今日から気温がどんどん上がり始め、水曜日が30℃以上でピークになるそうです。
今日から火曜日まで、バイデン大統領がブリュッセル入り、なのでEU、NATO、米国大使館や王宮付近はセキュリティ上の交通規制だなんだかんだとタイヘン、天気がよくとも罪悪感なしでひきこもり生活です。
英国で行われたG7ですが、こちらのニュースではオリンピックのオの字も報じられていません。
開催国が「やる」と言ってるのを「やめろ」とは言わないでしょう。
各国が、自国のコロナ禍状況を見つつできる対策を行ったうえで自国の選手を送る、ってだけ。
何より、今回のテーマでもなければ、自国の問題でもない。
会議に参加した首脳たち、母語以外にみな流暢にいくつかの言語があやつれます。
某国の一人を除いて、ですが…。
この方、会見や国会でも母語でなされる質問に答えないところをみると、母語だって怪しい。
原発問題もそうですが、「外圧しかない」ってのは大間違いなんだなあ、としみじみ思います。
過去に宗主国だった、などなど、責任を負っていたら、あるいは、リッチな我々が何らかの援助をするんだから、というなら口出しするでしょうけど。
今朝のニュースに、過去の米国大統領@ブリュッセル、って記事があり、けっこうおもしろかったです。
クリントンの頃なんて、けっこう気楽に市民とのコンタクトがあったのねえ、と思っちゃった。
動画がいくつも貼り付けてあります。
スポーツの話題は、金曜日からユーロ杯が始まったのでそればかり。
あとローラン・ギャロスかな。
昨日はベルギーの初戦だったので大騒ぎでしたが、同じBグループのデンマークvsフィンランド戦で、デンマークのクリスチアン・エリクセンという選手が倒れた、ってので誰もが心配したようです。
私は特にサッカーファンというわけではないけど、やはり「うわあああ」と心配しました。
夕方のニュースの直前の出来事で、けいれんしている様子や意識のない様子も映像で見て取れましたから。
番組の間、新しい情報が入るたびに知らされ、ニュースが終わる頃には、病院に運ばれ状態が安定し話もできるようになった、とのことでホッとしましたが。
コロナ禍については、数値は良い方向に向かい続けています。
今朝の記事によると、ICUの患者数が300を切り285人で、Rtが0.77。
昨日は、まだ40代の首相にもワクチンの番が回ってきて、1回目の接種を終え嬉しそうでした。
さて、備忘のために記しておこう、と思ったのは、昨日参加したガイディング・ツアーのことです。
私の暮らす地区の歴史的・建築史的な説明を聞きながら2時間歩きました。
知らなかったことをいっぱい学んで、とてもおもしろかったです。
主催は以前もちょいとこのブログに記したARAUです。
↑ の記事を記した後、この時参加したツアーを最後にコロナ禍のせいですべて中止、去年の夏再びイヴェントが復活したので、アンパン邸を中心にめぐるガイディング・ツアーに申し込んだものの、自分の膝のケガで歩けずキャンセルしましたし、秋以降はまたコロナ禍でこういうイヴェントもなくなりましたから、ホントに久々でした。
私が暮らすあたり、暮らす人々も街並みも感じがよくて気に入っているんですが、もともと19世紀にジョルジュ・ブルグマンという当時の大金持ちがメセナとなって整えた地区。
ベルケンダールという通りがあるのは知ってたんだけど、ベルケンダール地区と呼ばれることは初めて知りました。
ちゃんとWikiの記事もありました。
↑ の記事に載ってるフォトは、ブルグマン広場に建つ旧赤十字の建物です。
ジョルジュ・ブルグマンは、彼の親の代にドイツからベルビエ Vervier に移り住み、羊毛業を始めて大成功、財を成したファミリーです。
ベルギーはイギリスに次いで世界で2番目に産業革命を起こした国、まわりの国々から新しい事業を起こそうと多くの人がやってきたのでした。
ブルグマンは事業成功後ブリュッセルにやってきて金融業も興します。
自分の銀行なので、融資の対象も自分の好みで選ぶことができた。
医療機関などにも融資していますが、その他にも、都市の一角として新たな地区をつくることをした。
それがベルケンダール区です。
そういう背景を持った地区には、アーティストや政治家やその他有名人の家がいっぱいあったわけですが、その中で特におもしろいと思った家など記しておきます。
アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデによるウォルフェルス邸。
(ウォルフェルスはものすごく有名な彫金師)
光の関係で撮れなかったんだけど、この右の方には塔もあり、そこはこの家のジムナスティックの部屋まであったそう。
入り口は、やはり撮れなかった右側に緑色の鉄の門があってそこが入り口、外から見るとまるで要塞みたいで非常にユニーク。
この家はその後アンリ・ダレというラジオログが所有、この方アートのコレクションが趣味で、この家もその一環、で、おもしろいのは外観はきちんとメンテナンスされているんですが、内部は絶対手をつけない方針で、壁が朽ちようが絶対にそのまま、TVやコンピューターといった建設時に存在しなかったものは一切入れず生活されたそうです。
2020年11月に亡くなり、今この家売りに出されています。
買いたいんですけど…と言えば、内部が見学できますね。笑
残念なことは、この方のコレクションだった素晴らしいアート作品の数々、ベルギーの王立美術館に譲ることを提案したものの話が折り合わず、全て米国に行っちゃったということ。
アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデは、自分のやりたい仕事が当時のベルギーではあまり認めてもらえずドイツへ移りましたが、この方の弟子のひとりがグロピウスなので、バウハウスの始祖とも言える人です。
ウォルフェルスの店舗兼アトリエ兼住まいだったヴィクトル・オルタによる建物(オルタ最後のアールヌーヴォー建築)が、旧市街にあります。
あまり極端なグニョグニョのアールヌーヴォーは好まなかったらしく、住まい部分はネオクラシックという感じなんですが、こちらの建物を見ながら、なるほど、と思っちゃった。
ウォルフェルスと道を挟んだお隣が、モデルニズムの典型!って感じのグレゴワール邸。
このツアーに参加したのが20人ちょっとで、映りこんでいる男の子もそのひとり。
参加者の中にはこの邸宅の主のお孫さんもいらっしゃって、お話をしてくれました。
代々の弁護士ファミリーで(伝染するんです、とおっしゃってました 笑)、大戦時はレジスタント活動をされたおじいさまは法務大臣を務めたこともあります。
ゼロ階(日本でいうところの1階)にある大きな書斎の壁の一部は隠し扉になっていて、そこに英兵をかくまったりしていたのだそうです。
最初は2階建てだったのを段階的に大きくしたのだ、とおっしゃっていました。
地理的に真ん中にあるベルギーですから、フランスからの影響とドイツやウィーンからの影響を受け、都市計画の中の外観に関する規制などはあるものの、それぞれの建物の主と担当する建築家の好みでなんでもありなんです、というガイドの説明も、おもしろいなあ、と思って聞きました。
折衷様式のひとつであってブリュッセルにしか存在しないボザール様式ってのもおもしろいと思いました。
18世紀のルイ16世の時代の装飾などがされている建物です。
そんな中、音楽好きで作曲家の像も飾らせた、という主のボザール様式の建物。
下から、バッハ、ベートーベン、ワグナー、ヴェルディ、モーツァルトです。
ベルギーではアパルトマンに住む、というアィディアがようやく受け入れられるようになったのが1920年代、そういう建物には各階を別のファミリーが所有しますし、エレベーターが不可欠で、当時のエレベーターの保存を訴える運動もあるそうです。
うちのすぐそばに公園があるんですが、その公園が大戦時のレジスタントだった神父さまの名を冠していることも初めて知りました。
プチ・リアン Les Petits riens という不要な衣類や家具を寄付してもらい必要な人へとつなぐ活動があるんですが、その創始者がその人だった、ってのも初めて知りました。
それにしても、自分の身の回りも知らないことだらけ、ですねえ…。
何か新しく知るたびに思い知らされる。
↓ がその神父様についてのWikiの記事ですが、その公園についてもフォト付きで記されています。
それから、これも知らなかったので「へえええっ」と思ったのが、うちの向かい、1階部分をバイオリニストのイザイが所有していた大きな建物ですが、この建築家が、象徴主義の画家ジャン・デルヴィルの息子だ、というのも初めて知りました。
仕事のない緊張感も何もない日々、大学の講義も王立アカデミーのコンフェランスも9月までないし、本を読むのは面倒だし、こんな暮らししてたらボケまでまっしぐら、動かないことで太ることよりもっと深刻…、たまにはこういうイヴェントに参加するのも大事ね、と思ったことでした。
18・19・20日は、ブリュッセルの考古学デーということで、参加無料のガイディングツアーがいくつかあるんで、それにも申し込んでおきました。
夏至も近づき恒例の音楽フェスティヴァルも催されます。
バイデン氏が去ったらまた少しは動かねば…、と思うのである。