映画リベルテ制作に関するガトリフ監督へのインタビュー記事を訳してみました

http://www.ugcdistribution.fr/liberte/

インタビュー記事の大体の内容。
長いんでかいつまんで・・・と思ったけど、かいつまむってのもけっこう難しくて、ときどきかいつまみ、ときどきそのまんま、という感じです。
フランス語原文の解釈が間違っているんじゃない?ってなことを発見された方、教えていただけると幸いであります。

と書き始めたものの、長すぎ・・・、3分の2くらい書き終えたところでもう疲れたので中断しちゃいます。
また続きはのちほど・・・。


1・この映画のアイディアはどこから生まれましたか?


ずっと以前から、強制連行されたロマたちについて、映画にして欲しい、と言われていたのだけど、2007年にストラスブールでロマ国際会議が開かれたとき、ヨーロッパ代表の若者たちからも、同様のリクエストがありました。
でもその時点では、映画を作る人間として、いかに事実を再構築できるか、見当がつかないでいたのです。
それから、シラク大統領によって、大戦中のジュスト(=強制連行されないようかばった人々)たちがパンテオンに集められると言う行事が行われたとき、ジプシー達を助けたジュストもいたことを知りました。
残念なことに、その催しに出席したそういうジュストはいなかったのですが、いろいろ調べてみると、ある公証人によって助けられたものの壁の中(=家)で暮らすことがどうしてもできず、そこから逃げだし、結局捕らえられポーランドに連行され消えた、Tollocheという男の悲劇を知りました。
「自由」のために敢えて危険をおかしたこの人物の運命が、この映画を作ることを決心させたのです。
同時にこの公証人、彼もTollocheを救うために、大きな危険をおかしたと言えます。


2・資料にあたりましたか?


もちろん。
しかし資料は少なく、体験者は亡くなってしまっています。
ロマを助けようとしたジュストのことは、ほとんど知られていないのです。
だからこそよけいに、なぜ、ある男が、あるいは、ある女が、流浪の人物を助けようとしたのか、それを理解したい、という思いが、基盤になっています。
この作品によって、連行に関わったフランスの憲兵や、他の誰かを非難したいという意図は全くありません、誰も侮辱することなしに、ただ事実をえがくことにつとめました。


3・ということは、まず歴史的事実の編纂を行ったということですね。


そう。
まず、ジプシーを専門とする歴史学者の書物や、役所の文書係の助けを得ました。
できうる限り事実を再構築することにつとめたのです。
問題は、ロマのホロコーストについてのちゃんとした記録がほとんどないことです、ジプシーに関する書物の1章に述べられているにすぎない、ということです。


4・このように、「歴史」の中から、ぽっかりこの事実が抜け落ちていることを、どう説明しますか?


大戦中、ヨーロッパのすべての国々が、ジプシー達を捕らえ虐殺することに、賛同していました。
唯一、同じファシストでありながら、ブルガリアだけが、ナチにロマを渡すことを拒んでいます。
現在に至るまで、たへんな貧しさの中でゆらゆら生きている、ヨーロッパにいる1000万のロマについて、ほとんど何もしらないし、どうしてこういう生き方をしているのか、わかろうともしていない。
歴史から抜け落ちているのは、抜け落ちて欲しいから、です。
学校の本にも語られていない。
現在まで、マテオ・マキシモフに代表されるジプシー作家と、彼のジプシーではない友人たちを除けば、ロマを代表する政治家も、まともに守ってくれる人間もいないのです。
フランスの法律では、1912年から、ロマは全員識別カードを持たねばならなかったし、ヴィシー政権ではノマードは強制収容所に連行されました。
このような考え方だったので、ヨーロッパ全体で25万から50万というロマが、ナチに渡され殺されたのです。
つまり、ジプシーというのは、オーガナイズされた社会の中では、いつも嫌われた虫けらだったということです。


5・シナリオをどのように書きましたか?


大体の骨組みを一月で書き上げました。
長いこと感じていた難しさから解放されたのは、ふたりのジュスト、獣医であり町の長であるテオドールと、町の学校の教師ランディ嬢を通して語らせるしかない、とわかったからです。
テオドールはTollocheを助けようとした公証人をモデルに、ランディは、実在した教師でありレジスタントで、捕らえられ強制収容所に入れられたイヴェット・ランディをモデルにしています。この実在の女性が、映画の中で学校に関するシーンをおおいに助けてくれました。
そして、自分自身の子供時代から関わってくれた人々、の存在の思い出も、映画制作を助けてくれています。
書きながら難しいと思ったことはありませんでした。
現在と1940年代の間に、ジプシー達は全然変わっていません。
私は彼らをとてもよく知っています。
ヨーロッパを横断していて、戦争のためにフランスに足止めになったジプシー一家を、再構築するのに1年かかりました。
男たちには、髪とひげを伸ばさせました。
当時は食べ物があまりなく、みんな痩せていたんで、全員がダイエットをしました。
彼らノマドが暮らす乗り物も、1940年代のものと同じものを作りました。
流浪のジプシーたちは、ある日突然風のように現れて森の奥で暮らし始めます。
彼らはどこからともなくやってくるのです。
最初のシーンは、そういう風に描きました。
そこまで作った後に、足りないものはジプシーの魂でした。
この魂というものを、説明するのは容易ではありません。
ジプシーには、「自由」を表す言葉はありません。
彼らは常に自由なので、そういう意味の言葉を使う必要がないのです。
ロマの、純粋さ、素朴さ、ファンタジー、自由、狂気、そういったものを示す人物像が必要でした。
それがTallocheです。
シナリオの最後に到達するのに、さらに1年かかりました。
そうやって書きながら、サムダリペン(=ナチスによるロマ殺し)に関する沈黙の理由にも近づくことができました。
彼らは「死者」を恐れていたのです。
その言葉を発することによって、再びそれがやってくることを恐れていたのです。
現在ではそういうことはなくなりましたが、それでも80年代まだ、その恐怖は存在していたのです。


6・この話を、アルジェリアで生まれたあなた自身の人生だとみなしていますか?


まったくそのとおりです。
アルジェリアはむしろ米国によって解放されたのであって、そこではヴィシー政権の法律が適用されていたのです。
このロマに対する不公正に、私は憤りを感じます。
沈黙はよくない、この事実をみんなに知って欲しいと、そう思います。


7・俳優たちの即興に任せた部分がありますか?


Talloche以外は、ノー、です。
俳優たちにはロマの言葉を覚えてもらいましたから、ダイアログはすべて私が書き、翻訳しました。


8・キャスティングは?


まずトランシルヴァニアに行きました。
そこのロマの村々は、まるで強制収容所です。
服装が変わったというだけで、昔から何も進歩していない。
そこで9人見つけ、撮影のためにフランスに来てもらいました。
他に、アルバニアコソヴォグルジアセルビアの者たちを見つけてきましたが、みんな訛っています。
おばあさん役はオスロで見つけましたが、彼女はロシア出身です。


9・Tallocheを演じるJames Thiérréeは、ロマではありませんね。


そのとおりです。
この人物には、ミュージシャンであり同時に、スタントマンなしに木に登ったり、そこから落ちたり、といったことができる俳優が必要でしたが、そういう人が簡単に見つかるわけがありません。
そしてある日、パリの劇場で、彼を見たのです。
まさしく私が夢見ていたとおりの俳優でした。
6ヶ月の間に、彼はロマの言葉を覚え、音楽を覚え、そして、Tallocheの「自由」を身につけたのです。


10・他のフランス人俳優たちは?


テオドール役には、当時の声と顔つきをした俳優を探しました。
マルク・ラヴォワンヌは、その両方を持っています。
シナリオを書いている間ずっと、その内容について、彼に話し続けました、
マリー=ジョゼ・クローズに関しては、ランディ嬢役は彼女しか考えられない。
脆さ、ミステリアスであり、強さ、といった特徴を同時に兼ね備えている、ヒッチコック映画の人物を思い出させられます。
彼女にも、1年間に渡って、フランス共和国の学校教師でレジスタントであったランディ嬢について、話し続けました。
リュフュについては、彼はフランス国民すべての伯父さん、フランスそのものといえるでしょう。
兵士ピエール・パントコートについては、カルロ・ブラントにやってもらい、いやな兵士の戯画といった風にならないように、それどころか、しょんぼりと惨めな感じになるようにしました。



11・この映画を観て、あなたがクリシェを壊そうとしていることを、とても印象深く感じました。


この映画の中で、一種のクリシェが間違いだということを示そうと試みました、
たとえば音楽に関して、雌鳥のためにコンサートをするシーンがあります。
このシーンでは、ジプシーたちを愛すべきものだと思わされることでしょう。
そして、彼らが、ミュージシャンであり、悪質な家畜商であり、鍛冶屋であることも示しました。
また彼らは、子供たちが学校に行くのを拒絶します。
魂を奪われると恐れているのです。
ロマの子供たちの就学は、現在でも彼ら大きな問題です。
この映画の中で、学校は中心となる場所です。
子供たちが学校に通ってお金がもらえるのなら、それは仕事とみなされて受け入れるわけで、最終的にこの映画で子供たちは、ランディ嬢が作るケーキを食べに、学校に行きます。
いったん食べ終わると、いなくなっちゃうんですけど。