3月も残すところ1週間。
速いですねえ、年が明けたばかり(?)なのに、もう2019年も4分の1が終わりです。
このペースだとあっという間に死んじゃう時が来ますね。
命短し、しっかり楽しまねば…。
天候は3月らしく、あったかいかと思えば骨にしみるような冷たい風が吹き、晴れているかと思えばいきなり真っ黒な雲がやってきて霰が降ったり、コロコロ変わります。
でも、確実に日は長くなり、春分の日も過ぎたので、これからは夜より昼が長い。
寒かろうが雨が降ろうが、ケッてなもんです。(笑)
今月最後の土・日の間に時計の針を1時間進めると、ますます日が長くなる。
嬉しい。
今年でサマータイム制が終わりになるかもしれませんが、そのときは1時間進めた針を10月になっても戻さないってことになる確率が高そうです。
そうなると一番日が短い時は、午前10時くらいにならないと明るくならない。
ゲゲゲッという気がしないでもないけど、みんな日が暮れるのが少しでも遅い方がいいと思ってるってことでしょうね。
追記:今日26日のニュースによると、サマータイム制が終わるのは、2021年になるそうです。この年、3月に針を1時間進めたらそのままにしておく、もし標準時間つまり冬時間の方を選ぶなら、この年の10月に針を戻す、ということになると。
前回の記事で紹介したブリュッセルのローカル通貨ジンヌも、21日からスタートしました。
このお金を使える場所も、私が説明を聞きに行った時の倍に増えていました。
私も早々にいくらか両替しに行くつもりです。
さて、16世紀の画家、ピーター・ブリューゲル1世が亡くなって今年で450年。
今年いっぱい彼の地元であるベルギーでは、様々な展覧会などが催されます。
今ブリュッセルのBOZARでも、彼の生きた16世紀に関わる二つの展覧会が開かれています。
ひとつは Bernard van Orley展。
この人の作品は、実を言うとあまり好ではなく、今までなんとなく見ないふりしていたのだけど(笑)、こうやって体系的に、当時の歴史的背景などを踏まえながら観ると、やはり面白く見応えがありました。
カルロス5世の叔母さんにあたるマルグリット・ドートリッシュのお気に入りだった画家さん。
ルーヴル美術館所蔵の、ほとんど門外不出のすごいタピストリーも展示されていました。
もうひとつは16世紀の版画展。
これは昨日観てきました。
デュ―ラーから始まり、ブリューゲルが亡くなった後のフィリップ・ガルのアトリエで刷られたものまでが展示されていました。
絵画に比べ、版画は大量生産できるので、人々の手に入りやすいものだったこと、それこそブリューゲルのエグイ作品は、19世紀の風刺画や、今の時代で言えばシャルリィ・エブドのような役割を果たしていたこと、宗教紛争で世の中が平和でなかった時代、持ち運びが簡単で再生も可能な版画がより発展できたこと、などなど、興味深いことです。
技法自体は、1520-21年にネーデルランドを旅し、アントワープに長居したデュ―ラーに多くを負っているとのことです。
すごく緻密な作品の数々…。
ベルギーにはだれでも行けてほとんどお金のかからない美術学校があって、けっこう充実した設備と内容を持っています。
モンスに住んでいた頃、ちょっと郊外にある学校に通ってましたが、こんなに設備の整ったところは近くにないから、と、フランスから国境を越えて通ってきている人もいました。
私が入っていたのは、デッサン、BD、焼き物、それに美術史の4クラス。
とても良い成績だったのであります。
(ってか、センセは誰にも悪い点数はつけなかったのだと思う、みんな好きで通ってきてるだけで、いい成績が欲しくて来てるわけじゃなかったから)
ときどき油絵のクラスに潜り込んだりもしてました。
よそのクラスから勝手に入り込んでも、先生は怒らないどころか快く迎えてくれます。
そのころからエッチングがやりたくて、ブリュッセルに引っ越してきてすぐこの地区の美術学校の版画のクラスに入ったのです。
(ブリュッセルの19のコミューン、それぞれが、誰でも通える美術学校や音楽学校を持っています。)
1870年代、その頃ブリュッセルで暮らしていたロダンのアトリエがあったあたりです。
最初は楽しかったんですけどね…、緻密な作業が向いてなくて挫折。(苦笑)
それだけに、版画展の作品、見れば見るほど、すごいな、と感じたことでした。
しかも展覧会はミュージアムパスを持ってたら無料。
嬉しくってしょうがない。
去年9月からスタートしたミュージアムパス、1年間50ユーロで、ベルギーの100以上のミュージアムで使えます。
去年6月、本格的に始まる前に、6000枚限定で前売りされたときに即ゲットしたのであります。(これは1週間もたたないうちに売り切れ。私は前売り初日、スタートした朝9時に速攻で入手したのである)
さて、またまた竹下節子さんのブログで読んだ記事です。
この記事で記されているarteのインタビューというのはこれです。
たぶん ↑ のサイトは、日本では視聴できないと思うので、Youtubeで見つけた動画を貼り付けます。
↑ は5分足らずで、インタビュー全部は聞けないんだけど。
ハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」というのはとても有名ですが、それに対するかのように、ここでは「善の陳腐さ」という言葉が使われます。
エスブールが、「アーレントは善の陳腐さという言葉こそ使ってないが、同じことを語っている」と言ってました。
竹下さんが書かれているように、
>「普通の人」が陳腐な悪の方に振れるのか、陳腐な善の方に振れるのか、その差はごく小さいのかもしれない。
と私もずっと考えていて、私みたいな人間でも、陳腐な善の方に振れることができるような、そういう社会に生きたいと思っています。
先日友人とお茶していて、うちの子供たちの話になりました。
他人から見たらなんだかフラフラちっとも安定してないみたいな3人娘なのだけど、母親の私はちっとも心配してないのだといった話。
その時は友人に、彼女らは友人に恵まれてるから心配してない、と言ったんだけど、その後もしつこく何故心配しないのか自分でも不思議で考え続けていて、そして、彼女たちの価値観に共感しているからなんだ、とわかっちゃった。
そいういえば、今朝興味深く読んだ記事がありました。
この方の <個>からはじめる生命論 という本、もう10年以上前に日本の知り合いの方からいただき、とても興味深く読み、良い本だと思ったことを思い出しました。
今すぐ何かに役立つ、とか、利益になる、とか、そういうのじゃない一見ムダっぽいことを、ああでもない、こうでもない、と、自分の頭で一所懸命考えることって、大切ですよね。
ましてや、いろんなことがうまくいかなくなり、核になる部分を壊し、作り直し、構成し直し、といった作業が必要な今の時代ですから。
これからしばらくものすごく忙しい時期に突入するので、ここんとこ考えていたことを全部忘れないように書き記しておこうと思ってたけど、もう疲れちゃったのでオシマイ。
私にとってけっこう重要なことを考えたんだけど、書かないと忘れちゃうだろうなあ…。