ここんところ考えたことを忘れないようにするために、今日もブログを更新しちゃいます。
でもその前に、昨日のニュースで、とても重きを置いて報道されたことをふたつ。
まず、今回のコロナ禍での死亡者数その他の数値について。
ベルギーでの死者数って国の規模の割にけっこう大きいんですけど、これは病院以外で亡くなった方たち、とくにホームで亡くなった方たちのうち、コロナウィルス感染ゆえだろうと疑われるもの全てを計上している、というのが大きく反映されているからです。
これは非常に透明性高く実際の数値に近いということで、WHOが高く評価し、どこもこのやり方を取るべきだと言っている、というニュース。
もうひとつは、今回のコロナ禍において、老人ホームにおける対策がかなり後回しになったことへ、あらためて強い批判。
以前にもこのブログの記事に記したように、ロジスティックの面でも、医療従事者の面でも、病院のそれとは違って不足していたことが、死亡者の半数をホームで亡くなった方の数が占めるような事態を生んでしまった、と。
昨日のニュースでは、見捨てられていた、とか、これは受け身の形での安楽死だ、とか、殺人だ、といった強い言葉での批判がありました。
おそらく全てが一段落した時点で、政治の面で、かなり大きな影響を与えることと思います。
ロジスティックの面でも、経済リベラルの方針を取る連立与党のもと、国内生産をしていなかったマスクの備蓄が補充されないままだったこと、などなど、当初から指摘されていました。
現在の連邦政府の健康相、コロナ感染対策での動きの遅さなど批判の的になっていて、「この先まだ大臣をやるようにと言われることはないでしょう」と本人が言ってます。
この人、オランダ語圏の政治家ですが、フランダースでは一番人気の政治家のひとりだったんですけどね。
今回は詐欺にひっかかって、届くはずの大量のマスク(注文先はトルコの偽サイト)が届かない、なんて、とても笑いごとでない、だけど笑っちゃう、ジョークのようなこともありました。
しかも、その後に届いたものは、規格を満たしていなくて医療機関では使えないという、これでもかと追い討ちをかけるような失態。
早い時期に警鐘を鳴らしていた感染症専門医を「おおげさだ」と相手にしなかったひとりでもある。
でもね、この神妙な顔を見ると、なんだかかわいそうにもなってしまう、甘い私です。
ということで、ここからがここんとこ私がちっちゃい脳みそで考えたことのメモであります。
ずっと日本のマイナンバーとマイナンバーカード、いったいどんなものかしら、と思ってたんですが、今朝Twitter上で見かけた記事を読んでようやく少し理解できました。
toyokeizai.netこちらで持つことが義務であるIDカードと同じなんですね。
私がベルギーで暮らし始めた頃は、今と違ってまだ紙でできた原始的なカードでしたが。
その頃義父に、「移民の人がかなりいるからIDカードを持つことが義務なのかな?」と訊ねた時、彼が「そんなことないよ。もうずーっと昔から義務だから」と答えたのを覚えています。
区別するためではなく、「この国の市民」というコンセプトのもと、統制することが目的なんです。
だから「個」と「体制」というものの関係も全然日本と違う。
言葉の使い道が違うと、初めから言葉を使って議論などできるはずがないです。
日本では、政治家もマスメディアも、言葉をなんとなく使っていて、あまり大切にしていないと私は思っています。
だいたい国のトップにいる人の言ってることが、何を言ってるか、何を言いたいか、さっぱりわからない。中身がない。
ほんとだったらその時点で«アウト»でしょう。
私たち人間にとって、言葉は思考したりコミュニケーションを取ったりする重要なツールだというのに。
いっぽう、本当の意味の国家として機能したことがなかったから、今回のコロナ危機で、力と知能のある地方自治体が、政府とは全く関係なく動いているのが見えていますね。
おもしろーい。
ある意味アナーキー。
長いこと韓国に軸足を置いていた友人が、日本に軸足を移し、この動きをおもしろがっています。
きっと彼女には、このカオス感が面白くて仕方ないんだろうな、と思います。