12月に入ってからのメモ

あいかわらず暗い日々です。

12月2日の朝、雪がいっぱい降りました。

ぼたん雪

気温も氷点下ではなかったし積もるようなものではありませんでしたが、気がつけばものすごい雪でビックリしてしまいました。

おおお、と思ったので「フォトを…」と試みましたが、目で見ているようには撮れなかった。残念。

 

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(窓ガラスに自分の影が映っていることに今気づいた。)

 

しばらくの間、屋根は白かったです。

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昨日土曜日の昼前、窓の外を見たらサン・二コラが歩いていました。

おお、と思った時はもうフォトを撮れるタイミングではなく、すごく残念。

で、ネットで検索して拝借。

(あの歩きっぷりから見て、けっこう若いサン・二コラさんだったと思う。)

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子どもたちの守護聖人、12月6日にプレゼントを持ってきてくれる聖人です。

 

前日の夜に、彼がまたがる白馬のためにニンジンやカブをお供えしておくと、翌日はそれがなくなり代わりにプレゼントが…という風です。

ずっと前、すごい田舎に住んでいた時、ジョゼフというおじいさんが隣に住んでいて、サン・二コラの日にはうちの子供たちにビスケットをプレゼントしてくれていました。

私はよく彼のうちに行ってコーヒーをいただきながらおしゃべりしていたんですが、12月6日も近いある日、彼が子どもの頃はプレゼントはオレンジ1個だったこと、自分自身で「サン・二コラは実在しない!」と見破った話をしてくれました。

自分ちのうさぎが食べていたニンジンが、自分がお供えしたものだったので見抜いたんだそうです。(そのニンジンに何か特徴でもあったんですかね。笑)

かわいい。

 

そういえば大学時代、サンタクロースをいつまで信じていたか、みたいな話になったとき、サークルの先輩が、クリスマスの日、起きたら枕元にプレゼントがなかったんで大急ぎで「かあちゃん、サンタクロースが来ていない!」と訴えたら、「あ、忘れてた。置いてきて。」と自分が置くことになり、「サンタクロースはいないよ。」とお兄さん・お姉さんに教えたのは自分だ、と言ってました。

これもかわいい。

 

うちの兄は、「サンタ・クロースは好かん。僕の髪を踏んでいったんで痛かった」と言ったことがあったそうで、プレゼントを置く際に父親が知らずに踏んづけたらしくて、両親はこっそり笑っちゃったそうです。

うちは貧乏だったんで、クリスマス・プレゼントと言ってもちっちゃなドロップスの缶カンひとつ、みたいな感じでしたが、とても嬉しかった。

前日までに用意できなかったんでしょうね、「そこでばったりサンタクロースに会ってプレゼントをあずかってきた」なんてこともありました。

かあちゃんばかり会ってすごい、子どもは会えないのか?会いたい!と、ものすごく羨ましかったことです。

 

そういえば去年は、老人ホームを訪ねたサン・二コラがコロナウィルスを持ち込んだ、なんてこともあったなあ…。

さすがコロナの時代…。

 

 

 

あと目に留まった記事など、貼り付けておく。

 

speakupoverseas.com

まだうちの3人の子供が幼かった頃、フランスのTV局が「日本人女性と結婚したフランス人の男性が子供を連れ去られて会うことができないケースがいっぱいある」というドキュメンタリーを放送、それを見た親戚のおじさん・おばさんたちがものすごく心配して、うちのモト夫に「どうする?!」と言いまくったことで大騒ぎになったことがありました。

その当時、まだ日本はハーグ条約を批准してもいなかったし。

 

 

 

globe.asahi.com

快適な生活をしながら自分のわかる言語でオフィスで仕事をしていても、現場の問題の裏側がなかなかみえてきません。飢餓なり栄養失調がただの数字や統計でなくて、生きた人達の顔とつながるためには流暢でなくてもその国の言葉でその国の水(沸かしてお茶にしたもの)を飲みながら場と時間を共有することが大事だと思うからです。
快適な生活をしながら自分のわかる言語でオフィスで仕事をしていても、現場の問題の裏側がなかなかみえてきません。飢餓なり栄養失調がただの数字や統計でなくて、生きた人達の顔とつながるためには流暢でなくてもその国の言葉でその国の水(沸かしてお茶にしたもの)を飲みながら場と時間を共有することが大事だと思うからです
快適な生活をしながら自分のわかる言語でオフィスで仕事をしていても、現場の問題の裏側がなかなかみえてきません。飢餓なり栄養失調がただの数字や統計でなくて、生きた人達の顔とつながるためには流暢でなくてもその国の言葉でその国の水(沸かしてお茶にしたもの)を飲みながら場と時間を共有することが大事だと思うからです。
快適な生活をしながら自分のわかる言語でオフィスで仕事をしていても、現場の問題の裏側がなかなかみえてきません。飢餓なり栄養失調がただの数字や統計でなくて、生きた人達の顔とつながるためには流暢でなくてもその国の言葉でその国の水(沸かしてお茶にしたもの)を飲みながら場と時間を共有することが大事だと思うからです

流暢ではなくとも、その国の人たちとそこの言葉で直接にコミュニケーションを…というところに好感を覚えました。

忙しいということもあるんでしょうが、海外に駐在していても全くその土地のことに関心のない方、いっぱいですしね。

うまくいかないことの経験だけで悪口言いまくる人も多いし。

それに、僅か3年くらいでは何もわからないままだろう、とも思います。

以前、海外にも進出する大会社の上層部の方と仕事をした際、「3年で移動させるのは、それ以上そこに暮らすと日本に帰りたがらなくなるから」とおっしゃっていました。

 

 

 

ピエール・ラビが昨日亡くなったそうです。

www.rtbf.be

 

 

ちょいと試し読みしたけど、おもしろそう。
もう本は増やさない方針なので、ゲットすることはないけど。

hanmoto9.tameshiyo.me

 

 

カフカがデッサンを残していたことを知りませんでした。

www.facebook.com

 

ランボーが文学を捨てた後、アフリカで撮ったフォトの話。

www.facebook.com

 

 

これ ↓ 後で聴けるように貼り付けておく。

www.franceculture.fr

 

 

しばらく前にイチョウの落ち葉のフォトをアップしたら、それを見た姉が、彼女も近くのイチョウの落ち葉のフォトを撮ったと送ってくれました。

イチョウの葉っぱは末広がりでめでたく、お財布に入れてたら金運が…みたいな話があるのだそうです。

そういえば、困ったクンである父のせいでずっと貧乏だったうちの母、お財布の中にはお金は入ってないのに、金運お守り的なものだけはいっぱい入ってました。

姉が「ああいうお守り、効力ナシってことよね」と言うんで、「あのお守りがなかったらもっとひどい目にあってたかもよ」と返事し笑ったことでした。

亡くなったあとの銀行の通帳には500円くらいしか残ってなかったんじゃないかな。笑

彼女の「どうにかなるさ」という楽観ぶりには、ずいぶん救われたなあ、といつも思います。

ありがたいことです。