来年がよい年であることを願いつつ、今年最後の更新です


今年初めに、心から平和なよい年であることを願いましたが、残念ながら、悲しいことや怒りを感じることばかり続いた2016年でした。

人類なんて、何千年かけてもちっとも進歩しないのだろうか、たとえ「3歩進んで2歩さがる」というリズムでも、全体を見たら少しずつ進歩していると信じたいなあ、と。
そういう話を、先日ブリュッセル自由大学で行われた哲学学会に参加された日本の哲学者の方に言ったら、そういうことを研究するのも、ほんとうは哲学者の仕事なんだけど、との返事をもらい、そうか、と、ずっとそんなことを考えています。
そういう研究をしている人は誰だろう、と。

そしたら先日、ベルリンでのテロ事件の直後に、arteでいつも放送されている、ゲストを招いて時事問題について語り合う28minutesという番組に、フランスの哲学者・科学史家であるミシェル・セールがゲストに招かれていました。
ああ、そうだった、この人は人類の進歩について語る哲学者だった、と思い出しました。

人類が経験したことのないカタストロフに直面した時、いつも新しい人々が現れて、それを解決する方法を見つけ出す、という、非常にオプティミスティックな考えをする人です。

人類の歴史は暴力だけではない、と言っていました。
そして、今でも、フランスとドイツの国境を自由に超えるとき、自分は感動に涙する、と。

それで、前述の哲学者さんに「新しい人々」の話をしたら、新しい人々とは一種の希望のことかもしれない、「受胎告知」もそのような希望かもしれないですね、と言われました。
おお、受胎告知か!
なるほど、と、さすがの連想に感心してしまいました。
でも「どこかで歴史は退歩に向かっていくのではないかという思索も必要」と…。

さらに、いつもTBSクラウドで聴く荻上チキさんのラジオ番組で、≪新刊『地球の歴史」が話題の鎌田浩毅さんプレゼンツ!一歩間違えば今の地球はなかった!?地球46億年の5大事件」≫を聴き、やはりなんだか気持ちが大きくなって、少し元気が出ました。

地球の何十億年という歴史や、宇宙の壮大な歴史の研究をしている方たちは、概してオプティミストなのかな?

宇宙から見たら、私がいつもむかつく人々や、私が尊敬してやまない人々や、私自身や、みな埃ですらないのかもしれないですもんね。

その埃にも満たない私も、日々生きています。
大切な人々には、健康で充実した人生を送ってほしい。

というわけで、今年最後の記事を〆にします。

明日は私の誕生日なので、子供たちがそれぞれボーイフレンドと一緒にお祝いにやってきます。
ありがたいことです。