うちのオヤジが話したこと


というわけで、昨日の続きでありますが、その前に、今久々にわりとゆっくり「お気に入り」のブログやサイトに目を通し、「おもしろいな」と思った記事など。

まず、これ。

疲労感じる原因たんぱく質」のはなし。

http://www.asahi.com/health/news/OSK200809030091.html

こんなんで疲労回復薬剤なんかが開発され、死ぬまで働かされたりして・・・、怖いわ。


フリーターズ・フリー・ブログの渋谷の夏祭りの感想。

http://d.hatena.ne.jp/FreetersFree/20080827

このような発想を応援したいと思うのです。


さるとらさんのブログ「がまんする人/しない人/させられている人」

http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20080902

この記事で触れられている中島義道さんの「「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの 」は、最近機会があって読んだばかりなんですが、ヨーロッパでの暮らしの中、この方のおっしゃりたいこと、ものすごくわかる気がします。



というわけで、本題。


ニッポンでは、うちの父のベッドサイドで長い時間を過ごしたわけですが、昨日の日記にも書いたように、「あっちの世界」と「こっちの世界」を往ったり来たりしているようすの父でした。

そして、こっちの世界に戻ってきたとき、いろんな不思議な話をするんです。
あっちで何を見てきたの?と、思わず聞きたくなるような。

一番驚いたのが、彼のそばに着いて1日目。

「おっぱいが取られた」と。
「ここにあったおっぱいが取られてなくなった」と、自分の胸を指しながら言うのです。
それもこだわり方が半端じゃなくて、しつこくしつこく何回も。

わたしの乳がんの手術については、離れているので心配だけが膨らむだろうと、姉と兄には全く知らせていませんでした。
来年はニッポンへ行こうと思っていたので、そのときに知らせれば充分と思ったんです。
「元気だよ」と実際見てもらうのが一番だし。
でも、結局今回の予定外ニッポン訪問で話すことになったんです。

そういうわけで、それを知っているはずもない父親の「執着」が、なんだかわたしの乳がんの手術による混乱に思え、姉と顔を見合わせたことでした。

思えば、毎日通っていた放射線治療がすでに終了していたのもラッキーでした。
いろんなことが、ほんとうにうまいことできているなあ・・・と。