細野秀太郎さんが編集されている月刊「オルタ」、編集だけでなく営業・宣伝・広告営業・発送・販売管理をたった一人でやっておられ、体はもつのだろうか・・・と、おばさんは心配しているのですが、この「オルタ」、リニューアルされ隔月刊行となりました。
http://www.parc-jp.org/alter/2008/alter_2008_07-08.html
今回のテーマは「食糧」。
ウラゲツブログでも紹介されています。
http://urag.exblog.jp/7339006/
>『オルタ』は編集担当の細野秀太郎さんが営業・宣伝・広告営業・発送・販売管理をたった一人で兼ねているそうで、苦労が偲ばれるが、一人で作られたものだからこそ誌面の流れに一貫した配慮の個性が感じられる。一部800円。基本的に直接購読が中心のようで、販売店を現在募集中とのことだ。人文社会系のしかるべき売場に欠かせないコンテンツであると保証できる。次号の特集は「1995年」だそうだ。
id:kuriymakoujiさんが、そこからつなげて
http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20080728
松岡正剛の
>私は、そもそも近代社会というのは「代理の社会」だというふうに思っています
という言葉を紹介されています。
まったくそのとおりだなあ・・・と思います。
森岡正博さんが「無痛文明論」で、病院のICUが「無痛文明」を象徴している、というようなことを記されていたと記憶します(調べながら書いているわけじゃないのでうろ覚えですが)。
わたしには、無痛文明の象徴は「スーパーマーケット」なんです。
「スーパーマーケット」が、もうみんなにあたりまえになっちゃって、「安い」「高い」という基準しかないみたいですよね。
上に紹介した記事とそのままつながるんですが、見えないところで誰かが奴隷の仕事をしているかもしれないなんてどうでもいいどころか、そういう立場にある人を排除しようとする、排除される人には排除されているゆえに陰で「奴隷」をやっていくしか道はないという悪循環。
見えない・知らない、ということは、おそろしいことです。
でも、こう言うわたしは、はたしてどれだけのことを知っているというんだろう。
そう思うと、もっと恐ろしい気持ちになります。
その無痛文明論の森岡さんが、最近ニッポンの「モテ」の概念をひっくり返そうと、さかんにブログでも取り上げておられたようだし、「草食系男子の恋愛学」という本を出されました。
http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20080531/1212235032
わたしには、モテ・非モテとか、そういう話題自体が「アホくさい」テーマに見えてしまうのだけど、長女が、「その社会がそういう問題を持っているなら、それは立派なひとつの哲学のテーマだと思うよ」と言っていました。
秋葉原事件にしても、たしかにこういう社会自体の幼児性がエレメントのひとつだとも思えるし、長女の言うことは正しいことだと、いまさらながら思います。
その森岡さんのブログで紹介されていたこの記事、今日気付いたのですが、おもしろく読みました。