第五福竜丸から「3.11」後へ 被爆者 大石又七の旅路


めずらしくものすごく忙しかったのだけど、それも一段落したので、日本の姉から送ってもらっていた、マイミクさんの新著である岩波ブックレット第五福竜丸から「3.11」後へ 被爆者 大石又七の旅路」を、一昨日の夜一気に読了。

とても読みやすく、かつ、よく知らなかった第五福竜丸の事件の経過を、把握することができました。

この本が出たすぐ読まれた他のマイミクさんが、mixiの日記に感想をアップされていましたが、そこに記されている通り、わたしも、この時代の人々の生真面目さというものを感じました。
そして、大石さんが書く作業の中で、「俺」という一人称を見出した、というところが、心に残りました。

もっとも心に残ったのは、反原水爆運動のシンボルとなった久保山愛吉さんの、その最期を、ずっと横で見ていた大石さんの思いです。
原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という言葉とともに記憶されることとなった久保山さんの死ですが、実際は、脳症による意識障害にまで及んだ壮絶な最期だったのだそうです。
病院でもリーダーとして「若い乗組員たちの気持ちをひきたて、残された家族の生活や補償問題の行方に心を砕いた」「アメリカからの<診察>申し入れや、政府との折衝についても皆の意見をまとめて主治医に伝えるなど、心労の絶えることのなかった」久保山さんです。
その敬愛する久保山さんの最期は、突然つじつまの合わないことを口走り、夜通し叫び、暴れてベッドに縛り付けられる、そういうものだった、と。
その姿に自分の姿を重ね合わせ、恐怖をおぼえる大石さんたちを、久保山さんのお母さんは、「愛吉は別だ、みんなはまだ若いだけ、おまんらあ大丈夫だ、心配ないよ」と思いやりの言葉を、ひとりひとりにかけてまわられたそうです。

大石さんの中に、悲しみだけでなく、やり場のない怒りが生まれます。

運動のための訴える言葉も大切だろうが、それより、その人が苦しんで吐き出している言葉の方が大事だと思う、と大石さんは言います。


いろいろとへこんでいた私ですが、やはり、こういう方の話を知ると、エネルギーがアップします。

これから数日間、何の縛りもない、ゆったりとした時間が持てるので、本を読んだり、映画を見たり、そういうことをいっぱいするつもり。

2011年もおしまいですねえ。
時間の過ぎるのが速いこと。
冬至を過ぎ、クリスマスも過ぎ、これから毎日少しずつ日も長くなっていきます。

どうぞ皆さま、よいお年をお迎えください。