ニースに行ってきました


最初の予定では、月曜日の夕方の飛行機でニースへ行き、翌日火曜日にサン・ポールまで出かけフォンダシオン・マクトゥ(la fondation Maeght)で

http://www.fondation-maeght.com/index.php?option=com_content&view=article&id=86&Itemid=58&lang=fr

10月末まで行われているジャコメッティ展を鑑賞、その日の夕方ニースの街をうろつき、翌日の水曜日にマチス美術館とシャガール美術館を訪ねて、その日の午後5時頃の飛行機でブリュッセルへ戻る、はずだったのであります。

ところがまず月曜日がベルギー国鉄のストというんで、日曜日のうちにブリュッセルへ移動し、長女のアパートに泊めてもらい、月曜日はバスで空港へ向かいました。

ニース行きの飛行機は、定刻より30分ほど遅れたものの無事離陸。

ニースではこのカウチ・サーフィングというのを通して

http://www.couchsurfing.org/

泊まるところを確保していたんで、お世話になるシルヴィーという女性宅へ、彼女の指示に従って夜9時半頃到着。

一人暮らしと思いきや、ダンナさんのヴァンサンと、3人の子供の末っ子でリセの最終学年に在籍する16歳のドリアンヌと3人のアパートでありました。

彼女は私と同じ年に生まれ、ヴァンサンも同じ年、3人の子供たちの構成もほぼ我が家と同じ、一番上の女の子は、ビジネスの勉強をしていて今最終年度、ブリュッセルの企業で研修中ということでブリュッセル暮らし、ふたり目の男の子はうちの次女と同じ年でパリの大学で勉強中、3人目の女の子は、今年度リセを終了したら、ランスの大学の医学部に行く予定だとのこと。
ヴァンサンは水関係の仕事をしていて、世界中に転勤しまくっていて、今ニースに暮らし始めて1年経ったところ、その前はパリに2年、その前はガボンに5年、さらにその前は、ベルギーからそう遠くないパ・ド・カレに暮らしていたそうです。
かなりのブルジョワで、ものすごくいいアパート暮らし、広くて洒落ていて、おまけにニースの街のど真ん中でありました。

そのシルヴィーなんだけど、すごくユニークな体験の持ち主。
彼女はもともとペルピニヨンの生まれなんだそうだけど、2歳のときに画家である父親が絵を教えることになったセネガルへ渡ったのだそうです。
いったんそうやって国境を越えて暮らし始めると、デラシネの人になっちゃうんですね、4人兄妹だそうだけど、それぞれみんな世界のあっちこっちに暮らしているそうです。
英文学を大学で学んだ後、24歳のとき、お兄さんの結婚式に参加するためにフィジーへ行ったんだそうですが、そこで知り合ったベルギー人の船乗りさんの船で旅へ。
9ヶ月を海で過ごし、お金も食べ物もすべて尽き果ててたどり着いたところがニッポン。
オオサキという小さな港だったそうですが、こうやってたどりつくガイジンなんて珍しいので、NHKや新聞社からの取材もあり、すっかり有名になっちゃったんだそうです。
そして、翻訳や通訳などの仕事も得て、ニッポンは神戸で暮らすこと2年。

その後フランスへ戻り、やはり翻訳などの仕事を経て結婚。
3人の子供のおかあさんで主婦をやっているわけです。

彼女のパッションが洋裁。
アフリカの生地を使って、ニッポンのエスプリを作り上げる、というのが彼女の目標、ATAYAという登録商標も持っています。
ATAYAというのは、アフリカのどこかの言葉でお茶セレモニーを意味するのだそうです。
彼女はこれをビジネスとしてなんとか成功させたいそうですが、ひとりでは難しいと、コラボする人を求めていて、パリに暮らす友だちR子さんと話が合いそうだわ、と、ふたりを出会わせたいな、と思っているところです。

彼女がカウチ・サーフィングに参加したのは、この7月、転勤族の彼女、ニースに友達がいるわけでもないので、このシステムを通していろんな人と出会いたいと考えたのだそうですが、このわずか3ヶ月で、すでに私で5人目のお客さんだと言ってました。

さて、翌日の火曜日、この日はフランスはスト、バスもトラムも動かないんで、サン・ポールの村に出かけるのは不可能、仕方ないんでニースの街を歩きに歩きまくりました。
天気は最高です。
真っ青の空、気温は24℃くらいでしょうか。
午前中はシルヴィーが付き合ってくれたんで一緒に、お昼は街のテラスで、ニース名物のソッカという、ヒヨコマメの粉で作ってオリーヴオイルで焼いたクレープと、バニャというニース風サラダをはさんだサンドイッチを一緒に食べました。
その後用事があってシルヴィーが帰宅したんで、今度はひとりで。
火曜日はどのミュージアムも閉まっているんで、仕方なくマチスのお墓参りだけはしましたが、マチス美術館もシャガール美術館もあきらめ、外から眺めただけでありました。

その日の夜はまたシルヴィー宅へ世話になり、翌日、メインの目標であるジャコメッティ展のためにサン・ポールへ向かいました。
その後はまっすぐ空港へ向かい、ブリュッセルへ戻るはずでした。

ニースではバスがすごく便利、本数もいっぱいで、どこへ行くのもわずか1ユーロです。

サン・ポールまでは約1時間の道のりですが、やっぱりたったの1ユーロ。

ジャコメッティ展はよかったです。

サン・ポールの村もすごく美しい。

http://www.saint-pauldevence.com/

シャガールはこの村で亡くなり、イヴ・モンタンはここに暮らして村人とペタンクを楽しんでいたらしい。

ああ、こういうところでずっと暮らしたいものだ、なんて思いながら、再び1ユーロ払ってバスで空港へ向かいました。

すべて予定通り、チェックインを済ませ飛行機に乗り込んだのですが、なんと、いつまでも離陸しないのです。
おそれていたストとは全く別に、飛行機の機体の問題で飛び立てず、結局この便はキャンセルに。

こういう場合、飛行機会社が代わりの便と、その便の出発日までの宿泊・食事をカヴァーしてくれるんです。

土曜日の朝の便しかないというんで、さらに3日間滞在することに。
困ったというより、内心、うわっはっは、と喜んでいた私です。
家族には申し訳ないけど、私のせいじゃないし、ね。ふふふ。

上等のホテルを提供され、食事もワインもいただき、見られないとあきらめていた美術館も見られ、しかも、超安いバスに乗り込んではモナコやメントンなどまで足を運びました。

土曜日の朝、飛行機は予定通りに離陸、ベルギーの気温はニースより20℃ほど低く、おまけに空は灰色、雨でありました。

さ、神様のプレゼントみたいに降ってきた、予定外の3日増しヴァカンスも終了、現実の生活がまた始まります・・・。