今週はめずらしく忙しかった

今週は、コロナ禍に突入して以来一番忙しい一週間だったかもしれない。

って、毎日何かひとつ用事がある、くらいの意味ですが。

(こんなんで忙しいなんて言ってる私は、もう社会復帰はほんとにムリです)

 

 

先週予定されていた自由大学の音楽史のコンフェランスが、講師の都合で昨日早朝に変更されたので聴いてきました。

早朝8時からの講演で、テーマは映画音楽。

ものすごい霧でした。

大学キャンパスで7時40分ころ撮ったフォトです。

まるでシンボリズムの画家の作品みたい。

(また自分の影が映りこんでいる…)

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昨日は月1回の友人とのランチの予定でした。

その友人、今はテレワークが基本で、モンスから週に1回、金曜日だけブリュッセルのオフィスに車でやってくるんだけど、霧がすごくて危険なんで出て来なかった。

それでキャンセル。

命かけてまで仕事やランチに出てくることはありませんからね、当然の判断。

いつものレストランは大学からそう遠くない、講義のあと中途半端に時間があり、いったん帰宅するにはちょっとバタバタするし、そこらへんのカフェで時間をつぶすには長すぎるし、どうしようかな、とずっと考え中だったんで、「おお、これも神さまのご配慮か!」と思っちゃいました。

月に一回のご馳走日がなくなったのは残念でしたが。

 

 

 

14日には3回目の対Covidワクチンを接種してきました。

私より数日早く3回目を接種した友人から、最初の2回は私と同じファイザーだったけど3回目はモデルナで、接種後一日経ってから頭痛と全身の筋肉痛に苦しんだという話を聞き、異なるワクチンということもあるんだなあ、と思いつつ行ってきました。

 

(例によって)予約時間よりずっと早くセンターに着いちゃったけど、前と少しシステムが変わり、到着順にどんどん前進できるようになっていて、本来の予約時間にはもう全て終了。

こんなことならもっと早く来てもよかったな、と思ってしまった。

私の場合は3回目もファイザーで、原始の力と鈍感力に加え年寄り、という私の持つ3つの要素のおかげか、望まぬ反応は何もなく、万が一の場合はパスするしかないな、と思っていたその日の夕方の美術史概論の前期最後の講義にもめでたく出席できました。

そして昨日でまるまる3日、なにごともなく経過。

 

 

 

最近FB上で見かけて読んだ記事。

globe.asahi.com

この記事に、
 
>「平等」精神を重んじる北欧では、競争社会であるアジアよりも他人を信頼する傾向が強い。信頼でなりたつ仕組みが、ここにもあった。
 
と書いてあるんですが、「信頼」というより、他人は他人、という「個」の問題じゃないかしら、と、私は長いベルギー暮らしの経験で思いました。
フィンランドでは、もしかしたらほんとに「信頼」かもしれないが…)
Aさんはこうだ、Bさんがこんなことした、と、「世間」が一人の一般人を攻撃するような場面を見たことないんです。
(もちろん政治家が不正や失言をしたら攻撃されます。3日で首がとぶし、場合によっては刑務所行きです)
何らかのシステムに甘える人や悪用する人はどこにでもいるけど(もちろん見つかったらすごい罰金が待ってる)、その人たちの存在を理由に本当に困っている人を切り捨てるわけにはいかない、それに、じゃ自分自身はどう生きたいか、そちらの方がよほど大切ですから。
悪用する人を見て「羨ましい」と思うなら、自分もそうすればいい、それをしないのは自分が望むものはそんなことじゃないから、ですよね。
 
学校でも子供たちに順番をつけるようなことはしないし(成績表は順位ではなく自分がゲットした点数)、受験もないし、塾もないし、競争社会じゃないってのは確かに大きい、と思います。

勉強に励むのは、集団の中での自分の「位置」を確保するのが目的ではなく、自分が目指すものに近づくためにクリアする必要がある課題だから、です。

どんなに高い点数をゲットしても、目指すものを持たない人は尊敬されることもない。

 

と、そういうことを考えたりしました。