私がフランス語で書く理由

なんて言ってみたいですよ。わはは。
まともなフランス語が書けない私です。


スペイン語だともう少しまともに書けるんだけど、でも、「そういう表現はしないよな」とネイティヴの人に言われるのは避けられないし・・・。


だから、母語ではない言語で小説書いて賞を取る人なんて、もう尊敬しないではいられないです。
すごいな、と思います。


数日前に日記に記した、今年のゴンクール賞、アフガン人のAtiq Rahimi の母語ペルシャ語なんですが、初めて最初からフランス語で書いた小説で受賞しています。

(私はアフガニスタンでどういう言語が話されているかも知りませんでした。イランと同じグループの言語なんですね。)



ニッポン人では、多和田葉子さんが、ドイツ語で書いて、やはりドイツのナンだったか忘れましたが、賞を取りましたね。


パリにお住まいのマイミクさんが、Atiq Rahimi のインタビュー記事にとても興味をそそられておられました。

http://www.telerama.fr/livre/atiq-rahimi-je-ne-crains-pas-de-dire-la-barbarie-ou-la-decadence,36049.php

>“Ma langue maternelle, le persan, m'impose
des tabous, des interdits. La langue maternelle
dit l'intime, mais c'est aussi la langue
de l'autocensure. Adopter une autre langue,
le français, c'est choisir la liberté.”


母語で書くより、フランス語で書く方が自由だと言うんです。
しかも十数年の亡命生活の後アフガニスタンに戻るまでフランス語では書けなかったのが、故国に帰ったとたん今度はフランス語でしか書けなくなった、というようなことを言っている。


ちょうど、小説家の宮内勝典さんの11月10日の海亀日記に、


http://pws.prserv.net/umigame/


>「カフカチェコプラハに住むユダヤ人作家ですが、ヘブライ語はできないし、イディッシュ語は抵抗感があり、チェコ語で作品を書けばローカルで終わってしまう。ですから自分を心理的に迫害するドイツ語で書くのですが、そのドイツ語はゲーテの優雅なそれではなく、ペラペラの貧しいドイツ語なんです。そのことが政治的な弱者の文学的なあり方であり、二十世紀の新しい文学だとドゥルーズたちは考えた」


という四方田犬彦氏が語ったという記述がありました。

長女が、それこそチェコ人の教授から受けている20世紀文学の講義で取りあげた作家の中にカフカも入っていたので、そのあたり確かめたらば、母親がドイツ語を使っていたはずというんで、「ぺらぺらの貧しいドイツ語」ということはないのでは、という返事でした。
宮内さんのサイトの「本の話をしよう」にも、「ぺらぺらの貧しいドイツ語」ということはないだろうと、他の方も記されていました。

そのあたりは、私なんかにはまったく判断のつかないことですが、いずれにしろ、カフカがドイツ語で記したには、なんらかの理由があることは間違いないでしょう。



つい最近、ル・クレジオの、「私がフランス語で書く理由」というエッセイも読みました。

彼は英語で書こうと思えば書けた上に、モーリシャスの歴史の中で、フランスの植民地化に対する抵抗感などの存在もあるし、本人、英語こそ詩的な言語であると思った時期もあるらしい。

それでも何故フランス語かというと、全く系統の異なる、文字を持たない言語との出会いがあったから、というんです。
そういう言語、どんなに努力をしようとも、けっして自分が深く身につけることができないゆえ巣くった自らのうちの欲求不満が、母語であるフランス語を変化させ、ゆえにそのフランス語で書くのだ、と。


全然異なる言語との出会いゆえに、母語のフランス語がフランス語を越えた、ということなのでしょうか。


とてもおもしろいと思います。