最近のニュースの主なる話題は、米国の選挙、Covid-19、つづいてテロ関係、というところ。
米国の大統領選はかなりの接戦ですが、もしコロナ禍がなかったらトランプは悠々再選だったんでしょうか…。
とても良いお天気が続いています。
気温はぐっと低くなり、最低気温が氷点下になった地域もあったようです。
いつも思うけど、お天気がよくて冷たい日の黄昏時は、まるでマグリットの≪光の帝国≫みたい。
昨日の夕方、そういうマグリットの時刻、うちの窓からフォトを撮ってみました。
肉眼だともっとコントラストがあってきれいなんだけど。
しかもちょっとピンボケね…。
昨日の17時30分頃。
Covid-19の第2波の中、毎年11月末から1月の第1週まで行われる≪Plaisir d'hiver 冬の喜び≫という行事も今年は中止だそうです。
クリスマスマーケットや光と音のショー、特設アイススケートリンク、ビデオマッピング、などなど、ものすごい人出になるんですけどね。
今年、コロナ禍の中、人々はクリスマスをどう過ごすのでしょう。
FB上で見つけた興味深いビデオをふたつ貼り付けておこう。
これ ↓ トルストイの声が聴けます。
亡くなる1年前のもの。
ミュージシャンでありプロデューサーでもある米国人がロシアに赴き「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」が執筆されたその家で録音した、トルストイが語る宗教観。
彼はロシア語、英語、ドイツ語、フランス語の4つが使えたそうですが、その4つの言葉で話すのを録音、このビデオではフランス語で話しているものが聞けます。
宗教とは、永遠なる命との、神との、その関わりのこと。
人間は弱く悲惨な存在だが、その魂に神の光を受けたとき、この世界でもっとも力のある存在となる、と。
19世紀、銀板写真の技術の登場で、人が亡くなった時、写真家があたかも生きているかのようにいろんな道具を使ってポーズを取らせたうえで、亡くなったその人のみ、あるいはその家族や友人とともに記念写真を撮ることがよくあったらしい。
死を恐れるものとみなすのは、ほんの最近の傾向であって、人は以前はそういう捉え方はしていなかった、と。
おもしろいのは、写真を撮るためには5分間じっとしていないといけない、生きている人はどうしてもわずかに動いてしまうので少し画像がボケるんだけど、亡くなった人はびくとも動かないのでボケないんですね、だから写真を見ると、どの人が亡くなっている人かわかる。
イギリスではあたかも生きているような撮り方はしないで、〈美しい死〉として撮られたそうです。
ここで紹介されているひとつのエピソード、若い女性が亡くなり、埋葬の10時間前にベッドに横たわった彼女を写真撮影。
ところが出来上がった写真の彼女、少しボケて写ってた、つまりわずかに動いている、それで亡くなっていなかったことが判明し、生きながら埋葬されることが避けられたんだそうです。
カタトニーの症状で動かなかっただけだったんです。
生きながら埋葬…。
私は教会とかで立派な石の棺を見るたびに、もし死んでないのにこんなのに入れられたらたまったもんじゃないよねえ、なんて想像して怖くなるんですが、その想像が現実味をおびてしまった。
ちょっと笑った記事。
カエルくんとガマくんのシリーズの作者であるアーノルド・ロベルに関する記事。
しばらく前のニュースで、仏語の辞書、Robert 特に私はDictionnaire Historique de la Langue Française (新しく仏語の単語を覚えるたびに、なんでそういうの?と訊ねる私に、さすがにうんざりしたモト夫が、すごいケチだというのに買ってくれた、仏語単語の歴史的背景を説明する辞書 笑)に世話になってますが、その生みの親のAlain Rey氏が亡くなったと。
「言葉」というのは、そこを通して歴史を見る「窓」です、とおっしゃっています。
コロナウィルスに関する記事。