。

興味深かったので貼っておきます。

ニッポンの話も記してありました。

735年から737年にかけて大陸から入ってきた天然痘で、人口の3分の1が亡くなったこと、病気から赤色が守ってくれるというので赤い服を着る、部屋の壁を赤く塗る、といった根拠のない療法が20世紀初頭まで続いたこと、などが記されていました。

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メモしておかないと忘れちゃう… (追記あり)

5月も残すところ1週間。

日が長くなるペースも、しばらく前から3分ずつとスピードを落としています。

あと一月もすれば今度は日が短くなり始めるかと思うと、すでに「イヤだなあ」と思ってしまうオバサンであります。

 

2020年9月、コロナ禍のせいでものすごくヒマだった私は自由大学の講義を聴くことにしましたが、その際に必要に迫られて購入したタブレット、結局全ての講義がオンラインになったことで殆ど使っていないのに、なんと、数日前に稼働しなくなった。

思いつくことを全てやってみて何回もトライしましたが全然ダメ。

幸い購入時に3年カバーするギャランティーを買っておいたので、店に相談に行くことにしました。

こういう面倒くさいことが歳のせいか心底うんざりですが、ちょうどスマホを買う必要があるという長女も一緒に行くことになり、今日、彼女が仕事を終えたところで合流することにしています。

あああ、メンドクサイ…。

 

前回のメモから10日も経っちゃったので、その間のことを忘れないようにメモしておく。

 

 

ヴァンゲリスが亡くなりました。

炎のランナーはものすごく好きだった映画の一つ、何回も観ました。

この曲を聴くだけで感動が甦り涙が出てくる。

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金曜日、月に1回のランチの日。

以前のお気に入りのレストランの場所に、この10日ほど前にオープンしたばかりの店に行ってきました。

コンセプトは前のレストランとほぼ同じ、悪くないのでしばらくここに通ってみることにします。

分量がちょいと多かったですが、おいしかったです。

 

 

 

マリンチェの話をBDにしたというんで紹介されている動画をFB上で見て、へええ、と思ったので貼っておく。

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マリンチェについては、Wikiの記事を貼り付けておきます。

ja.wikipedia.org

 

2004年にリールの美術館で開催された展覧会 Mexique-Europe のカタログから「マリンチェの夢」という作品のフォトなど。

 

 

上の動画を見た後、こんなのを聴いたりした。

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ガブリエル・ガルシア=マルケスの作品に出会ったことで、すっかり「ラテン・アメリカかぶれ」になっちゃった40年くらい前の私でした。

やっぱり好きだわ、アメリカ・ラティーナ。

 

 

 

積極的に参加しようと思っている無料文化イヴェント、なかなか続きが来ないなあ…と思っているところ、ブリュッセル市役所より「ポップ・フィロソフィーの色彩の濃い哲学者、マリアンヌ・シャイアンを招いてのコンフェランス」への招待が届きました。

このポップ・フィロソフィーというの、私は全然わからなくて、いったいなんだろ、と思ってちょいと検索。

なんでもジル・ドゥルーズが生み出したコンセプトらしいけど、その後大きな進化を遂げたとのこと。

ポップ・カルチャーとフィロソフィーをくっつけたんだろうってところまでは簡単に理解できるものの、その詳しいことはほとんど???状態だけど、せっかくなので聴きに行くつもりです。

(と、ここに記すことが自分へのプレッシャーになり、当日めんどくさくとも出かけることができるだろうと思うのである)

fr.wikipedia.org

fr.wikipedia.org

 

 

 

ウクライナの方は、残酷にもちっともよい兆しが見られませんね…。

第1次大戦で懲りて戦争を絶対避けたかった欧州の国々、ナチスの侵攻に対する攻撃へ踏み切ることに時間がかかった、という史実を思い出したり…。

 

 

コロナ禍の方、Rtが0.85くらい。

今週から公共の交通機関でのマスク着用が義務でなくなりました。

 

前回の記事の頃から気温がどんどん上がり、30℃近くなってから、今度は雷雨がやってきて気温が下がりました。

そこまではお決まりのパターンなんだけど、その雷雨のときピンポン玉くらいの雹が降ってきて大きな被害を受けたところがあったり、ドイツでは竜巻で大きな被害が出たりと、やはりちょっとではすまなかった…。

 

 

追記・貼ろうと思って貼り忘れた記事のリンク

ウェールズで予算を3倍に増やして3歳から16歳の子供たち全てに楽器を提供する、という記事。

音楽って生活を豊かにしてくれますからね、いいことだなあ、と思いました。

www.radioclassique.fr

ユーロヴィジョンソングコンテスト ウクライナが優勝

昨夜、今回はトリノで開催されたユーロヴィジョンの決勝で、前代未聞といわれるくらいの圧倒的な得票数でウクライナが優勝しました。

 

毎年大きな話題になるこの催しですが、私はニュースで優勝国の歌を聴くくらいで特別な関心はなかったのです。

昨夜はたまたま、もうPC消して寝ようかな、という頃、ユーロヴィジョンの決勝はもう終わったかしら、と見てみるとちょうど結果発表の時で、結果を確かめ優勝国の歌を聴いてからベッドにもぐりこんだのであります。

 

この大会、私より一つ年上です。

欧州中で同時にものすごくたくさんの人が生で視聴する催し。

年々参加国も増え、いつも大きな話題です。

今年ベルギーから参加したジェレミーはプロのサッカー選手、以前少しこのブログでも触れたThe Voice という番組で勝ち抜きプロの歌手になった子で、コンゴがそのルーツというアントワープ生れの若者。

準決勝は勝ち抜き決勝には進出しましたが、大きな得票ではなかったです。

仏語・蘭語バイリンガル。(← これってベルギー代表になるには重要なポイントだったりするんでしょうね。)

 

www.rtbf.be

ja.wikipedia.org

 

 

昨日メモしておこうと思ったコンフェランスの件、なんかその気が失われてしまったけど、話された中で興味深かった点をふたつくらい忘れないうちにメモしておく。

 

ソルヴェさんの財力でもって開催されたインタナショナルな物理学会は1911年には実現したのに、化学に関してはそれから10年以上も待たないといけなかったこと。

これって、後者については、その学会の目的をインフォ交換の場にするか、研究そのものの場にするか、ということで意見が分かれてしまったから。

それは、学問自体の性質にも左右されることだから、とのことでした。

その学問の性質というものがよくわからないけど、へええええっと思いました。

 

次がフィランソロピーについて。

メセナはその始まりが「財力のあるクライアント」であるのに対し、フィランソロピーは異なり、科学的リサーチその他に裏付けられたアクションである、みたいな話もへええっと思ったのであります。

日本でも有名な例は、ロックフェラーやカーネギーですかね。

エルネスト・ソルヴェという人は、そのくらいの財力・影響力を持った人だったのです。

今の時代で言えば、ビル・ゲイツといった、桁違いの大金持ち。

 

 

 

今午前11時ちょっと前で外の気温は18℃、今日は28℃くらいまで気温が上がるらしい。

 

 

 

フィランソロピー

木曜日に聴いた王立アカデミーの講義は、Philanthrope としてのエルネスト・ソルヴェに関する話で、おもしろかったのでメモしようと思ったのだけど、ちょっと今から人が来ることになり、その時間がなくなっちゃった。

 

でも、せっかく検索したりした事項だけは、後のためにリンクを貼っておく。

 

fr.wikipedia.org

focusonbelgium.be

lorentz.leidenuniv.nl

 

 

コロナ禍突入以来、王立アカデミーまで出かけて聴いたのは初めてだったわ。

 

庭の菩提樹

会場の旧厩舎までの道。

 

 

今日もメモ(訂正あり)

ここのところものすごく良い天気が続き、昨日など最高気温が25℃でした。

まるで夏の真っ最中。

こんなに良いお天気が続くことなど、以前はなかったよねえ、と思う。

すでに農業に打撃を与えるほどの水不足が心配されています。

今朝は曇り空で、今にも小さな雨が落ちてきそうですが、それでも気温は17℃もある。

 

数日前からちょっと気分がすっきりしている私です。

というのも、窓を洗ったので。

良いお天気だと特に窓の汚れがはっきり目に見えるし、洗わないと…とずっと思っていて、でもこれってけっこう難しく、私は上手ではないのです。

どんなに頑張っても完璧にきれいにはならない。

しかもうちの大きな窓、チビな私は梯子に上ったり、窓のふちに立ったりせねばならず、もしちょっとバランスを崩して落っこちたら、といろいろ想像してしまって怖い。日本でいうところの4階ですからね、絶対死にます。

もしちょうどそこを誰かが歩いていたら、その人も巻き添えです。

プロの人が使っている長い柄のついた窓洗いグッズをずいぶん探したんですが、今だに見つけられず…。

 

そういうわけでずっと気になっていたのだけど、あまりの汚さに、「何もしないよりマシ」という要求水準低下状態に突入したことでクリアできた。笑

 

要求水準を低くする作戦、家事に関してはこれ正解だなあ、と思います。

 

それにしても、家事があまり好きじゃない私、よくこれで主婦をやってましたわ。

子どもたちが全員うちを離れた時点で一人暮らし生活に入ったのは、ほんとにいいアイディアだった。

死ぬまで「今日は何のゴハンにしようか」みたいなことに悩まされる日々なんて冗談じゃない、と今の生活の快適さを再確認するワガママおばさんであります。

 

こんなワガママな私でありますが、子どもたちは母の日である日曜日に集まってくれました。

「おいしいピザ」が食べたかったので、ピザがとてもおいしいレストランへ。

 

いったんローマに戻った後、今度は完全にブリュッセルに引っ越してきたジョヴァンニくんの通訳・解説がありましたから、お店の人との会話は全てイタリア語でなされ、まるでイタリア旅行しているみたいでした。

 

とても楽しかったし、とてもおいしかったです。

ありがたいことです。

 

お店を出たときに撮ったフォト。

 

私が最近読んでいるマンガは、惣領冬実チェーザレ

2020年、運よくコロナ禍の規制が始まる少し前だったので 運よくミュージアムのストにぶつからなかったので鑑賞できたレオナルド展で、もっとも心をうたれたのはチェーザレ・ボルジアを描いた小さなスケッチでした。

そういうわけで、ジョヴァンニくんを摑まえて、チェーザレだ、マキャヴェッリだ、レオナルドだ、と話すことができて嬉しかった。

本当の発音の「チェーザレ・ボルジア」は耳に快適だったし。

ローマにいる歴史オタクなアルジェンチン人の友だちがもうすぐブリュッセルに遊びに来るそうで、来たら紹介するからね、とのことでありました。

(ジョヴァンニくんはつきあわされてウンザリだったのか…笑)

 

 

昨日月曜日は、最近3女クンと仲良しのチボーくんがやってきました。

なんでも今日5月10日から、1年間アルコールを絶つと決めたそうで、その前日の夜は私と一緒にビールを飲むことで〆たかった、とのこと。

それにしてもなぜ私????であります。

おもしろい子です。

 

チボーくんのファミリーは、300年以上前から印刷業を営んでいます。

17世紀にスタートしたこの事業ですが、彼のご両親は継ぐことなど強制しておらず、好きなことをしていいよ、と言ってるとか。

ものすごく裕福そうだし、心に余裕がいっぱいなのかもしれません。

 

 

私以外の人にはどうでもいいメモ、おしまい。

 

追記・さっきレオナルド展について自分が書いたメモを読み、無事にエクスポジションを観ることができたのは、ストにぶつからなかったからだと気づいたので訂正。

コロナ禍の規制の直前に鑑賞できたのは、ゲントのミュージアムでのファン・エイク展でした。

 

 

サン-ジャック地区にあるブリュッセル議会の建物(追記あり)

昨日の夕方、無料文化イヴェントに参加してきたので、それで知ったことを忘れないうちにメモしておく。

 

ブリュッセル旧市街、グランプラスを中心に見て市庁舎側は、サン-ジャック地区と呼ばれています。

小便小僧もこの地区にいますし、ブリュッセル議会やゲイフレンドリー地区もここ、感じのいいカフェやお店もいっぱいです。

去年の9月、文化遺産の日の行事についてこのブログに記しましたが、そのときアップしたフォト ↓ もこの地区。

 

 

この地区の行事については、メールで知らせてもらう設定にしているので、今回はそれで知ったイヴェントです。

昔の駅馬車の発着場所だった建物の修復が終了したので、通常は公開されない場所だけど例外的に見学できます、というものでした。

ミーハーな私は、「通常は入ることができない場所に入れる」ってのが大好きなので参加したのでした。

 

行ってみて初めて知ったのが、この建物はブリュッセル議会の一部だ、ということ。

 

そういうわけで、集合場所は議会の建物のエントランスホール。

30名ほど参加してました。

その修復された建物に行くために、階段を上り、

公的なパーティなどが開かれる鏡の間を通り、

記者会見等が開かれるサロンを通り、

食堂を通り、

17世紀のブリュッセル製のタピストリーのある大使の間を通っていきます。

食堂の窓から外を見ると、昔のメインの出入り口と、馬車がここから入り停まってましたという中庭が見えます。

 

修復された部分は昔の厩舎だったところ。

最も古い部分がそのまま見えるのは、見えるようにしてあるレンガ部分の一部と、ピエール・ブルーという高価な石で作られたアーチのみです。

 

ブリュッセル旧市街は、1695年にスペイン王の座の正当性を主張したルイ14世の軍に攻撃され破壊されました。

でも経済的にも精神的にもリッチだったので、あっという間に復興。

ですから ↑ のフォトの古い部分は1695年のものです。

 

ここから、パリ、リール、アントワープアムステルダム、アーヘン、ケルンなどへ向かって、乗合馬車が出発していたわけです。

この場所には全ての郵便物も集められ運ばれていった。

 

その様子が脳内で勝手に再生されてしまうのである。

 

鉄道が敷かれ発達することで、こういうシステムは不要となり、廃墟になってしまった、ということでした。

1ユーロという象徴的な値段でブリュッセル議会が購入、3年かけて修復されたのでした。

議会舞台裏のオフィスとして使われ始めています。