ウマノスズクサ

今日はコロナ禍対策に関する政府の会議が開かれます。

クリスマスまでもう一月ありませんから、商店等開いてよいことになるのか、家族で集まってパーティなどやってもよいことになるのか、などなど、誰もが関心を持って会見を待っていることと思われます。

 

数値を見ると第2波はずいぶん落ち着いてきたようですが、病院はまだまだタイヘンなようすだし、私は個人的には規制を緩めるのは早すぎる気がしますが、近くの国々が商店を開く中、皆が買い物にそちらに行くだけなら、自分たちだけ規制することに意味あるの?という意見ももっともな気もします。

クリスマスを寂しく迎えることに対する抵抗もでかい。

 

でも、ようやく収まりつつある数値が、そのせいでまた大きくなったらよけいタイヘンなのではないかとも思うし難しいところです。

それに、医療現場の人たちだって一息つきたいに違いない、彼らのクリスマスはどうなるの?とも思います。

いくら店が開いても、私個人はお買い物に走るつもりは全くないし…。

 

 

さて今日はウマノスズクサについてメモ。

 

昨日視聴したコンフェランスのタイトルは、« Bruxelles, Chine, Balkans : histoire d’une herbe toxique »(ブリュッセル、中国、バルカン:ある有毒植物の話)でありました。

ブリュッセルの自由大学系のエラスムス病院で腎不全を専門にするお医者さんが講師でありました。

1992年だったか、この先生のところにやってきた腎不全の患者の女性のケースがとても特別だったんだそうです。

前年の検査結果は正常なのに、その年に数値が悪化していて、しかも、それからひと月の間の悪化の仕方が、通常なら10年くらいのスパンで観察されるような急激なものだった、と。

さらに同様の症状を示す患者が二人つづいたそうです。

そして、その3人の患者さんたちに共通していたのが、痩せるダイエットのためにブリュッセルにある同じ医者にかかっていた、ということ。

それでこのダイエットを担当した医者と連絡を取ります。

そこで、痩せるための漢方薬の処方を前年に変えていたことが判明。

前使っていた2種類の薬草を、漢方薬業者から勧められたものと変えていたんだそうで、その新たに処方された2種の薬草のひとつ、あるいは両方が原因なのではないか、と疑いました。

その2種類のうちのひとつがウマノスズクサ

(この漢方薬を処方した医者も、売った業者も、ちゃんとしたところで詐欺まがいではありません。)

 

さらに調査を進めます。

バルカンのある町では、そこで暮らし始めたとたんに腎不全の症状を呈する人がいるということで、そこでは小麦の貯蔵倉庫で湿気によって発生した成分がパンに混ざりこんだ、という説と、小麦が育つところにウマノスズクサが大量に育っており、収穫の時に混ざりこんでいてそれが原因では、というふたつの仮説が立てられていました。

この先生が調査した時点では、後者の説は否定されていたそうです。

 

でも結局この先生の調査・研究の結果、ウマノスズクサに含まれるアリストロキア酸が腎不全を起こさせ、さらにかなりの確率で腎臓がんへと進むことが間違いないことが確認され、この薬草の使用が法律で禁止されることになりました。

 

という話。

 

この話を聞いた後で、フランス語でAristolocheアリストロシュと呼ばれる植物、日本語ではなんというんだろう、と思って、まず仏語でWikiって、そこから日本語に行ったら「ウマノスズクサ」、へええ、と思ってその説明を日本語でも読んでみると、

 

>属の学名(アリストロキア)から命名されたアリストロキア酸が含まれており、これには腎毒性発癌性がある。実際、ウマノスズクサ属の植物を含む漢方薬での腎障害の事例もある[1]。中国では「関木通」と呼ばれるが、「木通」(日本ではアケビ属を指す名称)と略されることもあり、混同せぬよう注意が必要。バルカン半島では、小麦に混入したA. clematitisによると思われるバルカン腎症英語版が発生し、最悪の場合腎臓癌に発展する。

 

と記されており、うわあ、今聞いた話がこれじゃん、と思ったのであります。

 

で、今日メモしたかったのは、ウマノスズクサのことより、Wikiの記事ってけっこうちゃんとしてるのねと思ったこと、でありました。

 

 

先日id:cangaelさんのブログの記事 ↓ を読んで、寮美千子さんの文章に感動で涙するとともに、監獄の話に大逆事件を思い出しました。

cangael.hatenablog.com

私の中学校は諫早刑務所のすぐ近くで、毎日その横を通ってました。

黒岩比佐子著「パンとペン」を読んで、大逆事件のときに無期懲役を求刑された12人が、判決の3日後にはあわただしく千葉・秋田・諫早に分けて送監されたということを初めて知って驚きましたが、それに加えて、Cangaelさんの記事で、この刑務所が明治5大監獄だったのを知って再びびっくり。

 

母が亡くなった時だから、2001年かな、子どもたちに私の中学校も見せてあげようと歩いてみました。

けっこう家から距離があったと記憶していたのに、あれ、こんなに近かったの?と思うくらいすぐそこで、刑務所はもう門しか残ってなくて、中学校も平屋の木造ではなくなってしまってました。

学校前にある魚屋さんは姿は変わってもまだ存在していて、そこの子供だった同級生のMくん、懐かしくなって元気かしらと訪ねてみると、お店をやってるお姉さんによると、彼はよその街で暮らしているとのことでありました。

ちょっと乱暴だけど、すごくおもしろい男の子だったんですよねえ。

 

と、話が逸れてしまったが、そういうわけで大逆事件のことを思い出したら、ネットでこういう ↓ 記事を翌朝見かけました。

webronza.asahi.com

 

 

 

ブリュッセルのグランプラスには、今年もクリスマスツリーが立てられました。

暗い冬です。

せめて光を…。

 

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 (ブリュッセル市がFBにアップしていたフォトを拝借しました)