DEMAIN: ゆったりの日々なので、映画を観てきた。


ゆったりのんびりな日々に突入したので、またまた更新。
昨日は映画DEMAIN(明日、という意味)を観てきました。

メジャーな映画館で上映されているスピルバーグの最新作か、3女がぜひ観ようと言っていたマイナーな映画館で上映されているDEMAINか、どちらにしようかしら、と迷いながら、出かけようとコートを羽織ったところで友人から電話。
ちょうど前日にDEMAINを観た、ぜひそちらを観て、と言うんで、それでは、と、DEMAINを観に行ってきました。

DEMAIN

危機を迎えている地球のために、世界のあちこちで自分たちにできることを始めている人々やコミュニティを紹介しています。
食・エネルギー・経済・デモクラシー・教育というテーマで順番に紹介されていきますが、その内容の多くは、紹介されている人々は違っても、以前ここで紹介したマリー=モニック・ロバンが作った映画Sacrée Croissanceと共通しています。

http://d.hatena.ne.jp/shohoji/20141106/1415269003

家でPCで鑑賞するときは、途中で止めて確認したり、再度聞き直したりして、かなり正確に書き留めることができますが、劇場で鑑賞するときはそうもいかないので、Sacrée Croissanceにさらに加えて、なるほど、と思ったことなどを書き記しておこうと思います。

ふたつの映画が紹介する、その地域だけに有効な貨幣を作る話(お札に描かれた人物が、女王陛下ではなくデヴィッド・ボウイだったりしてかっこいい・笑)がありますが、たとえばギリシャの経済危機に注入するお金を、ユーロではなくギリシャ内のみで通用する貨幣にした方がいい、という話、なるほど、と思いました。

そして、現在デモクラシーというコンセプトのために行われる「選挙」のシステムの欠陥を補うために、陪審員制度のように抽選で市民に参加してもらう方法を取るのがいい、という考え。
テキサスでは風力発電を導入するにあたって、この方法で市民に参加してもらったのだそうです。
こうやって責任を担うと、人は勉強します。
勉強の結果、風力発電の導入が行われ、今は米国の中で最も風力発電の盛んな地域になったと。
最も石油に依存しそうなテキサスでですよ、とのことでした。

社会学者の宮台真司さんが、よく国民投票や市民投票の意義を、それを行うことによってみんなが学ぶようになることだ、と言っておられますが、同じことですね。

それと、フィンランドの教育システムも紹介されていて、それにも感心しました。
フィンランドは教育水準が高いことで知られていますが、教育に関わる官僚はとても少なく、各学校の自主性を重んじていること、学校では子供たちそれぞれの学ぶスピードに対応するため、各クラスにアシスタントがいること(子供たちの5割は外国から来た子供たちで、言葉がわからない子もいっぱいいるので学習を手伝う)、試験で評価することをせず(私は、日本社会の大きな問題は受験システムによって、かなりの部分がもたらされていると考えています。)その分「教えること」にエネルギーを投入していること、教育にお金の負担がかからないようになっていること、などなど。
学校では何に一番重きを置くかという質問への「寛容と多様性です。」という答えには、感動して涙が出そうなくらいでした。


というわけで、なかなか良い映画でした。
映画館のチケット売り場には、人が並んでいたのでびっくり。
映画が終わると拍手する人も…。

だって、こういう映画を観ると、励まされますものね。

私は、実はこういう映画を観ると、少し自分を恥ずかしく思います。
29年前、日本を出るとき、メキシコで自給自足で暮らそう、と思っていたんですね。
でも即進路変更。(苦笑)
ベルギーに来てからも、庭に畑を作ったりしていましたが、現金収入を図ることと両立が難しく、今では街でアパートに住んで、ヘラヘラして暮らしていることが恥ずかしい。

自分で何でもやることには、体力がいります。
タイヘンで辛いことなので、人間はいろんな技術を開発してきたのだと思います。
そのあたり、バランスを保ち、自分ができることはやり、できないことは助けを借り、やっていることの意味を考え、テクノロジーの本来の意味を考え、便利だとか、得だとか、そういうことに惑わされないように、せめてこれからは、若い人たちの手伝いをしないとなあ・・・、と思ったりしています。