ブリュッセルのテロ事件で学んだこと:私はベルギーに暮らしていることを嬉しく思う


3月22日に起こったブリュッセルのテロ事件、日本でも報じられたので、このブログを読んでくださる皆さんもご存じでしょう。

その前々日と前日の二日間、私は友達が声をかけてくれたので、ドイツのフライブルグの反原発の行事と、その翌日の、シェ―ナウ電力会社の見学に参加させてもらいました。
特に、チェルノブイリの事故の影響に衝撃を受けて、町の人たちが自力で立ち上げたという、反原発運動の象徴ともいえるシェ―ナウの町の電力会社で、代表をやっておられるスラデクご夫妻の話を聞かせてもらい、とてもおもしろかったので、これはブログにしるしましょ、と思っていたのですが、これについてはまた近いうちに記します。


22日の朝、9時少し前と少し後に、ブリュッセルの空港とEU機関が集まっている地区にある地下鉄マールベーク駅で、それぞれ自爆テロが起きました。
ベルギーを狙ったというより、ヨーロッパを狙ったのでしょう。

ニュースに驚き、マールベークの地下鉄は、私も子供たちもよく通るので、彼女らは大丈夫かと心配する間もなく、取材の手伝いを頼まれて、目の回る忙しさに突入することになりました。

なんとか子供たちの無事は確認、でも、ゆっくり話す暇もありませんでした。

その日から昨日までの1週間、特に最初の3日間は、ほとんど不眠・不休、その後少しペースが落ち着いてから、亡くなった方たちの中に、次女の仲良しの友人がいたことを知りました。
アルバイト先に向かう途中でした。
仕事が始まるには早い出勤だったのだけど、それはその日、掃除の係だったからなのだそうです。
次女が、「お掃除のために死んじゃったよ、ママ」と泣いていました。
さらに、長女のボーイフレンドも同じ地下鉄に乗り合わせており、たまたま被害の少ない車両だったので、無事に脱出できたそうです。

去年の暮れに、フクシマに関するドキュメンタリーを制作しているベルギー人の映像作家の、日本語インタビューをフランス語に翻訳する仕事をさせてもらいました。
そのドキュメンタリーを作っていた監督さんも亡くなりました。

ブリュッセルは小さな街です。

知り合いの知り合いを、友だちの友達を、たどっていけば必ず共通の知人に到達するくらい、みんなが身近な街です。

取材の仕事では、何回もタクシーを使ったので、運転手さんたちともいろいろお話をしました。
こちらの運転手さんは、ほとんどが移民、あるいは移民の2代目です。
ほとんど、モロッコチュニジアアルジェリアなどの出身。今回の運転手さんには、クルド人だ、という人もいました。
ベルギーで生まれ育ったモロッコ人の若いドライバーが、ここで生まれ育って、それなのにここまで憎む犯人の気持ちがわからない、と言っていました。
また、他のモロッコ人ドライバーが、犯人には同情のかけらも感じないが、彼らの母親のことを思うと胸が痛む、と言っていました。

ほんとうにわからないことがいっぱいです、
彼らは、背後にいるなんらかの大きな闇に、捨て駒としていいように乗せられた愚か者だとは思いますが、愚か者は、私自身も含めいくらでもいます。
あっち側とこっち側、その紙一重みたいな境を踏み越えさせるものは、いったい何なんでしょう。

日本の新聞報道をちらっとだけ読んだのだけど、またもや「移民政策の失敗」という論調だと思いました。

もちろんパーフェクトなものではなかったでしょうが、そんな風に「失敗」という一言で片づけられると、いや、それは違う、と言いたくなります。

「失敗」というより、今までのやり方ではどうにもならない時代に突入した、という方が正しくありませんか?

まるでテロの巣窟のように世界中から注目を浴びたモーレンベークも、移民の割合が多いとはいえ、庶民的な普通の地区です。
ベルギーには「スラム街」みたいなところは存在しません。
今回ニュースに登場したフォレもスカールベークも同様です。

上述したように、今までの方法じゃどうにもならない問題が発生しているので、どこの地区も、特にモーレンベークは、以前パリのテロの際にこのブログに記したように、本当に一所懸命、若者の過激化を防ぐための努力をしています。


今回のテロで脚を失った被害者の人、娘を失ったTV局の記者、そういった人たちを始め、誰も「憎しみ」を口にしていません。

憎しみを表しているのは、フーリガンの連中など、ほんのごく一部にすぎません。

もちろん、生き残った人も、事件に出くわした人たちは、救急隊も含め、心理的にとても大きなトラウマを抱えることになっていますが・・・。

脚を失った人が、「偏見を持たないで」と呼びかけていました。
娘を失った記者は、法律家であった娘さんが、彼女が人権のために動いていたこと、そして、人の間に壁を作るようなことは彼女が喜ばないこと、だから壁を作らない社会を作るために生きていきたい、と、そして、犯人を憎む気持ちはない、と、そう言っていました。

街にも、追悼に集まる人は、誰も憎しみを表しません。
こういう問題に対する武器は「愛」だと、誰もが言います。

フクシマのドキュメンタリーは、まだ完成まで一息だそうで、仲間の人たちが仕上げると言ってます。

私は、こういう方たちの在り方に、社会の価値観、人権とか多様性といったもの、そういうものを再確認して感動しました。

難しい時代だけど、こういう理想を皆が捨てなければ、たとえ時間はかかっても、きっとよい時代がやってくると思います。

日本が今回のテロから学ぶべきことは、まだ自分たちが試みたこともない移民政策の「失敗」よりも、この欧州人が理想とする価値観なのではないでしょうか。


ブリュッセルの人たちを見て、ああ、ベルギーに暮らせてよかった、と嬉しく思いました。
今はまだいろいろ思い出すと涙がでてきますが、これからも、今まで同様、楽しく自由にやっていくぞ、と思っています。