またまた更新 笑

恥ずかしい記事を覆い隠すために、また更新しちゃおう。

 

怠惰な日々を送る私は、Netflixでアニメをよく見ます。

で、昨日はサイボーグ009を見ようとしました。

 

懐かしさのあまりに、うわーい、と喜んで見始めたものの、なんとなく気に入らないのです。
いろんな技術の進歩や時代の好みで、絵自体が変わっちゃうのは仕方ないとしても、
006が「私これ心配あるよ」といった感じで、一昔前のマンガでの中国人のしゃべり方の定番みたいな、そういうしゃべり方をするんです。
それがものすごく不自然で気になりまくり。
だって他のメンバーは、やはりいろんな国の出身という設定にもかかわらず、普通にしゃべってるし。
006のなんだかグジグジしたところも、今さらこんな女の子のキャラってないよねとけっこうイラつくし。
オンナは度胸だろ!と。笑
エンディングで昔の石森章太郎のマンガそのものが出てくるところに、彼へのリスペクトは感じないでもないが…。
 
石森章太郎って、もうずいぶん前に亡くなっていたんですね。
全然知らなかった…。
好きだったんですけどね、サイボーグ009
途中だけど、もう見るのやーめた。
 

小さい頃からマンガが大好きです。

4つ年上の兄がすごく絵を描くのが上手で、マンガ家になりたいという夢を持っていて、同じ夢を持つ友だちと一緒によく描いてました。

(その友だちは、今ではとても有名なマンガ家さんです。)

私もその影響で、けっこう大きくなるまで「マンガ家になりたい!」なんて思ってました。

そして、子どもの頃読んだマンガの多くに、価値観や美意識を教えてもらったと思っています。

 

私は3人きょうだいの末っ子で、姉や兄はいろんなことを我慢してきたのに、ほんとに好き放題させてもらいました。

うちは父親が大酒のみの困ったクン、給料を全部飲み代に使うような人で、しかも1957年の大水害で何もかも流されたことで追い討ちをかけられ、ものすごい貧乏でした。

(いっぽう、私はこの水害のドタバタがなければ存在しないはずの子供です)

小さい時の記憶に、お米を1キロ買うのに10円足りない、なんてことがあったのも覚えています。

でも、飢えた記憶は全くありません。

おもちゃなんて買えませんが、障子を使って母が影絵のショーをやってくれたり、おやつも服もいつも手作り。

母が作ってくれる服は、いつも誰も持っていないようなオシャレなものでした(というのも、あるものを利用して工夫しないといけなかったからなんだ、と、後々気づきましたが 笑)。

昼は学校の教員、夜は洋裁の内職をしていた母の、寝ている姿を見た記憶はありません。

不思議なもので、悲しいこともいっぱいあったと思うんだけど、思い出すのは楽しかったことばかりです。

ネコちゃんもいましたしね。

ありがたいことです。

 

いろんなことを我慢し諦めないといけなかった兄と姉は、「お前ばっかり好き放題して」なんて言うことなど一切なく、いつも支えてくれたし、いつまでも妹は妹なんですね、「外国でひとりでえらいねえ」と頭ヨシヨシナデナデでしたよ。笑

兄はもう数年前に亡くなってしまいました。

彼の人生が我慢するばっかりじゃなかったことを信じたいです。

 

 

うちの母がベルギーに来た時、「私の人生、トータルしたらものすごく幸せだった」と言ってました。

その言葉にものすごく救われたので、私も子供たちと話すときは、いかに人生楽しんできたか、そして今も楽しんでるか、そこかしこにちりばめることにしています。

そして実際に楽しんでもいます。

 

 

 

さて、3年くらい前にレオくんのママであるマリーからもらったランの花が、もらった時に咲いていた花が枯れて以来、初めて新たに咲きました。

よそ様のランは年に2回は咲くようなのに、なぜ私のは???とずっと思ってました。

もしかして、3年に1回咲く種類??? 

マリーが、「きれいだから」とか「かわいいから」という理由でなく、「ちょっと変わってておもしろいから」というんで選んだらしい。

というか、ちょっとブキミですらある。笑

(彼女もちょっと変わってておもしろい人です)

そういうお花なので、「きれいなので見てください」というわけでなく、咲いてくれたのが嬉しいのでフォトをアップしちゃいます。

 

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