日が短くて、暗い。
ここ数日ほとんどお日さまも照らないんで、よけい暗い。
暗いと何もしたくない。ほんとになーんにもしたくない。
それなのに、考えないといけないことや、注視しておかないといけないことがいっぱいありすぎて、困ってしまう。
このブログに、そういうことを忘れないように記しておこうと、しばらく前から思っているんだけど、暗いもんだからその力もわいてこない。
記そうと思うと、人さまが読むこともあるのだから、いいかげんなことは書いてはいけないし、ちゃんと記す前にいろいろと調べて確認もしておかなければ…、なんて考えるので、よけい力が湧いてこない。
ベルギーでは、今ちょいと騒ぎになっていることや議論になっていることがいくつかあるんで、そのことを記しておこうと思っているんだけどね…。
そういうわけで、あまり確認もしないまま書くんで、事実関係に間違いがあるかもしれません。
日本でも話題になっているイエローヴェストのマニフ。
フランス同様ベルギーでも行われていて、先週の土曜日にも行われ、そして今日も行われました。
先週は破壊行為に及んだ人たちがいたんで、今日はより多くのコントロールが行われたようです。
その翌日の日曜日には、地球温暖化に関するマニフが行われ、これはホントに大規模で、ベルギー中から75000人の人がブリュッセルに集まりました。
このときは、国鉄も運賃を安くし、ブリュッセル市内のメトロ・トラム・バスも無料になったので、より人々が集まりやすくなったことも関係しているでしょう。
実はその前に、ブラックフライディっていうんで、買い物する人のために国鉄が運賃を安くするというサービスをしたらしい(私はこんなことしてたの知らなかったけど)、そこに環境問題が深刻なテーマになっているこの時代に、こんなことだけに安くするなんてなによ、という批判が起き、それでマニフのためにも安くした、ということらしい。
ブラックフライディなんて、以前は話題にもなってなかったのに、たしかに、何よそれ…、という気がするよね。
で、これだけたくさんの人が、しかも非常に平和的に意思表示をしたのに、ベルギーはCOP24の環境問題に関する指令について反対と答えちゃった。
これだけの数の市民が意志表明したというのに、政府の態度は何よ、と多くの人が失望し怒っているわけです。
ちなみに、イエローヴェストに対して、環境問題でマニフしている人たちは、グリーンヴェストなんて呼ばれてます。
そして、あなたはどっち?といった質問に、どちらでもある、という人たちもいっぱいいます。
それと、国連による難民に関する協定に関する問題。
この協定に賛成するなんて許さない、と、連立政権のうちの極右に近い片っぽが脅しをかけてきたのです。
もう片っぽの中道右派政党に属する首相が、その協定のためにマラケシュに行こうもののなら、自分たちは連立政権を降りる、とまで脅されてます。
そういうわけで、政府が崩壊するかも、という状況にあるベルギーです。
極右に近いN-VAという政党、その背後には極右のヴラームス・ブラングがいて、実は今、ブラームス・ブラングを支持すると言って、米国のバノンとフランスのル=ペンまでアントワープに来てる状態。気持ち悪すぎる。
(ちなみに今この記事を書いている最中、この件に関して、首相の記者会見がライブで中継されているところ)
↑ というわけで、今首相の記者会見での発表を聞く限り、
「すでに7月にベルギー国として協定を支持することを表明し、また今回のN-VAの«待った»の後、国会でも協定を支持することが絶対多数によって支持された。私はマラケシュに行く。N-VAは従って政府から退くことになる。」
とのことであります。
よく耐えたね、ミシェル首相。
でも、これに堪えられなかったら、この政党に次はないもんね。
堪えるしかあるまい。
この件に関しての議会での議論もライブで中継してましたが、そのとき、この協定を批准しないなんて、伝統的ベルギーの国の在り方に反する、と言ってる議員がいて、ちょっと感動しました。
さて、上述したような問題と少し異なる、過去を問う問題も。
2013年から改修工事に入っていたアフリカ博物館が、またオープンします。
今日が落成式で、明日から一般公開。
Home | Royal Museum for Central Africa - Tervuren - Belgium
これを機会に、ベルギーの植民地政策を振り返る動きがあるのです。
所蔵品を返すべきか、といったことも含めて。
以前は、コンゴの人たちの視点など一切抜きの、偏見に満ちた展示だったのだけど、新しくなった今は、反省の下に大きく変えられたそうです。
追記:加えて、これまで全くなかった「女性の視点」もスタッフに女性が加わることでなされた、とのことです。
ニュースやドキュメンタリー番組などで、植民地支配していた時の状況が取り上げられています。
そういえばずっと前に、MIXIの日記に、レオポルド2世に関して記したことがあったなあ、と思い出し、探してきたので貼り付けます。
中に貼り付けている3つのリンクのうち、今でも読めるのはひとつだけですが。
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2005年11月の日記
LE ROI BLANC, LE CAOUTCHOUC ROUGE, LA MORT NOIRE
わたしは見ていないんだけど、2日か3日前の夜、arteで放送されたドキュメンタリーのタイトルです。
http://www.arte-tv.com/fr/semaine/244,broadcastingNum=500395,day=7,week=45,year=2005.html
クマが見て、たいへんなショックを受けて、いっぱい話してきかしてくれたのですが、わたしも全然知らなくてショック・・・、ちょっと衝撃的ですが、みなさんにもお話します。
ベルギーの独立は1831年、国としては非常に若いのですが、2代目の王様レオポルド2世の頃が、一番豊かでした。
なぜ豊かだったかというと、ベルギー領コンゴと呼ばれた植民地を持っていたからです。
このコンゴ、実は最初、レオポルド2世個人の持ち物でした。
それを後にベルギーの国のものとしたのですが、ここまでは、一応わたしも知っていたのです。
驚くのはこの王様の支配の仕方。
ある人は、ヒットラー、スターリン、ポルポトと並ぶ虐殺者として並べているほどです。
この番組のタイトルは、白い王=レオポルド2世、赤いゴム=生産されアントワープ港に下ろされるゴムは黒人奴隷たちの血で赤かった、黒い死=虐殺された黒人たち、を、それぞれ指しています。
レオポルド2世、反ヒューマニティの罪で、つい最近、裁判にかけられるところを、資料等すべてブリュッセルのラーケンにある王宮で、証拠隠滅のために焼却してしまったらしい。
日本語で検索したら、
http://d.hatena.ne.jp/Gomadintime/searchdiary?word=%a5%e2%a5%ec%a5%eb
こういう日記を発見。
前述のドキュメンタリーの内容と大きく重なっているので、ご覧ください。
ベルギー領コンゴ、「切りおとされた手の国」と呼ばれていたらしいです。
ゴムの生産量が少ないと、奴隷たちは1回ごとに指を1本ずつ切られ、しまいには手を切り落とされてしまい、それでもゴムの木に登って働かなければならなかったらしい。
リベラシオンの記事「切りおとされた手の国」です。
http://home.tiscali.be/be074683/coupees.htm
絶句・・・。
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↑ こういうことも含めて、今また皆が過去を振り返っているところです。
レオポルド2世のことを書いた日記を探していて、こんなのも見つけちゃった。
コンゴの話にも通じているし、貼り付けておこう。
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2006年4月、ポルトガルやスペインを家族で旅行したときの日記
メデリンの町の丘の上には、14世紀に建てられ15世紀末に修復された教会があって、エルナン・コルテスがそこで洗礼を受けたのだそうですね。
こういう小さな町の地理的構造は、それこそ500年経とうと、ほとんど変わっていないでしょうから、丘の上から町を見下ろしつつ、ああ、コルテスも、こうやって町を眺めたことがあったのだろうと、なんとも言えない気持ちになりました。
そうやってぼうっとしていると、おじいさんがひとり近づいてきて、話しかけられました。
クマが相手をしていましたが、私たちがメキシコにいたこと、長女がメキシコ生まれであることを知るととても喜び、
「コルテスのおかげで、あの連中も、怪物を祭ったりいけにえをしたりするような、恐ろしい信仰から開放されたのだからねえ」
と、誇らしげに語ったりしていました。
それを聞いていた子供たちが、この時代に、まだそのような発想でものを捉える人たちがいるのかと、メデリンを去りながら、たいへんショックな様子でした。
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力が湧かないわりにはがんばったぜ。(笑)