ブリュッセルのプライド、その他いろいろ


ブリュッセルのテロ事件から2か月近く経過しました。
日常生活はほとんど正常な状態になり、春になったら10月末まで毎週のように行われる、市民のためのありとあらゆるイベントも、予定通り行われています。

でも、身近な人を失った方たちや、自身が被害を受けた方たちは、生涯このテロ事件と生きなければならないことを思うと、胸が痛みます。

ただ、多様性と寛容を社会の価値観としているからには、それを揺るがせずに生き続けないとね。
前回の記事に記した、被害者のお父さんの言葉のように、人と人の間に、壁を築くなんてことをしないで・・・。
仲良しの友人を失った次女クンも、涙をいっぱいためながら、「自分の出会うありとあらゆる人に、心から親切にすることで、社会の問題と闘う」と言ってました。

テロ事件が起こった時、各国の首脳たちから追悼の言葉が述べられましたが、イスラエルのネタニヤフだけは、「ベルギーはリベラルを気取り、チョコ食べながらヘラヘラしているからこんな目に遭うんだ」といった趣旨のことを述べているのをニュースで見ました。
ムカつきました。
多様性と寛容を「ヘラヘラ」と呼ぶなら、勝手に呼んでもらってけっこうであります。


さて、昨日、ブリュッセルで毎年恒例のプライドが行われました。
今年で21回目です。

テロ事件の後ということで、「今年もやるの?」という声もあったようですが、主催者は、こういうときだからこそやる、と。
これは、楽しくやろうという「自粛」の反対の意味ではなく、こういう時代だからこそ、排除される人が出ない社会を、と訴えるためなのです。
とても深い意味なのです。

友人のジャーナリストが誘ってくれたので、スタート前のVIPレセプションに参加してきました。
首相も、市長も、他の有名人も笑顔で参加していました。
でも、ディスクールは当事者たちのみ。
首相がなんだかんだ口をはさんだりするような場面はなし、でした。
今年は、6月にリトアニアでプライドを企画しているオーガナイザーもディスクールをしました。
東ヨーロッパの人々は、西ヨーロッパよりLGTBへの理解が遅れているということで、こちらの皆が応援にいくそうです。

もう少ししたら、ベルギーでは、性別が自分で決められるようになります。
精神科医に証明してもらう必要も、治療や手術を受けなくともよくなるのです。
まるで「病気」であるかのように扱われる必要もなく、経済的・時間的な負担もなくなります。
すばらしいことです。


オーガナイズしたアランさん(左)と第1回目のプライドをオーガナイズしたシルさん(右)





精神科にかかる必要なし、というプラカード。
今年のキーワードは、≪決めるの私≫でありました。
















サン・ミシェル大聖堂が背景に。























さて、ずっとここに記したかった、シェ―ナウの町の電力会社の話ですが、ずっと忙しくて、なんだか機会を失ってしまった…。

Youtubeに、この会社に関するドキュメンタリーがあるので、それを貼りつけます。




とても素敵なウルスラさん。


いただいた「原発不良」(笑)Tシャツ。



シェ―ナウを訪ねた前日に歩いたフライブルグの街。



シェ―ナウの町を訪問できたのは、さよなら原発デユッセルドルフの皆さんのおかげです。

ここを訪ねた翌日にテロ事件が起こってしまい、そのまま怒涛のような生活に突入してしまったので、まだお礼の一つも述べていません。

今からお礼のメールを送ろうと思います。