居候、引っ越す。

仕事に追われているうちに、8月もおしまい。

今日ついに、うちの居候であった3女くんが、新ル−ヴァンに自ら見つけた下宿やに、クマ、彼女の友人のイブライム、そして私の3人の手伝いで、ひっこしていきました。

演劇をあきらめたわけではないようですが、まずいろいろと勉強することが大事と思ったそうで、ルーヴァン大学で文化人類学を学ぶことにしたのでした。
彼女が去年トライした、モンスのコンセルヴァトワールの演劇コースの入学のテストに通った人たちは、皆もう仕事に就いたことがあったり、他の高等教育機関を出た人であったりと、彼女と比べると、人生経験がずっと豊富だったのはたしかだし、学問にしばらく打ち込むのもよいことだと、私も思います。

下宿は、大学まで徒歩10分、庭には大きな胡桃の木が実をいっぱいつけ、いろいろ花も咲き、ちょっとした畑もあり、家主さんもその子供たちもいい感じで、ラッキーなスタートです。

受験も何もないこの国の大学、1年生から2年生になるのが、振り落としの意味をもっているらしく、とても難しいので、とにかくこの1年は勉学に励んで欲しいと母は思います。

昨夜も彼女と話をしていると、「ねえ、ママ、人生の意味って、ママにとっては何?」と、また・・・。
「何のために生きているのかわからなくていやになる」と言うのです。

数日前にも同じような質問をされたのだけど、私だって「意味はコレよ」なんて答えられるわけがない。
おまけに、こういう質問に不快感までチラッと感じたりしたので、私なりに答えられなかったこと、不快感の意味など、一生懸命考えていたのでした。

「○○が人生の意味だよ」なんて返事を期待しているのだとしたら、そんなもの嘘っぱちなんじゃないか、もしかしたら死ぬまでわからないままかもしれないし、死ぬときに、ああ、これが私の人生だったんだ、と納得するかもしれない、いずれにしろ、生きる意味がないからいやになるなんて思うとしたら、それこそ命に対する冒涜なんじゃないか、などと、感じた不快感を自分なりに分析したので、そういう話をしたことでした。

「とりあえず」が苦手な3女くん、今日からまた新しい日々が始まります。

とにかく元気に、よい友人たちと、楽しい日々をおくって欲しい。

今思い出しても、自分自身の学生時代、神様からのプレゼントのような、特別なステージだったなあ、と、とても懐かしく、かつ、ありがたく思うので。


顎の擦り傷も完全治癒した母は、3女がいなくなったことで、去年からアイディアがあってやりたかった、自分の部屋を飾るポロック風油絵を始めるスペースができ、とても張り切っているのであった。(笑)