封鎖都市 

金曜日の政府の会議での決定事項はけっこう厳しいもので、12月1日から商店やミュージアムなどは開いてよいものの、家庭に呼んでよい人数は今まで同様ひとりのみ、一人暮らしの人だけはクリスマスにはふたり呼んでもいいです、というもの。

国外へ出かけた人は戻ってからのコントロールも厳しくやるそうです。

 

人が集まるクリスマス・シーズンというので、そのあたりが誰もが気になるところだったようですが、春のロックダウンの緩め方もまずかった、失敗だった、と首相がはっきり言ってました。

さらには夏に向かう時期だった前回より流行しやすい冬である、というのも重要なポイント。

コロナ新規入院患者の数値75人(追記・減少しつつある現在200人ちょっと)を目標にする、と言ってました。

前回のように北と南で異なる方針をとるようなゆらゆらしたものでなく、国全体で統一しよう、という姿勢も感じられました。

 

 

クリスマスは私の誕生日ですが、今年はひとり静かに皆の健康を祈って過ごしましょ。

 

 

 

さて今日は、日本時間13時にスタートするシンポジウム ↓ を聴くために、朝4時半に起きちゃいましたよ。

artscommons.asia

毎週視聴しているビデオニュースドットコム、そのマル激トークオンデマンドの先週のゲストが社会学者の吉見俊哉氏でした。

www.videonews.com

その前に出演されたときの話もおもしろく、その後は著書も読み、いくつか雑誌に掲載された論考も拝読、好きな学者さんなので、この日も喜んで視聴しました。

そこで最後に ↑ のシンポジウムを告知されたのです。

おお、これは視聴したい、とさっそく申し込んだのでした。

 

実は、日曜日にシンポジウムというのも日本だなあ、と思ったりしました。

こちらだとこういう催しは平日にしか行われないので。

ウィークエンドは講師の方々も休暇ですからね。

 

私は演劇については書かれたものを読んで知っているくらいで、小劇場の上演作品を実際に観たことは一回もありません。

田舎育ちだし、高校を卒業して進学した大学はやはり地方の金沢で、東京や大阪、九州だったら福岡に出ていたらそういう機会もあったかもしれませんが。

日本の演劇作品の体験といえば、長崎や諫早でも上演された大きな劇団のもの、それと、こちらの文化フェスティヴァルに招かれて上演された「三月の五日間」などいくつかの作品の仏語訳をしたこと、くらい。

 

私はもう人生の半分以上を日本から離れて生きていますし、バブルがはじけたのも、オーム真理教事件も、阪神大震災も、東日本大震災も、フクシマの原発事故も、そして今のコロナ禍も、日本にいらっしゃる方たちとは体験を共有していませんが、今回シンポジウムで演劇の話を聴きながら、それに加えて「東京」体験もしていないんだ、ということに気づきました。

 

タイトルの「封鎖都市」ですが、最初に吉見氏が、パンデミックで封鎖された都市も、欧州ではタテの、つまり政府による封鎖だけど、日本ではヨコの、つまり世間による封鎖であって同じではない、と話され、なるほど、と思いました。

 

シンポジウムを聴きながら思いついたことをメモしましたが、それをちゃんとまとめたくとも、頭が悪いのでどうも難しい…。

 

とにかくもうずっと「言葉」というのが私自身の気になるテーマ、特に最近のひきこもり生活で考える時間だけはたっぷりあるので、ますます重要になってきています。

翻訳されたもので理解しているつもりでも実は理解できていない、と思うんですね。

言葉と言葉が対応していないから。

ちゃんと重なっていないと思うんです。

だから絶対わからない部分があるというのをわかったうえで、普遍的なものを見つけていくしかあるまい、と…。

 

とまあ、わけのわからないことを、今日は自分のためのメモとして記しておこう…。