クラナッハ展、その他考えたこと


ここんとこ意図せずして展覧会鑑賞の日々であります。

昨日は午前中ブリュッセルでするべきことがあったんで出かけたんですが、用を済ませた後、ボザール宮で行われているクラナッハ展を鑑賞してきました。

http://www.bozar.be/activity.php?id=9136&

先日出かけたブリュージュの展覧会では、フラマン絵画の影響を受けた15世紀から16世紀の絵画ということで、展示数が非常に多く、中には芸術的価値の高くないものもいっぱいありましたが、こちらのクラナッハ展、えりすぐり、という印象でした。

それにしても、おもしろいのは当時の画家の思想背景ですねえ。

クラナッハはマルチン・ルターと友人で、プロテスタントであったそうですが、展示されている中には、非常にカトリックな祭壇画もあり、それは、「プロテスタントである自分も、カトリックの真髄を伝える絵は描けるのだ」ということを示すためだったということで、なんというか、自分自身の思想とともに他の思想への敬意もあってのことでしょうし、へえええ、感心したことでした。

それと、彼の描く裸婦はとても美しいといつも思っていたけど、そうやって大きな画面いっぱいに官能的な裸婦を描くということ自体が、当時としては画期的だったそうで、先日ここに記したカラヴァッジョの聖マタイと天使もそうですが、アーティストたちの「社会への挑戦」みたいなものに、やはり感動を覚えます。


ここんとここちらに住む同じようにベルギー人と結婚している方と話をしていて、同じような夫のいらいらさせられる傾向について愚痴を言い合ったんですが、その欠点というのが、わがまま・甘えの一種なんですね、それで、必ずしも個人主義社会の構成員が全員本当の意味での個人としての成熟を達成しているわけでもないのよねえ、と思ったことでした。

社会の価値観が「個人主義」だったり「共同体主義」だったりするわけで、いずれにしろそれを身につけるには、いろいろと挑戦していかないといけないんでしょうね。

男女平等思想についても、西欧で完全に達成されているわけではなく、実際は給与の差や、家事は女性がするべきといった固定観念はしっかり存在しています。

建前(=社会の価値観)と本当のところの差と、どうやって闘えばいいんでしょうね。
きっと闘う必要のない場面と、戦うべき場面と両方がねじれあっているんでしょう。
難しいところであります。