アンネ・フランクの家に行ってきた。

今日は朝から所用でアムステルダムに行ったのだけど、アムスにはいつも日帰りで、往復6時間近くかかるんで、ついでのことはあまりできない。
で、毎回どこか1箇所くらい訪ねるんだけど、今日はアンネ・フランクの家に行ってきた。
いつも人がいっぱい並んでいるんで、それなりの覚悟はしていたものの、土曜日だったからか、思ったよりずっと長蛇の列。
並ぶのがどうも苦手な私、一瞬、やめようか、と思ったものの、せっかくなんでがんばって、冷たい風の吹く中、並ぶことに・・・。

今は昔、まだ少女だった頃、女の子同士で、生理のことを「アンネ」と呼んだりしていたのだった。
「今日はアンネだからプ−ルには行けないのよ」みたいに。
アンネはホロコ−ストの象徴だけど、我々女性には、これから大人になっていく少女の象徴でもあったんだなあ、などと、そういうことを考えながら、およそ1時間並んで入場。

並んだ甲斐は充分あったと思う。

父親であるオット−・フランク氏が話すヴィデオを見た。
アンネ達が連行された後残されていた彼女の日記類は、彼らをかくまっていた人のひとりミッブ・ギ−スさんが、帰ってきたら渡そうと大事に取っていたものの、アンネ姉妹は収容所から生きて戻って来れなかったので、オット−さんの手に渡った。
オット−さんが言った言葉が印象的だった。
「日記を読んで、私はアンネの内省する様子に、とても驚きました。彼女がものごとをよく考えるということは知っていたつもりでしたが、あそこまで深い思考を重ねていたとは。私たち親は、自分の子供のことをほとんど知らないのだと、そう思います。」

13歳の誕生日にもらってからずっと、日記を書き続けたアンネ。
最初の頃のぺ−ジの字は、まだまだ幼さの感じられるものなのが、しっかりと美しい字へと変化していく。

何より心から「すごい」と思ったのは、「ジャ−ナリストになりたい、そして作家になりたい、作家になって、この隠れ家での生活を本にしたい」という彼女の思いが、充分に成就したこと。
心底望めば、たとえ体が死んだ後でも、絶対実現するものなのね、と、ものすごく感動したし、励まされた気持ちになった。


帰りの電車では、お隣にとても美しい青年が座り、ロッテルダムで降りるまで、夢中で本を読んでいて、何の本かしら、と思っていると、スコット・フィッツジェラルドのグレ−ト・ギャツビ−だった。


今日もよい1日を送れ、なんだかとても嬉しいな。