毎日「今日はこれを済まそうリスト」を作ります。
引き受けた仕事がないとき、誰かとの約束がないとき、怠け者の私は、これを作らないとついついダラダラと過ごしてしまい、後でちょいと後悔することになって、精神衛生上よくないので。
だけど、この「リスト」、自分で作っておきながら、これはこれでけっこうストレスなんですよねえ。
簡単に済むことはいいとして、ちょっと気合を入れないといけないこともあるんで。
前回記事をアップしてからそろそろひと月、今日は「ブログを更新する」をリストに入れてしまった…。
そういうわけで、またまた備忘のために書き留めておきたいこといくつかであります。
まず、最近観た映画 ROMA
いろんな賞を取りまくっているらしいし、懐かしいメキシコの映画だし、これは観に行かねば…と、12月に公開され始めたときから思っていました。
15年くらい前に観たTemporada de Patosをイメージしてしまいましたし。
1968年にトラテロルコ事件の起きた広場にその後建った住居ビルの中の、アパート内での何時間かの出来事を描いたもの。
お金はほとんど使ってない映画で、思わずクスクス笑っちゃう、なんとも言えない映画で、けっこう好きだったのです。
でもROMAは、Temporada de Patosとは、ずいぶん異なるものでした。
監督の幼少時代の思い出をもとに描いたものなのですね。
何故この映画がたくさんの賞をゲットしたのかな、とずっと考え中。
日本の人たちの感想をちょいと見ると、うーん、どれも私の感じたものとは全然違う。
住み込みの家政婦クレオ、雇い主にそれなりに大事にされていて、その家の子供たちもなついているので、「心温まる」「優しい」みたいな感想ばかりでありました。
優しい人も、意地悪な人も、ケチな人も、寛大な人も、どこの社会にも同じくらいの割合でいるのだと私は思います。
私の知ってるメキシコの家庭で、家政婦さんに意地悪なところはひとつもありませんでした。
この映画が描いている家政婦さんと雇い主家族の関係は、けっこう当たり前のもので、全く特別なものじゃないと思います。
私は映画を観ながら、あ、そうだった、といろんなことを思い出しました。
家政婦さんがやってくれるので、家には洗濯機も掃除機もないこと。
路を渡るときはいつも、車にはねられそうでびくびくしたこと。
メキシコでトルタというと、ボリージョと呼ばれるプチパンに、いろんなものを挟むサンドイッチだったこと。
(仏語の字幕スーパーでは、タコと訳されていて、間違ってるじゃん、と思ってしまった)
メキシコのいわゆる中流家庭の子供である友人が、市場で働いている人々が交わしている会話が全然何言ってるのかわからない、と言ってたこと。
長女をメキシコで出産したとき(私の場合は、映画に出てくるような大病院じゃなかったのですが)、医者が何人もついてくれて、ベルギーよりもずっと手厚かったこと。
などなど。
クレオに妊娠させちゃうフェルミンには、ルイ・マル監督の「さようなら子どもたち」と、だいぶ前に読んだ本、「コーラを聖なる水に変えた人々」を思い出させられました。
次は今年の旅行計画。
今日の記事のタイトル、ローマだからイタリアか、と思わせてしまいますが、これはまた全然異なる流れで、6月にイタリアを旅行することに決めました。
いつもとても楽しみに読む竹下節子さんのブログの記事に、↓というのがあって、読みたいなあ、と思ったのですが、なんといっても積読状態の本が山ほどあり、もう死ぬまでに持ってる本が読み切れないんじゃないか、と、「もう本は買わない」と決めた私。
「1935年に聖書の中国語訳に着手して2012年に故郷のシチリア島で列福されたフランシスコ会のガブリエル・アレグラが1942年から45年に北京でテイヤール・ド・シャルダンとかわした会話の記録のフランス語訳」
本って、所有の欲求もそそられますしねえ。
悩ましいことだ、と言ってたら、毎年うちに遊びに来てくれる大学時代の下宿仲間が、35年前に一緒にアッシジを訪ねたことを思い出すねえ、と。
彼女のパートナーが当時フィレンツェに留学していて、そこを拠点に、ふたりでアッシジにも行ったのでした。
鉄道駅からまっすぐ歩いて行く道すがら、たしか5月中ごろだったと思う、ポピーの赤い花が咲いていたのが記憶に残ってます。
聖フランシスコ教会に日本人の神父様がいらして、案内をしましょうと言ってくださったのに、あまり時間がなくてお断りしたのです。
今思えば、なんともったいないことをしたのだろうと悔やまれます。
そんな話をしているうちに、また行きたいね、ということになったのでした。
思いついたらすぐに具体化しないと、またまた「行きたいね」という話だけで終わっちゃうんで、即フィレンツェまでの航空券ゲット。
ボローニャ→トリエステ→フェッラーラ→アッシジ→フィレンツェと2泊ずつくらいで宿もゲット。
楽しみなことです。
1月29日に橋本治氏が亡くなりました。
実は私は本は一つも読んでいません。
だけど、気になる作家さんのひとりでした。
で、内田樹氏のブログの追悼記事がおもしろかった。
>自分の主観的判断を自制することのできる人は少なからず存在するが、「自分の知っていることを知らないことにする」という技術を駆使できる人は少ない。
ずーっと昔、大学生だったころ、すごいおバカを主人公にした少年マンガで、主人公が「クイズしらんぷり」に出場するってのがあったのを思い出してしまった。
クイズが出され、その答えを最後までしらんぷりできるものが優勝するってやつ。
みんな我慢できなくてつい答えてしまって失格するけど、主人公はほんとに知らないから優勝。
って、内田樹さま、アホなことを思い出し、申し訳ないけど、このマンガもある意味、深いよね。
>実存主義者はその昔「私が何ものであるかは、私が何を思ったかではなく、何を成し遂げたかによって決まる」ということを主張していた(遠い昔のことなのでうろ覚えだが)。その理説に即して言えば、「橋本治」は意志と行動の間のタイムラグがあり過ぎて、ほとんどの行為について、「やろうと思ったけれど、途中で自分が何をする気だったか忘れた」「なんか、どうでもよくなった」ので、実存主義的には何ものでもないことになる。
不遜ながらめちゃくちゃ親しみを感じてしまった。
最後、ヤン・ファン・エイクについて。
人類の宝ともいえるゲントの祭壇画「神秘の仔羊」は、もう数年前から少しずつ修復中です。
三連祭壇画を開いたところの下段が今修復中ですが、その修復が終わった時点でゲントでヤン・ファン・エイク展が行われます。
2020年2月から。
もうチケットが売られ始めてます。
まだ1年あるのに、時間予約制のチケットが、少しずつ売れ始めてる。
すごい。
去年6月のニュースで、ファン・エイクが描いた仔羊くんの顔が、今まで見ていたものと全然違うことが判明。
びっくりしたことでした。
修復の様子は、ゲント市美術館で観ることができます。
↑のニュース後としては初めて、久しぶりに昨日観に行ってきました。
土曜日だったので、修復活動をしている人たちはお休みでしたが、5枚のパネルが見やすく並べられていました。
上に重ねられたものを剥がすところまで終わった様子で、今後今年いっぱいかけて、忠実に色が整えられていくのでしょう。
ということで、おしまい。
リストのひとつが消せる。めでたい。