今日は午後、ワクチン接種センターに行ってきます。
なんだかソワソワワクワクします。
新しい体験をするとき、とか、事態が急変(乗るはずだった電車が何故か動かない、乗ってた電車が訳も分からないまま動かなくなった、みたいな)したとき、とか、そういう時と似た、ちょっとコーフンした気分。
今のところ良いお天気、でも天気予報によると、今日もコロコロと天気が変わるらしい。
私が行く接種センターは徒歩で20分足らずのところ、歩くときよいお天気だったらいいんだけど、あまり行きなれない方角なので、方向オンチの私は、道を間違わないように、と、そっちの方がちょいと心配です。
さて、前回の記事に記した≪占領下のアート市場 Le marché de l'art sous l'occupation≫というビデオ、昨日もう一度、いろいろメモしたり調べたりしながら視聴しました。
1時間ほどのビデオです。
読んでくださる方に「おもしろい」と感じてもらえるくらいちゃんと記したいところですが、能力以上のことを望むと固まってしまい何も書けなくなるので、ま、自分用のメモってことで…。(って、言い訳からスタート 苦笑)
ナチスによってユダヤ人が所有していた美術品が没収されたこと、キュビズム・ダダイズム・エクスプレッショニズムといった近代のアートを、彼らが退廃芸術と決めつけ処分したこと、などなど、すでによく知られたことですが、このビデオ(arteによる2021年のもの)の新しいところは、これまで公開されることのなかった競売の記録(カタログ等)が、競売を行ったパリの会社Drouotの方針により、資料としてちゃんと示されているところです。
そして、「アート市場」という視点から制作されているところ、でしょう。
Drouotという会社は、第2次大戦後、英米の会社に追い越されますが、以前は世界のアート市場の80%は彼らが扱っていた。
Drouot(ドゥルオ)のサイト
今のトップの方。
1970年生まれということで若い。
ビデオにも登場されますが、彼の方針がなかったら、このドキュメンタリーの制作は不可能だったようです。
ものすごく有能な感じがします。
「もし自分がその時代にこの会社のトップだったら、はたしてどのような反応をしただろうとよく考えます。当時の反ユダヤ主義というものがどんなものであったのか、私たちの世代は実は理解できていないのかもしれないとも思う。」
とおっしゃっていました。
苗字を見て、ご先祖様はイタリア人かな?、と思って読んでみると、お父さんはブルターニュ出身、お母さんはヴェネチア出身だそう。
ご本人はビブリオフィル(本愛好家)だそうで、15・16世紀のヴェネチアの書籍について詳しそうです。
1930年代、アート市場の景気はよくなかった。
それが戦争が始まるとものすごい勢いで伸び、美術品の価格も10倍となる。
この会社の地下に保管してあるカタログを見ると、1940年のものは4~5㎝の厚さのもの1冊なのに、1941年以降はものすごい量です。
退廃芸術と決めつけられた作品は世界中の愛好家に売られ、ドイツ軍の資金となります。
ヒトラーやゲーリングがアート好きだったのは有名ですが、彼らが好んだ作品は、没収されたり競売で購入されてドイツ・オーストリアに運ばれます。
占領下、フランス政府は莫大なお金をドイツに支払わないといけなかったんだけど、それを資金にドイツはフランスで美術品を購入していました。
ゲーリングはクラナッハやヴァン・ダイク、特にフランス・ハルスが大好きだったそうです。
彼が占領下のパリを訪れたのは40年11月から44年7月まで21回、自分専用の列車でやってきて、帰路運び出した美術品は4000箱。
没収した美術品の量は膨大で、彼自身がヒトラー用に«H»、自分用に«G»と分類しました。
戦後ニューレンベルグの裁判で、ゲーリング同様死刑判決を受けたアルフレッド・ローゼンベルグ、彼は占領下の全ての地域で価値ある美術品を没収した人です。
フランスにおいては、没収品は最初はルーヴルに保管していた(というのも、ルーヴルのコレクションは、戦争が始まる直前に、当時の館長の判断で運び出され保護されたので、建物は空っぽだった。)のですが、それでも場所が足りない。
そこでJeu de paumeに保管すると決めたのもこの人。
Jeu de Paumeでは、「退廃芸術品」はカーテンで仕切られたところに隠されました。
私がこのドキュメンタリーで初めて知った人たちですが、まずオットー・アベッツ。
占領下のパリに乗り込んできたのは、彼が37歳の時。
妻がフランス人だったこともあって、パリは自分の街であるかのように詳しく、パリ在ドイツ大使としてわがもの顔にふるまった、上の指令など関係なく、やりたいようにやった人です。
彼の最大のミッションは、ユダヤ人の所有する古典美術作品の調査と没収です。
10万フラン以上の価値のある美術品を所有する者に申告を義務づけたのもこの人。
ニューレンベルグの裁判では、この人は5年の禁固刑。
検索したら、1954年4月、彼が刑期を終え刑務所を出たという記事を、ル・モンドのアーカイヴで見つけました。
それとブルーノ・ローゼというSSで美術史家。
彼の美術史家としての専門分野は、17世紀のフランダースとオランダのアート。
ゲーリングは彼の知識を高く評価、パリにおいてより興味深い作品を見つけるよう命じます。
SSなんだけど制服を着ることはせず、パリ中を自由に動き回る。
アート市場という視点からは、占領下のパリにおける重要人物です。
この人への判決は禁固2年。
WIKIってみると ↓ 彼の行った活動のうち、一番上に記されているのが「美術作品の盗み」です。
もうひとり、ちゃんと調べたかったのが、ヒトラーがリンツに作ろうと計画していた美術館のために、オットー・アベッツ同様に美術品の収集を命じられた人物。
どうしても名前がうまく聞き取れなくて調べられなかった。
フィルドバンゴーリットとか何とか聞こえるんだけど、いろんな綴りで試みても、どうしても探して出せませんでした。
上述の人々は別の形で、このアート市場に関わった故に裁判に上った人が二人。
スイス人です。
ひとりは戦前「退廃芸術作品」や戦中の没収品の競売をやったテオドル・フィッシャー。
今もある会社です。
この人は莫大な罰金の支払いを命じられたそうですが、それだけ。
もうひとりはビュールレ・コレクションのエミル・ゲオルグ・ビュールレ。
この人は印象派の作品13点の返還を命じられたのみ。
当時のスイス一の大金持ちだった彼、実際は633点の作品を購入したことがわかってる。
前回の記事にも書いたポール・ローゼンべルグのコレクションだった没収作品を、戦後すぐにローゼンべルグに直接購入したいと申し出、受け入れられたりもしたそうです。
このスイスの二人が、想定されたよりずっと軽い判決を受けたのは、当時のアート市場重要な人物だった故、とのこと。
いずれにしろ、現在いろんな美術館が所有する作品の中に、占領下、不当な方法で没収されたりしたものが、かなりたくさんあるわけです。
たとえその美術館は正当な方法で購入したとしても、元をたどればいろいろと疑われる。
そういうことをはっきりさせないことには展示もできない、そういう美術館もいっぱいあるわけです。
調査をもっと進めないといけない。
ルーヴル美術館がコロナ禍の中、所蔵品を全てオンラインで公開したことが話題になってましたが、館長さんが、これは上述したような「作品のルーツを探る」目的もあるからだと言ってました。
このように公開されている作品の中に、もし本来自分のファミリーに属するはずのものがあるなら、ぜひ訴えてください、と。
これはルーヴルに限った話ではないわけです。
コロナ禍のおかげで、ゆっくりと変化していたもののスピードが加速しましたよね。
そういう意味でも、おもしろいなあ、と思いました。
おもしろい話はもっといっぱいあったんだけど、もう疲れちゃったのでこのお話はオシマイ。
他にえええっと思ったニュース。
ショッキングな記事です。