ここんとこずっと、春を思わせる晴天と暖かさ。
10日ほど前には、最高気温が18度を超え、これまた気象台始まって以来とニュースで言ってました。
カーニヴァルの頃はいつも寒くてたまらないのに、その後も毎日昼間は気温も15℃近い。
気持ちいいので、仕事がオフの今日は、午前中から窓をずっと開けっぱなしにしています。
午後5時ごろになると、お日さまの角度が低くなってひゅんと冷えてきますから、そしたら窓は閉めないといけなくなるんだけど。
前回の記事にちょいと記したように、メキシコ映画ROMAの登場人物のひとり、フェルミンにルイ・マル監督のAu revoir les enfantsを思い出させられました。
コレージュで雑用の仕事をしていた登場人物、なんという名前だっけ…、と考えていたらば、ちょうどうまいことにベルギーのフランス語TVラジオ局RTBFで放送されたらしく、サイトから視聴できることを発見。
おお、いいタイミング!とばかりに鑑賞することに。
1987年のこの作品、劇場で観たことはありません。
最初に観たのはTVで。
次女の出産の手伝いで、今は亡き母が日本から手伝いに来てくれていて、一緒に観たのでした。
母は、言葉なんか全然わからないくせに、泣きながら観てました。
そして観終わってから、当時2歳だった長女を抱きしめていました。
そういう思い出と結びついた作品です。
そういえば、長女の出産の少し前から子供たちが少し大きくなるまで、映画館で映画を観ることなんてありませんでした。
でも、TVでよい作品がけっこう放送されるし、放送中にコマーシャルで中断されることもないので、それほど深刻な欲求不満を感じることもなかったなあ、と思います。
コミュノテ・フランセーズ(フランス語圏の文化・教育などにかかわる政府)がやってる映画や音楽のディスクを借りれる図書館みたいのがあって、そこからよくDVDを借りて、よいと思う作品は、子供向けであるなしにかかわらず、子供たちと一緒に観ていました。
そうやってDVDで鑑賞したのが2回目。
(子供たちが大きくなって、「たとえよいものでも、子供の世界の見え方は、大人のそれとは違うから、作品によってはトラウマにもなったよ」と意見されましたが…。すんません>子供たち・苦笑)
で、今回観たのが3回目、ということになります。
思い出せなかった登場人物の名前はジョゼフでした。
ルイ・マル監督の1974年の作品 Lacombe Lucien も同様にTVで観たのですが、この作品の主人公ルシアンも「ジョゼフ」。
そして、ROMAのフェルミンも「ジョゼフ」。
ネットでいろいろ見てたら、こんな興味深い記事を発見。
この映画が撮影された町で、撮影にかかわった人たちへの、30年後のインタビューです。50分ちょっとの音声あり、です。
1987年にルイ・マル監督に行われたインタビューも、4分くらい聞けます。
後者のインタビュアーは、かなりおバカ、というか、ありえない質問の仕方で、ちょっとむかつきましたが…。
11歳だったルイ・マル監督自身の経験に基づいた作品が Au revoir les enfants なわけだけど、ジャン神父のモデルになったジャック神父のことを密告したのが誰なのか、本当のところは謎のままなのだそうです。
証言によるとゲシュタポは、かくまわれていた3人の少年がいる3クラスと、フランス語の授業をしていたジャック神父のところへ直行したそうなので、ちゃんと情報を得ていたことは間違いない、とのことでした。
監督が、この体験がずっと「何故?」と自分に問いかけ、これだけ時間が過ぎても、何故だかわからないままだ、と答えているのが印象的です。
ずっと昔に読んだアハロン・アッペルフェルドのインタビュー記事を思い出してしまった。
この人も、この自分自身の体験について、ずっと「何故?」と問い続けてきたが、今になってもわからない、と答えていました。
目の前で母親や祖母が撃ち殺され、強制収容所へ。
たまたま電流の通ってなかった鉄条網から脱出して森へ逃げ、盗賊団にかくまわれて生き残ったという体験は壮絶だし、何より私にとって忘れられないのが、「やっぱり子供だったんですね、森で遊んだ記憶があるのです」という話でした。
以前この日記でも触れた、アンドレ・グリュックスマンも、カトリックの宿舎でかくまわれて生き延びたひとり。
年を取った分、思い出も増え、少しは知っていることも増え、同じ映画作品一つとっても、自分の感じ方も「増えて」きた気がするなあ…。