時計を1時間戻してから、毎日早起きです。
今朝はすごい霧。
後で晴れるのかな?
さて、けっこういろいろ感じたり考えたりすることがあるんで、忘れないようにメモしておきます。
● コロナ禍第4波らしいけど、いち早くマスクなしでもよいことにしたフランダースが、また閉じた空間やものすごく人がいっぱいいいるところではマスク義務、と変わったことと、コロナパスの提示義務が強化されたことくらいが変化。
何らかの症状を感じて「これってCovidに感染・発症?」と疑う人は、政府の作ったサイトにいけば、ものすごく簡単にテストを無料で受けられるシステムがスタート。
ネット環境のない人のために、近いうちに電話で同様にテストにアクセスできるようになる、とのこと。
今入院中の人たちはワクチンを受けていない人。
ワクチンがお腹の赤ちゃんに悪い影響をもたらしたら・・・と心配してワクチンを受けなかった妊婦さんが入院患者にはかなりいるそうで、妊婦さんも恐れずワクチンを受けてください、と報じられています。
● しばらく前にここで触れたシモン・グロノウスキさんのお話を、FB上のビデオでまた見たので貼っておく。
シモンさん、ジャズ・ピアニストだったんですね。
初めて知った。
ここで彼が語っていることで、事実関係でいくつか勘違いしていたことや新たに知ったことがあったのでメモ。
コロナ禍でのロックダウン中、住まいのある通り、誰も通らない寂しい様子だったので、窓を開けてピアノを弾いたら、人が少しずつ集まってきて拍手をしてくれた、という話。
↑ の記事に書いた、彼を捕らえようとはしなかった憲兵が、彼を自宅に連れ帰りファミリィでずっとかくまってくれたという話。
(前回書いた時は、書きながら気になりながらも「警官」と訳したんだけど、これは憲兵とするべきでした。)
自宅で昼食中だった時ゲシュタポがやってきて連行されたんだけど、その時は父親は留守だったんで、母親と7才年上のお姉さんとご本人と3人だったこと。
お姉さんはクラシックピアノを弾く人だったけどジャズが好きで、大好きだった彼女を思って、楽譜も読めないのにジャズピアノを弾き始めたこと。
シモンさんの体験はオペラにもなったこと。
そのオペラを観たNYタイムズの記者に「ウッディ・アレンと一緒に演奏するのが夢」と語ったら、それが実現したこと、などなど。
● 今週は死者の日のヴァカンスなんだけど、昨日水曜日は音楽史の講義がありました。
内容はコンフェランスで、テーマは「19世紀の女性ミュージシャン」。
講師は、19世紀のリエージュ出身の女性作曲家ジュリエット・フォルヴィルに関する研究で博士号を取った人でフォーヴ・ブガールさん。
たぶん30代前半。
フォーヴって名前がかっこいい、と思っちゃった。
フォヴィズムのフォーヴです。名前をつけた人(親?)の思いが感じられる。
フォーヴさんの場合、ジュリエット・フォルヴィルが残したものがちゃんと保管されていたのが幸運だったけど、名前しか残っていない女性作曲家がほとんどで、この分野、研究はとても難しいらしい。
それに先立って読まないといけないテキストがあったんですが、歴史上のことをいろいろ学ぶと、イヤでもフェミニストになっちゃうよなあ、と読みながら確認してしまった。
コンセルヴァトワールで学んだバイオリン奏者たち、圧倒的に女性陣が優秀なんで、そのままじゃ男性が職にあぶれるというんで、オーケストラに参加できる女性の人数をうんと少なく制限したりもしていたらしい。
これは、男性がお金を稼いで家族を養わないといけない、という考えが背後にあることを考えると、男も女もどっちも気の毒ですけどね。
ヴァイオリンは胸に触れるんで女性にはNG、チェロは演奏するとき足を広げるので女性にはNG、吹奏楽はミリタリーのものだから女性にはNG、などなど今の時代に聞くと、バッカじゃないの?って話がいっぱい。
ピアノは、体と楽器が離れているし、顔も観客の方を向かないのでOKだったそうな。
でも、もっと昔の状況を見ると、そういう女性差別はうんと少ない。
報酬についても、女性の方が男性より多かったり。
女性蔑視って、18世紀以降の発想かな、と思ったんだけどどうなんでしょう。
女性を「自然・身体・感情・再生産」に、男性を「テクノロジー・エスプリ・理性・生産」にそれぞれ結びつける考え方も背後にあり、音楽作品一つとっても、女性的なものは男性的なものに劣る、と位置づけられていた。
だいたい、女性が感情的で男性が理性的、なんて大間違いですよね!
少なくとも私自身の経験では、私の知る女性たちの方が、私の知る男性たちより圧倒的に理性的、です。
たまたまFB上でビデオを見たので知っていた、セシル・シャミナードという女性作曲家の話もありました。
女性として初めて国際的に知られることになった作曲家。
彼女の作品を知りたかったら、この ↓ ビデオで少し聴けます。
女性音楽家たちが活躍の場を得ることができたのは、第1次大戦で男性が激減したのも大きな理由です。
● 以前ここに紹介した、ドキュメンタリー作品を作ってる甥っ子のフロリアン、先日彼のうちにお茶にお呼ばれしたんだけど、そこで知ったこといくつか。
彼らの赤ちゃん、アディスって名前なんだけど、これアディスアベバのアディス。
エチオピアの言葉で、「新しい」って意味なんだそう。
アディスくん、お誕生日が私と同じ12月25日、私と63も歳の差がある。笑
私の音楽史の先生で長女の仲よしはエレーヌっていうんですが、このエレーヌがフロリアンとも知り合いだったことが判明。
エレーヌの専門分野はモロッコのグナウワ音楽研究。
この音楽に興味を持ったフロリアンが、撮影に行った先で知り合ったとのこと。
(こういう風に、ブリュッセルは大きくない都市なんで、興味・関心が同じだと、絶対と言っていいほどつながっています。)
こんな音楽 ↓ です。
● ここんところものすごく多くの時間とスペースを割いて報道されているのが、COP26です。
私は毎日、朝起きたらずっとラジオを入れっぱなしにして、聞きながらあれこれするんです、この記事を書いている今この時もそう。
RTBFのPremierというチャンネルで、朝6時からずっとニュースをやります。
政治家や活動家、アーティストや作家、などなど、さまざまな分野に関わるゲストが招待されますが、今は大部分がCOP26をきっかけに、環境や社会問題に関わる人が呼ばれています。
TVのニュースも、家にいる限り昼と夜は視聴するんですが、こちらでも必ずかなりの時間を割いてCOP26をきっかけにしたものが報道されています。
(話を聞く方が読むよりカンタンというのも大きい。情けないことに、たいへんな怠け者なので。書かれた記事は、目について「オッ」と思ったものと、ニュースで聞いて気になったものしかちゃんと読まなくなっちゃった。)
内容は、政府の代表が話したことや彼らが合意に達したことだけでなく、というより、それよりもっと多くの部分が、その代表者たちが勝手に何でも決めないようにプレッシャーを与えるためのもの、また、プレッシャーを与えるために世界中から集まっている人たちとその言い分を紹介するためのもの、です。
温暖化ガス削減と電力使用削減は重なる部分も大きいと思うけど、前者の言い方だと、いわゆる「グリーンウォッシング」ってのに取り込まれる可能性が出てくる、それでもこの言葉を使うのは、脱成長って言葉をそれだけで嫌がる人々がいることとちょっと似てるのかな、と思ったりしました。
たとえどんなに技術を駆使しても、今までと同じことを続けていこうとするなら、環境問題は絶対解決しないと思うんだけど。
まだ他にも何か考えたことがあったような気がするが…、思い出せない。
おもしろいな、と思った記事を貼ってオシマイにする。
今場所によっては提示しないといけないパス、こういう例は昔から存在した、という話。