日本の報道でも、ブリュッセルが大きな話題になったと思います。
テロ警戒レベルが、一番高い4に引き上げられたのが先週の土曜日、日本の身内や友人たちも心配してメールを送ってきました。
なんだかんだ言っても、普通に生活しているので、心配しなくてもいいよ、と返事をしますが、そういう私も、その土曜日には、子供たちのことが心配になって、電話をかけまくったりしたのも事実です。
自分自身のことは目の前にあるのでそれほど心配しませんが、目の前にない噂のみの状態というのは不安をかきたてますね。
メトロの駅が閉鎖され、ショッピング街や観光地の店が閉ざされ、学校も閉鎖・・・。
ベルギーに暮らし始めて26年近く経ちますが、こういう事態は初めてのことでした。
まさしく前代未聞の警戒態勢。
一昨日、レベルが3に下げられ、地下鉄も動き始め、少しずつ普通の状態に近づいてきましたが、街には武装した迷彩服の兵士たちやポリスたちがたくさんいます。
警戒レベルが4になったのは、具体的テロ計画に関する情報をつかんだから、ということでしたが、その具体的内容とやらが明かされないので、何が何だかわからず、ああでもない、こうでもない、と憶測の世界。
ベルギーはもともといろんな意味で「ゆるい」ところ、今月13日の夜のフランスのテロ事件の犯人たちが、ブリュッセルに暮らしていたことから、そのゆるさへの批判が起こったので、「ちゃんとやってるよ」と見せるための「警戒レベル4」なのかしら、と思ったくらい。
まるでブリュッセルがテロの巣窟であるかのような報道に、「テロリストたちはブリュッセルにすんでいたかもしれないけど、皆フランス人じゃないか」と怒ってるベルギー人の声も聞きました。
街の中、サイレンが鳴り響き、何とも言えない重苦しい雰囲気。
そういう中で、テロ対策のオペレーションについて具体的なことをSNS上にアップしないで、という連邦警察のお願いで、メディアも一般の人も自粛。
かわりにネコちゃんたちをネット上にアップさせて、ユーモアでもって雰囲気を和らげる、ってことに。
ポリスの方も、ネコちゃんのえさをツィート。お礼にご褒美、というユーモアです。
こういうところが、ベルギーらしくて好き。
ヌーヴェル・オブスの記事。
http://rue89.nouvelobs.com/2015/11/23/brusselslockdown-belgique-resistance-lolcat-262224
パリのテロの後、ラ・マルセイエーズが歌われたりしていましたが、ベルギーでもしああいう事件が起きても、国歌ラ・ブラバンソンヌが歌われる、ということはないでしょう。
まず、歌える人はほとんどいないし。(笑)
国歌が歌える人がほとんどいない、というと、「愛国心がないのですか?」みたいな質問を受けますが、国歌を歌えないといけない、みたいな雰囲気がないこの国を、だれもが愛しているのです。
それに、公用語が三つあるので、歌詞も3バージョンありますからそろわない。
たとえばサッカーのワールドカップで、試合が始まる前に国歌が流れますが、ベルギーのチームは誰も歌わないはずです。
さて、私はフリーランスでいろんな仕事をしていますが、パリのテロ事件以来、観光の仕事がぐっと減りました。
こういうことは、経済的にも精神的にも余裕が必要な分野ですものね。
一方、報道関係の取材の仕事が入ってきました。
そういうわけで、日本でもすっかり有名になった、モレンベーク地区にも出かけることになったので、その時感じた事など記しておきます。
モレンベークには、世界中の報道陣が詰めかけていました。
そして、撮影をしていました。
「こういう報道内容にしたい」という考えに沿う映像を集めるための撮影です。
中年以上の人たちは、また来たか、ああウンザリ、といった顔をしていて、それでもあきらめムード、怒ったりはしません。
目が合うと悲しい表情で私を見るので、「こんな風に撮られていやでしょ、ごめんね」というと、「あなたも仕事だからね」と。
若者たちは、無視しています。胸の内ではどう感じているのでしょうか。
そして、思春期の年頃の子たちは怒っていました。
投石する子も…。
その姿が、イスラエル兵に投石するパレスチナの子供たちの姿と重なり、私にはショックでした。
まるで2級市民のように扱われ、しかも、珍しい動物でもあるかのように撮影され、声をかけても無視され返事もしてくれない、こういう扱いを受けたら、どんなに不快でしょう。
そういう怒りを抱いているナイーヴな子供たちに、誰かがけしかけたら・・・。
撮影するという行為自体が、テロ行為へとプッシュしていることなのでは、と思いました。
取材に来ている記者やカメラマンも、いい人たちです。
けっして悪気ではない、でも、彼らは彼らで、自分たちを派遣したデスクの要求に応えなければならない、そのデスクは、視聴率をあげなければならないし、視聴者の求める簡単な内容のものを提供しなければならないのでしょう。
ということは、視聴者が何を求めるか、それが「モト」です。
モレンベークの人たちもがんばっています。
青少年育成局は、子供たちが安易な「正義」の気持ちにはまらないように、自分たちができることはけっして遠くにある「戦場」に赴いたりすることではないと教えようと、子供たち自身が作った演劇を上演させたり、ディベートをオーガナイズしたり、過激グループに入りグアンタナモ収容所に送られた経験を持つ人に話をしてもらったり、などなど、あらゆることを試みています。
若い子たちが、自分自身の価値を見つけ、居場所があると感じてもらうのが大切だと。
シリアに渡ってしまった子供を持つ親の会もがんばっています。
泣いてばかりいても仕方がない、同じような子供たちが出てくるのを防ごうと、いろんな試みをしています。
自分の子供を戦場に送りたい親などいない、親の会を始めたお母さんのその言葉が忘れられません。
その地区が物騒だ、とか、親のしつけが悪い、とか、偏見でもって見ないでください。
偏見や憎しみは、まるで呪いの呪文みたいに、悪いエネルギーを生むと思います。
いっぽう、解決への努力や試みを応援することは、祈りの言葉のように、よいエネルギーを生むと思います。
昨日ブリュッセルのグランプラスでは、音と光のショーが、予定通り始まりました。
クリスマス・マーケットもスタート。
暗い冬を乗り切るためのイルミネーションもきれいです。
たいへんな時代ですが、そして、問題の多くは簡単には解決しないでしょうが、楽しくがんばって、できることをやっていかなければ、と思います。