知り合いの日本人女性が、3日前にCovid-19で亡くなってしまった。
ベルギーに暮らし始めてしばらくして、と言っても、今年29歳になった次女くんがすでに生まれていたと記憶してるので、まだ30年は経ってないかな。
大使館で私のことを教えてもらったと、ある日向こうから電話がかかってきたのが始まり。
ベルギーに暮らし始めて最初に2年半住んだ家にいた頃で、それは明るくて天気の良い日だったから、次女くんが生まれた翌年の春だったのかな。
彼女もパートナー氏がモンス近辺の人で、私にメキシコ生まれの長女がいるみたいに彼女には米国で生まれた長女クンと、私と同様にベルギーで暮らし始めた後生まれた次女くんがいて、それからしばらくしてうちの3女クン、彼女のところにも3女クンが生まれ、家族構成がものすごく似ていたこともあって、子どもたちが小さい頃は家族ぐるみで行き来したのでした。(彼女のところはその後4人目の子供、長男クンが生まれた。)
彼女と私は興味・関心、生活の仕方がかなり違っていたんで、子どもたちが大きくなってからはたまに、ほんとにたまに、「元気?」って電話がかかってくるくらいの間柄だったんだけど、私のベルギー生活のどこかに、当たり前みたいに存在してる人だったんですよねえ…。
実はそこのパパ、ほんの2~3か月前にALSで亡くなったばかりなんです。
長いことご無沙汰していて、彼の病気のことも知らなかったんで、その時はほんとうに驚きました。
彼女にお悔やみの電話すると「大丈夫よお、子どもたちもここにいるから、話す?」と言うんで、子どもたち4人とも話をしたことでした。
彼女も離婚してブリュッセルで一人暮らし、長女クンは今米国で暮らしていて、次女くんと3女くんもそれぞれ別に暮らし、長男くんが父親と暮らしていたのでした。
その子供たちがその時は彼女のところに勢ぞろいしていたのです。
彼女は私みたいにピリピリ・チョコチョコ落ち着きのないタイプではなく、なんだか飄々としていて、同じくらいの時をベルギーで暮らしているのにほとんどフランス語もわからないまま、「私、よくわからないから」とニコニコしていて、私はとてもそういう大胆な心境にはなれないから、「すごいな」と思っていました。
で、そういう風にノンキにしているのにちゃんと自立して生きているところもすごくて、「なんだかんだ言っても、私たちちゃんと守られて生きているよね。お互いこれからも元気にやっていこうね。」と言ってその時は電話を切ったのです。
そしたら3日前に、彼女の次女くんからの知らせが入ったのです。
「ママが亡くなりました。10月末に具合が悪くなり、Covidだと判明、入院してからもどんどん重症化して、今朝息を引き取りました」
ショックでしたよ、にわかには信じられなかった。
あんなに元気そうだったのに。
それに、子どもたち、こんな短期間に両親とも失うなんて…と。
きょうだい4人、とても仲がいいのが救いだけど、何よりそれがかわいそうでたまりませんでした。
私は小さい頃から落ち着きがない子で、あれもこれもといっぺんにしないと気が済まないし、思いついたら即動いてしまうし、おまけに飽きっぽいし、って感じで今まで生きてきました。
今のコロナ禍の制約の中でも、「何もしないでいいのか」「何かしないといけない」といつも焦っているところがあります。
でも、もしかしたらコロナ禍の中、自分にできる一番のことって、何もしないでじっと過ごすこと、なのかもしれない。
彼女の「私、何もわからないの」とニコニコしていた顔を思い出しつつ、今朝はそんなことを考えてしまった。
昨日は、12月初旬のガン専門医のコントロールに備えての、毎年恒例の病院ディ、必要な検査を済ませてきました。
この「病院ディ」が来ると、「また1年経っちゃったのね」と思います。
帰宅するため王立美術館前でトラムを待っている時撮ったフォト。
12月中旬までは間違いなく閉まったままの美術館。
いつになったら普通にミュージアムを訪ねることができるようになるんでしょうね…。