毎年12月にガン専門医のところに行くので、それに先立って各種検査を済ませるために病院に行きます。
昨日がその検査日。
病院の予約日は動かしたくない、でも働いてナンボのフリーランスの身としては、「この日は仕事できません」というのを最小にしたい、というわけで、1年前から全部同じ日に予約を入れ、その日がやってくると、「ああ、また1年経ったなあ、もうすぐ今年も終わりだなあ」と感じます。
なんでも早く済ませたいせっかちオバサンは朝一番に予約を入れていて、まず血液検査からスタートなんですが、遅れてはいけない、と余裕たっぷりでうちを出ます。
この辺が自分でもやや病気っぽいと思うんだけど、「もしトラムが時間通りに来なかったら…」などと考えてしまい、その余裕にさらに余裕をのっけてしまうので異常に早く到着してしまいます。
毎回、もっと後のトラムでも大丈夫だったなあ、と思うんだけど、でも「そうやってちょうどいい時間に出た時に限ってトラムにトラブルが起こるかも…」なんて考えるんですよねえ。
ま、うちで時間をつぶすのも、約束の場所で待つのも、同じですからね。
時間をつぶす本(昨日はバルバラ異界)を持参すれば済むし。
そういうわけで、またまたものすごく早く到着しそうだったんで、トラムを下りてからはフォトを撮りながらゆっくり病院に向かいました。
プチサブロン公園を囲むスタチューは、それぞれがギルドを代表してます。
道を渡ってサブロン教会。
そしてグランサブロンを下りていきます。
広場には Nocturne という冬の特設バーが設置されてました。
時刻は朝ですが、まだまだNocturneでありますねえ。
と、ブリュッセルがうんと小さかった頃の13世紀の城壁だった道まで下りると、ちょっとしたスペースにベンチが置かれ、そこの壁には青空が描かれていて、なんだか「かわいいなあ」と思っちゃった。
こうやってフォトを撮りながら歩いていると、どこかに出かけて朝帰りか、これから仕事に出かけるところなのか、アラブ人の男の子二人と目が合ったんで「ボンジュール」と言うと、「ボンジュール、よい1日を」と返した後、「マダム、あなたはキレイな人ね」と付け加えてくれたんで、お世辞とはいえ朝っぱらから(って、まだ夜だけど 笑)いい気分になっちゃった。
単純な性格ってホントにメデタイわ。
(そういえば、最近上の階に住むマダム ‐中等学校の仏語の先生- に、いつもエレガントですね、と言われめちゃくちゃ嬉しかったことでした。お世辞とはいえ、還暦過ぎのオバサンにとってこれ以上の誉め言葉はないよね、と思うのである。)
で、さらにその13世紀の城壁だった道を渡り、有名なエスタミネ La fleur en papier doré の前を通って病院に到着。
病院に入って最初に目に入るのが、予約不要で無料ワクチン受けられます、のポスター。
と、これだけゆっくり歩いても、まだまだ時間がたっぷりでありました。
で、予約を入れていたセクションのひとつ、担当のお医者さんが病気で出てこれないというんで来週また出直すことに。
こればかりはコロナ禍のおかげで、仕事などないヒマ人の私には全く問題なし。
月に1回の友人とのランチ日だったんで、病院からうちに戻る時間はないなあ、と思ってたんだけど、想定してなかった時間の余裕ができたんでいったん帰宅。
うちの最寄りのトラムの通りはイチョウ並木。
落ち葉がきれいでありました。
今回は忘れずにランチのフォトも撮りました。
今回はテーブルについてまずいただく泡はベルギーのRuffus。
すごくおいしいんです。
でも今年の悪天候はここのブドウに大きな影響で、しばらく前に、生産量が4分の1になるようなことをニュースで読みました。
スターターは秋のサラダ。水菜(仏語でもMizuna)がたっぷり使ってありました。
メインはブタの肩ロースでありました。
おいしかった。
今回はポワチエの話で盛り上がったのであります。
というのも今週の美術史概論中世編の講義で、ポワチエの中世の建造物のフォトをいっぱい見て感動したので。
彼女のお母さんはポワチエ出身のフランス人なのです。
ポワチエというと、私の脳みそは、ポワチエの戦い、そしてそこ出身のミシェル・フーコー、って反応しかしてなかったんだけど、おお、こんなものが遺っているんだ!と、訪ねてみたくなりました。
そういえば、前にも記しましたが、よく読ませてもらっているブログのひとつ、風の旅人で最近読んだ記事 ↓
第1198回 エチオピアが、ユーゴやアフガンのようになってしまう。 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜 (hatenablog.com)
私は訪ねたことはありませんが、エチオピアが長い歴史が脈々と流れている場所だ、というのは、そうだろうなあ、と思います。
でも、
>人々が歴史の街として憧れるパリなんか、実際は、19世紀の都市計画によるもの(京都の祇園と同じ)だし、エジプトのピラミッドも、ギリシアのパルテノン神殿も、過去の遺物にすぎず、博物館の陳列品のようなもの。
というところは、それは違うんじゃないか、と思いました。
エジプトもギリシャも行ったことありませんが、少なくともパリについて言えば、何層にもなって歴史が生きており、それはそこで生活している人たちとともにあるので。
ブリュッセルも同様です。
今朝読んだ記事でおもしろかったもの。
多数の難民を受け入れたスウェーデンが思い知った「寛容さの限界」|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)
この記事の
「民主主義社会の基盤は、建国文書に記された抽象的な原則ではない。・・・・・・・・・・・国民の集合的信念に依拠するのだ。」
というところに共感。
ほんとにそうだと思う。
で、ブリュッセルのテロ事件が起こった時に自分が記した記事も読み返してしまった。
たとえば、あの時の報道はまさしく「国民の集合的信念に依拠」したものだったと思うんです。
↑の記事でも触れてあることで、ここんところずっと大きな問題になっていることがあって、あまりにもしんどいことなんで一度もここに記しませんでしたが、リンクだけでも貼っておきます。
なんだかんだ言っても無事に今まで生きてこられて、今だって何の不足もなく楽しく暮らせている私ですが、なんでこの私がひどい目に遭って生きてるあの人たちじゃないのか、考えても仕方ないのだけど、考えないではいられないなあ…と思う。