恥ずかしい記事を覆い隠すために、また更新しちゃおう。
怠惰な日々を送る私は、Netflixでアニメをよく見ます。
で、昨日はサイボーグ009を見ようとしました。
小さい頃からマンガが大好きです。
4つ年上の兄がすごく絵を描くのが上手で、マンガ家になりたいという夢を持っていて、同じ夢を持つ友だちと一緒によく描いてました。
(その友だちは、今ではとても有名なマンガ家さんです。)
私もその影響で、けっこう大きくなるまで「マンガ家になりたい!」なんて思ってました。
そして、子どもの頃読んだマンガの多くに、価値観や美意識を教えてもらったと思っています。
私は3人きょうだいの末っ子で、姉や兄はいろんなことを我慢してきたのに、ほんとに好き放題させてもらいました。
うちは父親が大酒のみの困ったクン、給料を全部飲み代に使うような人で、しかも1957年の大水害で何もかも流されたことで追い討ちをかけられ、ものすごい貧乏でした。
(いっぽう、私はこの水害のドタバタがなければ存在しないはずの子供です)
小さい時の記憶に、お米を1キロ買うのに10円足りない、なんてことがあったのも覚えています。
でも、飢えた記憶は全くありません。
おもちゃなんて買えませんが、障子を使って母が影絵のショーをやってくれたり、おやつも服もいつも手作り。
母が作ってくれる服は、いつも誰も持っていないようなオシャレなものでした(というのも、あるものを利用して工夫しないといけなかったからなんだ、と、後々気づきましたが 笑)。
昼は学校の教員、夜は洋裁の内職をしていた母の、寝ている姿を見た記憶はありません。
不思議なもので、悲しいこともいっぱいあったと思うんだけど、思い出すのは楽しかったことばかりです。
ネコちゃんもいましたしね。
ありがたいことです。
いろんなことを我慢し諦めないといけなかった兄と姉は、「お前ばっかり好き放題して」なんて言うことなど一切なく、いつも支えてくれたし、いつまでも妹は妹なんですね、「外国でひとりでえらいねえ」と頭ヨシヨシナデナデでしたよ。笑
兄はもう数年前に亡くなってしまいました。
彼の人生が我慢するばっかりじゃなかったことを信じたいです。
うちの母がベルギーに来た時、「私の人生、トータルしたらものすごく幸せだった」と言ってました。
その言葉にものすごく救われたので、私も子供たちと話すときは、いかに人生楽しんできたか、そして今も楽しんでるか、そこかしこにちりばめることにしています。
そして実際に楽しんでもいます。
さて、3年くらい前にレオくんのママであるマリーからもらったランの花が、もらった時に咲いていた花が枯れて以来、初めて新たに咲きました。
よそ様のランは年に2回は咲くようなのに、なぜ私のは???とずっと思ってました。
もしかして、3年に1回咲く種類???
マリーが、「きれいだから」とか「かわいいから」という理由でなく、「ちょっと変わってておもしろいから」というんで選んだらしい。
というか、ちょっとブキミですらある。笑
(彼女もちょっと変わってておもしろい人です)
そういうお花なので、「きれいなので見てください」というわけでなく、咲いてくれたのが嬉しいのでフォトをアップしちゃいます。