震災以来


原発原子力に関する、ありとあらゆる記事を読んできたけど、
(eireneさん、ほんとうにありがとう)
安全か、安全じゃないか、ということに終始するばかりだという印象。

廃棄物と、そこで働く人の労働・生活条件、それを考えると、1万歩譲って事故はないとしたって、絶対このままじゃいけないと思うんだけど・・・。

目の前のことだけじゃなく、自分の足元(=どういう風に自分は生きるか)、そして、うんと遠く(=地球という惑星と未来の人々のこと)と、ちゃんと見ないといけないと思うんだけど・・・。



追記・

今さっき、小出先生の非公式まとめサイトで、たね種蒔ジャーナルを視聴したんだけど、

http://hiroakikoide.wordpress.com/

今回のタイトルどおり、日本原子力学会の責任逃れに、あきれて言葉もないくらいだった。

で、思い出したこと。

ずっと以前に、通訳の仕事で某日本企業を訪ねたときのこと、日本式にグループを作って仕事を進め、とてもよい業績を上げているその会社の壁に貼ってあった仕事上の注意事項のひとつに、
「問題が起こったとき、その問題の犯人探しをしない」
というのがあったのです。

それを見て、私はしみじみと、ああ、ほんと、これが日本式だ、と思ったのでした。

まだその頃は、ベルギーで暮らし始めて10年も経っていない頃でしたが、日頃の生活で、どうでもいいようなくだらない問題でも、誰が「犯人」か、そこんとこで大騒ぎになる傾向は、クマひとりだけ観察していても全くそのとおりで、ほんとうにこちらはそういう傾向にあるなあ、と思ったのでした。

でも、問題によっては、責任の所在をはっきりさせないといけないこともあるだろうな、と、そのとき思ったのでした。


日本の科学者のグループも、こういう暗黙の了解の下、非常に日本的なつながりを作っているんですね。