最低気温が20℃を切り、雨も降って、ようやく少しは涼しくなりました。
でもまだぬくもった建物がちゃんと冷えきらない…。
もう少し涼しくならないかなあ…。
8月も中旬に入り、バカンスから人々も少しずつ戻りつつあるみたい。
うちの向かいの並びの家の数々も、暗くなったら明かりがともるようになりました。
ここんとこずっと夜になっても暗いままだったんだけど。
9月まであと2週間ですもんね。
夏至を過ぎてから、1日3分ずつ日も短くなって、太陽の位置もずいぶん変わってきました。
2020年、こうやって何もしないまま、すごい勢いで過ぎていきます。
学校は9月にちゃんとスタートするらしい。
Covid-19についてはできうる対策をした上で、ということですが。
子どもたちにとって学校に行かないことで生じる問題の方がより重い、不安を感じる親もいるだろうが、子どもたちを学校へ行かせてください、とのことです。
ブリュッセルでは、公共の空間でのマスクが義務となりました。
道を歩く人も、自転車に乗る人も、です。
それでついにブリュッセルでも、「マスク義務」に反対する集会。
今現在行われている最中です。
今のところ、参加者は数百人。
17時に終わるらしい。
ニュースで見る限り、マスクをして集まっていましたが。
マスク義務、ディスタンスに気をつけろ、といったことを厳しく言う専門家に対する不信感もあるようです。
こうやって市民の不安を煽るのは、ワクチンで儲けたい人が裏にいるからなんじゃないの?と考えている人もいるようです。
ワクチン、開発に成功しても、受ける人は+/-50%くらいでしょう、きっと。
ワクチンに懐疑的な人は、Covid-19と限らず、私の周りにもけっこう多いですし。
ああしろ、こうしろ、と、命令されるのがとにかく大きらいなんですよね。
公共の空間どこでも義務、というんで、ついにプッツンしたんだと思う。
ベルギーの政府、まだできません。
南のPS(社会党)と北のNV-A(ナショナリストで極右に近い)がようやく妥協点にたどり着いたみたいなんだけど、それにキリスト教民主党なんかを加えても過半数にならない。
エコロかMR(リベラル)を加えないといけないんだけど、NV-AはさかんにMRを攻撃してるし、エコロは方針がどうしても合わないと言うしで、まだまだ見通し立たないみたいです。
8月中旬には…、と言ってたんですけどね。
ヒロシマの原爆の日、ナガサキの原爆の日、そして敗戦記念日が過ぎましたね。
id:cenecioさんが紹介しておられた小川洋子さんの文章を読みました。
美しい文章だなあ…。
うちの母が被爆者だったという話は先日記しました。
彼女がいつも自分が見たことを話してくれていました。
運ばれてきた人たちの傷にウジがわいていたこと、とか、アイゴーアイゴーと泣きながら亡くなっていった人たちがいたこと、とか。
母方の祖父が、原爆投下数日後、徒歩で長崎に向かい、戻ってきて言った最初の言葉は、「あんな爆弾を落とされるのなら、日本はもう終わりだ」だったそうです。
原爆を落とさなくとも日本の敗戦はもう決まっていた、最初に出された無条件降伏の条文に、天皇制が維持されることが記されていれば、もっと早く降伏、原爆は落とされなかっただろう、というのはよく知られていますが、実はわざとその条文をトルーマンが外させていた、というのは、昨日視聴したビデオニュースドットコムで初めて知りました。
私の考えは宮台さんの考えに近く、有馬氏のおっしゃることに全面的に共感できるわけではなかったんだけど、知らなかったことをいくつか知り、興味深かったです。
ナガサキの原爆資料館、新しくなってから1回も行ったことないです。
母に会えるので、一度は行っておきたいとは思っているんですけどね。
ずっと前、まだ日本にいた頃、長い旅行に出て、そのうちスペインはグラナダに数日滞在していたとき、グラナダ大学の学生たちとワインを飲みに行きました。
Casa de Vinos という、その名前そのものが「ワイン飲むところ」って場所、ワインは水より安いですからね、ワイワイと。
(そこで初めてパコ・デ・ルシア聞いて、それ以来夢中になったんだった)
学生の中に、ドイツ人の女の子がいて、たしか名前はスサナだったと思う、そのとき原爆の話になり、うちの母は被爆者だ、って言ったら、「なんでそんなに嬉しそうに言うの?」と聞かれたのが忘れられない。
嬉しそうに言ってるなんて知らなかったから。
けっこうショックだった。
え?え?え?私、嬉しそう?と。
うん、この問題に関しては、現在も考察中なのである…。
さてさて、ネットのおかげで、しばらく音信が途絶えていた友人と数日前に再会!
嬉しいです。
私はオトコ運はないけど(笑)友人運は最高級。
数は多くないけど、いつもとても良い友達に恵まれます。
日常の生活におわれ、うっかりその居場所を見失ったものの、ネットのおかげでまたコンタクトできるようになったっての、何回か経験しました。
しみじみありがたいことです。