早くも2011年最後の月に突入しましたね。
師だけでなくおばさんも走っております。
超忙しい日々であります。
いろいろと思うことがあり、例によって備忘を兼ねて・・・、それに、メキシコのお友達のことも記して・・・、と思っていたけれど、余裕がないのでまたの機会にするとして、今日はさっき読んだ、小田嶋隆さんのコラム、「ピース・オブ・警句」の更新記事のアドレスを貼り付けてしまおう。
「大阪の「維新」とまだるっこしい民主主義」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20111201/224762/?P=1
共感します。
大阪で仕事をしておられる友人たち、橋下さんが府知事になったとき、仕事場である図書館への助成金を打ち切られることによって廃館に追い込まれそうになり、知恵を絞り、必死で持ちこたえているところです。
今度は市長になった橋下さん、あらゆる文化財への援助をざっくり切り落とすかも・・・、という話ですね。
ベルルスコーニのもと、イタリアの博物館その他、かなりひどい目にあっていたのを思い出しました。
「お金を生まないもの」って、社会にいらないものなの?
そんなことないでしょ。
民主主義というのはまだるっこしいものだ、というのは、本当にそうだと思う。
>デモクラシーは、意思決定のプロセスに多様な民意を反映させるべく、徐々に洗練を加えてきたシステムで、そうである以上、原理的に、効率やスピードよりも、慎重さと安全に重心を置いているからだ。
>民主主義は、そもそも「豊かさ」の結果であって、原因ではない。つまり、民主主義は豊かさをもたらすわけではないのだ。それがもたらすのは、まだるっこしい公正さと、非効率な安全と、一種官僚的なセーフティーネットで、言い方を変えるなら、市民社会に公正さと安全をもたらすためには、相応の時間と忍耐が必要だということになる。結局のところ、われわれは、全員が少しずつ我慢するという方法でしか、公正な社会を実現することはできないのだ。
暮らしているベルギーのことを思うと、まさしくその通りだなあ、と思う。
1年半以上も、それぞれの言い分が合意に達せず内閣を作り上げることがなかったのだけど、その間、「サルコみたいなトップが出てきて、ぱっと決めちゃえばいいのに」なんて言っている知り合いもいましたが、そうじゃないところがベルギーらしさなんですよね。
「多様性と和解」がこの国の命、と、ずっと前、オランダ語圏の人がニュースのインタビューに応えて言っていたのが、とても気持ちよく心に残っています。
ベルギーだってパラダイスじゃありませんし、いっぱい問題かかえているし、ベルギーはコスモポリタンな国だというのは神話にすぎない、と言い切る人もいます。
でも、私にはとても暮らしやすい国です。
受験もないので、子育てにも普通の親の苦労や心配以上しなくともすみましたし、乳がんが見つかっても、お金の心配などせず治療に専念できました。
外国人だから、ということで、いやな思いもしたことありません。
世界中が資本主義の行き詰まりで苦しんでいる今、ベルギーもどうなっていくのかわかりませんが、「多様性と和解」っていうの、絶対手放しちゃいけない、と思います。