オルタ<恐慌前夜>、ル・モンドの記事

オルタの2009年1/2月号が、一昨日手元に届いたので、興味深く読んでいます。

http://www.parc-jp.org/alter/index.html


新聞では政治と経済のページはすっとばして読む人だった私ですが、やはり世界を動かしているのはこのふたつ、自分の無知を思い知っているこの数年です。
しかも、興味を持って読むと、それなりにアタマに入っていくものですね、少しずつだけど・・・。

今回のオルタは<恐慌前夜>特集号、私の一番苦手な経済関係の特集号だというのに、ちょっとした記事を書かせてもらいました。
なにせ今度のアメリカ発の金融危機、ヨーロッパで最初に大騒ぎが報道されたのが、我が家の「お財布」銀行であるフォルティスだったもんで、地元ニンゲンの経験談をちょいと書かせてもらったわけです。

原稿を収めたころは、ルテルムが首相を辞めさせられた頃でした。

フォルティス問題はなかなか解決を見ず、10日ほど前でしょうか、小さな株主たちの投票が行われ、けっきょくBNPパリバフォルティスを買い取るという案にNONの答えを突きつけた格好です。
フォルティスの社員は、こうなると解雇の危機・・・というんで、ニュースで見せていたインタビューでは「株主たちはこれでリスクを抱え込んだことになる」といったことを何人かが言ってました。

この小さな株主たちは、ま、全体を見て社会や世界や倫理のためにNONと言ったわけではないだろうとは思うし、これでわたしんちだってリスクいっぱい抱えたわけだけど、でも、うんと安くでフォルティスをパリバに買ってもらうことでその場をしのぐ、という方法、もしかしたら、本当にとんでもないことなのかもしれないなあ・・・、などと思ったことでした。
ま、そういうわけで、BNPパリバは欧州一の大銀行になることができなくなり、フォルティスの今後はまだまだわからない状態。

オルタの記事を読んで、印象的な記事がいくつかありましたが、青木秀和さんの書かれた中で、おおっと思ったところがあって、今葉っぱさんのブログを見たら、やっぱりそこのところに言及されていたので、それを貼り付けさせてもらいます。

http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20090221/p1

> 米国という国では、たった400人の人間が、国富の25パーセントを握っている。たった1パーセントの人間で、70パーセントの冨を持っている。一番正当なやり方は、このスーパー・リッチが互いに話をつけて、額面的にあるに過ぎない「死んだお金」の取り立てを止めることである。つまり、「ストック(資産・負債)の調整をして、負債を圧縮せよ」ということだ。それをやった時にはじめて、実物経済の方にもっと「生きたお金」が回ってくる。

> しかし、ストック調整は、強欲な金持ちを説得しなければ出来ない。当面は「マネー注入」で突っ走るのであろう。だが、それはどこかで確実に行き詰まる。際限なく「新しいお金」を作り出すという力は、FRBにも米政府にもない。国債を誰かが買い続けない限り「新しいお金」は出てこない。それが続かなくなれば、どこかで通貨価値を減じる形での負債圧縮をやらざるを得なくなる。

 >明示的にするか(デノミ)、事実上そうなるかはともかく、私たちは基軸通貨である米ドルの大幅な「減価」を覚悟せねばならない。


本山美彦さんへのインタビュー記事で、本山氏が言われてます。

>あれだけ国家を否定し、民営化や自己責任を主張していた連中は何なんでしょう。今こそ自己責任なんじゃないかと言いたいですね。

>日本では最近まで労組=悪みたいな刷り込みがすっかり浸透してしまいましたが、いま大事なのは、労組組合を通じて何がなんでもストライキをやる、そうすることで資本主義も生き返るし、際限なく消費が落ちる悪循環を防ぐことにもなるでしょう。


こういう危機こそ大きな変化のチャンス。

<お金とは何ぞや>とか<労働って何?>とか、いろんなことをちゃんと考えてみないとね、と思います。
でもそのためにはまず、生きる最低限の保障のもとに、考えるための余裕が必要でしょうね。
そういうとき、何も考えていなかったのにベルギーにたどり着いたという、自分の運の良さみたいなものを思ったりもします。


昨夜忘れないように大急ぎで貼り付けた、ル・モンドの記事ですが、エルサレム賞を受賞した村上春樹のことが記されています。

ニッポンのプロ・パレスチナの人々から、受賞を拒否してくれ、という圧力がかかったこと、作家として<拒否>より<受賞>を選び、そしてそこで<語る>ことを選んだこと、1995年の震災とオームによるサリン事件を機に、社会問題にコミットする姿勢へと変化した作家であること、などが説明されています。
そして、どんなに「壁」に理があろうと、自分は「卵」の側に立つ、という部分が引用されています。

ニッポンでパレスチナを応援している人々がいること、作家もアンガジェを示した、ということ、こうやって伝わっていくと、やはりゼロよりましだと思います。

1995年というのは、たいへんな年だったんですね。
オルタの2008年9/10号は1995年の特集だったんですが、一緒に手元に届いたので、今日ゆっくり読んでみるつもり。

こうやってみると、やっぱり世界は、いろんなところでつながっていますね。