鑑賞したDVDの感想など


8月中旬に入って、もう夏は終わりという感じの、涼しいどころか肌寒い毎日です。
天気も良くないし、風が吹くと、もうブルブルっと縮こまりたくなるくらい冷たい。
それまでは、まあ夏らしい暑い日々もけっこうあったから、文句言ったらバチが当たるかも…。
でも、短い夏だったなあ。
日もどんどん短くなっていくし、もうしばらくしたら暗い冬だわ。


この8月は、例年の半分くらいしか仕事がなく、なんとなくヒマです。
フリーランスでやっているので、ヒマということは、その分収入がないということ、だけど、脳みそに栄養補給するチャンスだと考え、美術館に通ったり、映画を観たり、日頃から気になりながら放っていた事柄を調べたり。
ヒマなのも悪くないよね。


というわけで、先日近くにある中古の本・CD・DVD屋へ赴き、何枚かDVDをゲット。

先日亡くなったロビン・ウィリアムズのWhat dreams may comeもその1枚です。

この作品も「死」を扱っている、というか、「死」そのものがテーマで、それなりに感動するものはありましたが、あそこまでヴィジュアル化してしまうと、ちょっとね・・・。
結局監督のイメージ内に収まってしまい、観ているものにとってはそれを超えるものへと広がらない、という感想です。
ただ、自殺を扱っているだけに、はたして、ロビン・ウィリアムズ自身、死後の世界について、何らかの考えを持っていたのか、いろいろと考えさせられる部分もありました。

亡くなってすぐに、ネットで検索して、Dead Poets Societyを鑑賞、あまりにも切なくて、涙が止まりませんでした。
こちらの方は素晴らしいと思いました。
子どもたちが小さい頃、近くの図書館に通って、私が選んだ本を借りては読ませていましたが、思えばこの映画の原作もその1冊でした。

ロビン・ウィリアムズの訃報は、前回の記事にも書いたとおり、ショックでありました。
その数日後に、ニューヨークで暮らす令泉彰彦氏のメルマガが届きましたが、タイトルが「ロビン・ウイリアムズの死に慟哭するアメリカ」でした。

有名人の訃報は大きな話題になるものだけど、


>8月11日に亡くなった俳優ロビン・ウィリアムズの場合
は、こうした一連の「有名人の訃報」とは受け止め方の次元が違うように思うのです。
>その死は、はるかに広く、はるかに深いインパクトをアメリカの社会に与えていま
す。アメリカが慟哭している、そんな表現がふさわしい雰囲気が、今週のアメリカを
覆っているようです。


と記されています。

何故かという考察に、彼が出演した3つの作品を挙げておられます。
Good Will Hunting、Mrs. Doubtfire、そして上述したDead Poets Societyです。
Good Will Huntingもいい映画でした。
Mrs. Doubtfireでは、大いに笑いました。

そして、


>この三作品ですが、それぞれに人間とは何かという問題のある種の側面を深くえぐ
るような表現に達しているということもありますが、同時にウィリアムズの演じた役
はどれも悲しい役柄であることを指摘しなくてはなりません。


と・・・。

(今この記事を書くにあたり、メルマガを読み直してみたらば、What dreams may comeについても、言及してありました。彼の死後、この作品が見なおされているとのこと。
そうか・・・、このあたりの内容をすっかり忘れていて、たまたま見つけたので買ってきたDVDがそれだったんだわ。)

さて、話を戻し、このメルマガで一番興味深く思って読んだのが、リベラル嫌いのラジオDJの問題発言。
「ウィリアムズを殺したのはアメリカの誤ったリベラリズムである」と言って、物議をかもしたらしい。

そのまま引用すると、


>リンボーは「アメリカのリベラルというのは、いつも無意味な怒りを抱えている」
というのです。「世界に何か悲劇があると、それを直さなくちゃいけない、悲劇があ
るのはイカンといって怒る」、それが「いけない」というのがリンボーの指摘です。
つまり「世界は完璧でないし、理想主義が実現できないことを知ることも必要だ」と
いうのです。

>更にリンボーは、「アメリカの左派というのはいつも罪の意識を持っている」と指
摘しています。「世の中に問題があるから直さなくちゃいけない」と考えて、そうな
っていないのは「自分が悪い」と責める、あるいは「偉い人は皆死んでしまって、自
分だけが生き残っている」と自分を責める、結局「ウィリアムズという人が、(名誉
もカネも)何もかもを手にしながら、内面では不幸のどん底」に陥ったのは、そうし
た左派のカルチャーに原因があるのだという論法です。

>では、どうすれば良いのかというと「期待値を下げること、不幸であることが基本
であってそれを受け入れること」が大事で、どうもリンボーに言わせると、これがア
メリカの健全な保守思想だということのようです。

>ちなみに、このリンボー流の、「左右の対立軸」つまり、「アメリカは理想主義実
現の実験国家」だから「自分の自尊感情などを目一杯投入して理想を目指す」一方で
「社会が不完全であることには、常に自身の力不足という罪障感や憤怒を抱え」て
「ある種の消耗に至る」のがリベラルであり、それに対して健全な保守主義は「期待
値を下げて、足ることを知る」ものだというのは、私は興味深い対立軸だと思いま
す。いずれにしても日本的な左右対立とはずいぶん違うわけです。


非常に面白い指摘だと思いました。

しかし、令泉彰彦氏も、ウィリアムズがリベラルに食い殺されたという考えは、間違っていると思うとおっしゃっています。


>私は、彼が「リベラリズムに食い殺された」というのは違うと思います。そうでは
なくて、時代の動きが激しくなり、それと同時にあらゆる価値観が相対化されていく
時代に、ロビン・ウィリアムズという人は、ヒューマニズムの最も大切な部分に関し
ては守りぬこうと孤軍奮闘してきたのだと思います。その「たたかい」という意味で
は、彼は敗北したのではなく、明らかに勝利して駆け抜けていった、そのことは疑い
得ない、私はそのように信じます。


ああ、また涙が出そう…。

もう一つ、忘れられない作品として、Patch Adamsを挙げておられます。
これは未見なので、機会があったら観てみたいと思います。




話は変わって、何本か買ってきて鑑賞した作品に、Shakespeare in Loveがあります。
これは作られた当時話題になっていたという記憶もあるし、オスカーを7つゲットしたと記されていたんで、けっこう期待してみたけれど、私的には今一つでありました。
シェイクスピアはじめ、当時の他の作家マルローやウェブスターが登場したり、ビクトリア女王が重要な役割を演じたり、やはりアメリカでは、こういうのにグッときちゃうんだろうなあ、というのが感想。
そういや、ずっと昔見たすごくクラシックな西部劇で、アル中のドクターが、シェイクスピアの作品の一部をすらすらと暗唱する場面があり、それでその人物の教養の高さを示す、ってのがあったなあ・・・、なんだっけ、あの映画…。