しばらく前から、行きたいな、と思っていた、ブルージュのグルーニング美術館の展覧会 Van Eyck in Bruges を、昨日観に行ってきました。
ここんとこ天気がよくて気温が上昇、今日水曜日から30℃を超える勢いなんで、そんなら火曜日のうちに、と、昨日行ったわけです。
昨日もブリュッセルは28℃くらいまで気温が上昇したそうですが、ブルージュは海が近くて風が吹くし、いつもここより涼しいんです。
ヨーロッパ、今すごい熱波が来ているらしくて、1966年の冬、マイナス67℃を記録したという、世界で最も寒い所であるらしいシベリアのなんとかという町、今の時期の平均最高気温は14℃なのに、40℃近い暑さだそうですよ!
バイカル湖の海綿が温暖化でどんどん消滅し始めてる、とも言ってました。
ブルージュも他の有名観光地と同様、ものすごい数の観光客が訪れる、時期によっては人・人・人だらけの場所、そして、やはり今回のコロナ禍でどっと訪ねる人が減っちゃった場所です。
とはいえ、本格的バカンスシーズンに突入しちゃったらそれなりに観光客が増えるだろうし、なんとしても6月中に行っておこう、と思ってました。
ディスタンスを取らないといけないので、美術館入場はあらかじめ予約が必要です。
日時を予約(場所取りのみで購入までしなくよい)しておくと、メールでヴァウチヤーが送ってくるんで、それを窓口で見せてチケットをゲットする仕組みです。
私は来年9月まで有効のミュージアムパスを持ってるんで、入場は無料。
久々に電車に乗りました。
ブリュッセル首都圏を少し出たところで、車窓から、ブリューゲルの盲人の寓話に描かれている教会が、そのままの姿で見えます。
数か月ぶりのブルージュ、予約時間までたっぷり時間もあるし、天気もいいし、お散歩気分でゆったりゆらゆら歩きました。
ノートルダム教会の尖塔が見えます。
この塔は122メートルあり、16世紀にアントワープの大聖堂の塔(123メートル)が完成するまで、ネーデルランドで最も高い塔でした。
1300年頃のもの。
この教会には、ミケランジェロの作った白大理石の聖母子像があります。
彼が29歳の時のもので、存命中にイタリアを出た唯一の作品です。
ものすごく美しいですよ。
12世紀に作られた聖ヨハネ病院です。
今はミュージアム、メムリンクの作品を6点かな、まとめて所有してるので、日本のガイドブックだと、メムリンク美術館と書いてあるかも。
そして目的地に到着。
ここを通って入館です。
グルーニング美術館はヤン・ファン・エイクの作品を2点所蔵しています。
ファン・デル・パーレの聖母子像と、画家の妻マルガレータのポートレート。
この2作品の分析や、当時の資料、といった展覧会。
ゲントで行われた展覧会には、この作品は出展されていませんでした。
本来は、それが終わってからこの展覧会、ってことだったんですが、コロナのせいでゲントの、もう2度とこんな機会はないよね、ってくらいのすごい展覧会だったのに、途中で閉館になってしまった。
私は仕事が3月に入るとものすごく忙しくなると思い、2月のうちに2回訪ねたんでラッキーしましたが、ロックダウン後の日を予約していた人は、本当に残念なことになりました。
何年もかけて準備をしてきたゲント市美術館の方たちは無念だったでしょう、気の毒でしょうがありません。
彼らは延期したかったけど、所有者が貸出期間の延長を認めなかったとのことです。
ファン・デル・パーレの聖母子像、ものすごい作品です。
何回観ても圧倒されます。
フォトでは伝わりませんが、神業としか思えない。
この1点を観るためだけでも、ブルージュを訪ねる甲斐がある、と思います。
向かって右側でひざまづいているのがヴァン・デル・パーレさん、その後ろで彼を聖母子と聖ドナチウスに紹介しているのがサン・ジョルジュ。
もう10年以上前に、グルーニング美術館でブルゴーニュ公爵豪胆公シャルルに関わるものを集めた展覧会をやったんですが、そのときリエージュの教会が所蔵しているこのお宝が ↓ 展示されていました。
これは明らかに上の聖母子像のファンデルパーレとサンジョルジュをパクって、シャルルとサンジョルジュの姿として制作されたもの。
しかも、サンジョルジュの顔もシャルルその人だというのが、ものすごくおもしろい。
ちなみに、ブルゴーニュ公爵善良公フィリップ(ヤン・ファン・エイクはその宮廷画家)がブルージュを気に入り、その息子シャルル、孫のマリー・ド・ブルゴーニュまで3代にわたってここを拠点とした15世紀が、ブルージュの黄金時代です。
人が少ないのでゆったり展覧会を味わった後、久々にマルクト広場にも行ってきました。
顔なじみのカフェでビール。
久しぶり、元気だった? と挨拶を交わした後、閉まってる店がいっぱいだね、と言うと、ホテルもいっぱい閉まったままよ、とのこと。
こんな体験をするとは想像もしていなかったねえ、と…。
大好きなブルージュのZot、人さまの真似っこでフォトを撮ろうと思いついたのはゴクッと味わってしまってから。
そういうわけで、ちょっと減ってますが。(笑)
世界のコンクールで何回も賞を取ってるビール、すごくおいしいです。
街ごとユネスコの世界遺産ですから設備の拡大は不可、醸造したビールは地下パイプライン(!)で郊外に作った工場に運ばれ瓶詰めなど次の作業がなされます。
上のノートルダム教会の尖塔の手前に、この醸造所の煙突が見えます。
16世紀、カルロス5世によって港が完全に閉鎖されてからはどんどん衰退し、19世紀には死んだようになってしまったブルージュ。
19世紀の象徴主義の作家ローデンバックの≪死都ブルージュ≫のヒットがきっかけの一つとなり目覚めたわけだけど、コロナ禍に苦しんでいるとはいえ、死都どころか、キラキラ美しかったです。
ひきこもるのも好きだけど、お出かけもやはり楽しいものです。
さて、忘れないようにメモ。
前の日記に、レオポルド2世の時代に導入された「良いシステム」のことを記しました。
で、その後に、これもFB上で見た記事なのだけど、そういう良いシステムはレオポルド2世のアイデアではなく、当時の労働者たちが命をかけた運動で勝ち取ったものだ、という話がありました。
彼らの運動を、レオポルド2世は軍隊を出して制圧しようとした、と。
まだちゃんと読んでませんが、なるほど、と思ったことです。
いずれにしろ、王様大好きグループと大嫌いグループがただケンカをするようなことで終わらせず、皆が歴史上の事実を知ることが大切です。
ここんとこずーっとTV局も、そういう歴史上の事実をもとにしたドキュメンタリーを放送してます。
この記事も ↓ 後で読むため、ペッタンコ。
昨日6月23日は、ボリス・ヴィアンの命日でした。
ニュースでもいろいろ取り上げてましたが、こういうビデオも見つけたのでペッタンコ。
パリのピカソ美術館は、ヴィアン一家の自宅だったもの、ヴィアンのお父さんってけっこうやばいこともやるような大金持ちで、そのうち殺されちゃって、それから一家はお金がないのでこの家を貸したりもしたけど(ユーディ・メニューインの家族が店子だったこともある)、最終的には手放すことになったのです。
多才な人ですよね。
彼の最後に住んだアパートメントが ↑ のビデオ。
うちの長女くん、中学生のころから、彼の作る歌詞をものすごく褒めます。
私は正直なところ、仏語でそういう味わいまでしっかり楽しむことはムリ。
これはとても悲しく残念なことですが、仕方ないことでもある。
そういえば、やはり彼女が中学生だったころ、ラブレーのガルガンチュア物語を読んでおもしろがっていたんで、日本語にも訳されていて日本でも有名だよ、と言ったらば、ラテン語がわからなくてもこのおもしろさがわかるの?と質問されてしまったのだった…。
メモしておこうと思ったことはもっとあったような気がするのだが…。
追記・上述のミケランジェロの聖母子像もペッタンコしておきます。
聖母子像としては、幼いイエスさまがマリアさまの膝から下りた、世界で最初の作品です。