欧州はタイヘンなことに・・・

先日ここに記した嵐のすぐ後、もう1回嵐がやってきたりしましたが、水曜日くらいからお天気はマシになり、この週末、冷たいけれど(今朝起きたとき、外はマイナス2℃だった)青空です。

 

ここんとこ毎日4分ずつ日が長くなってます。

あとひと月でサマータイムになります。

 

水曜日の朝7時30分、大学へ向かうためトラムを待っているとき。

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講義を聴き終えて帰宅するときの空。

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木曜日の夜、ローマから来てるジョヴァンニくんと一緒に、うちの3人娘がやってきました。

ロベルト・ベニーニ級のおもしろさだと聞いて勝手にイメージしていたのとはちょっと異なり、イタリア人にしてはかなり長身で細身、賢そうな顔をした青年でありました。

フランス語もスペイン語も英語もOK、加えてスワヒリ語もできるので、夕食の際はスワヒリ語を少し教わりました。

(数日経過した今、教えてもらったことはもうすっかり忘れてしまったけど…)

アフリカの言語って、なんとなく日本語に似ている気がするんですよねえ。

以前コンゴの人と話したとき、その人が日本語のオノマトペとの共通点を指摘していましたが、スワヒリ語は文法の時制に関してもちょっと似てるかも…と思いました。

 

 

 

晴れたり降ったり曇ったりの昨日金曜日は、友人と月に1回のランチ。

 

いつもどおり少し早く着いた私は、彼女の到着を待つ間、一足先に泡を1杯。

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この日は店の予約状況の都合で、いつものテーブルから一つずれて座ったんだけど、そこから見えるカウンターの向こう、なんだか静物画みたいだった。

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スターターはキノコのポワレ

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メインはウサギ。

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食事も終わり勘定を済ませると、さて来月の予約を…と思う間もなく来月3月11日を最後にここを閉めます、と。

ショック…。

ナミュールのクルぺという町に新しくレストランを開くからここを閉める、というのはコロナ禍突入直前に聞いていました。

コロナのせいで予定が狂い、それがずっと延びていた。

この日も友人と「このまま引っ越さないで欲しいねえ」と話していたことでした。

しかし、ついにやってきたお引っ越し。悲しすぎる。

でも彼らにしてみれば重要なプロジェクト、とても明るい表情でした。

クルぺというのは、「ワロニアの最も美しい村」のひとつです。

beauxvillages.be

今までは、近くのオフィスで働く人たちや、近所の裕福な年金生活者の人たちでいつも満員状態でしたが、あの田舎に引っ越すとなるとずいぶん異なるコンセプトになるんでしょう。

私の美容師さんのパートナーとこのレストランのシェフは、「ブリュッセルは小さな街だ」の証明のようにたまたま親友なんですが、美容師さんは「星を狙っての引っ越しじゃないかなあ」と言ってました。

彼らが親友だと聞いた時は笑っちゃいました。

シェフカップルと美容師カップル、一緒に食事していた時お互いの「ニッポン人お得意さん」の話になったのだそうで、話しているうちにそれが同一人物(つまり私)だと判明したのだとか。

そういえばもうひとつ「小さな街の証明」、7月の水害の時、被災者の支援に向かった長女は彼女の友人のお母さんの車に便乗させてもらった、そこにこのシェフが作った支援のための食事を運ぶために、シェフのお母さんも便乗。

2人のお母さんも仲のいい友人だったんです。

 

来月は11日に予約を入れました。

アペリティブはご馳走するからね、と言われました。

 

このレストランでがっかりさせられることは一切なかったし、友人のオフィスから近く、私にもアクセス簡単だったのになあ…。

 

 

 

と、ノーテンキな話題はともかく、戦争が始まってしまいましたね…。

プーチンがロシアとの国境近くの地域の独立を認める宣言をしたとき、えええっと思いました。

この日のニュースでは、それに驚き心配をする人々とともに、それを喜ぶ人たちの様子をニュースで見ました。

後者の人々は皆、お腹の出たオジサンたちでした。

若者たちは皆、驚き心配していました。

この地域は工業地帯で、ウクライナの人口の10パーセント、GDPの20%を占めている、と言ってました。

そして木曜日にはロシアによる攻撃スタート。

まさかここまで急展開するとは…。

第2次大戦以降最大の軍事侵攻です。

ウクライナの大統領は、18歳から60歳までの男性は武器を取り国を守って、と呼びかけ、プーチンは市民を捕らえ拷問するウクライナのネオナチ政権と闘う、と呼びかけている…。

 

この日、ウクライナに家族を訪ねて戻ったばかり、というもう数年前からブリュッセルに暮らしている学生が、ニュースで自分の話をしていました。

こちらの友人たちから、今行くのはキケンだからやめた方がいい、と言われたけど、平和な故郷を訪ねるのは最後になるかもしれないと思ったので行ってきた、それに国境地域に限定されたキケンだと思ってもいた、と言ってました。

プーチンの国境近くの地域の独立宣言の後、お父さんに「戦争になるからすぐベルギーに戻りなさい」と電車に乗るように言われ、イタリア経由で戻ってきたと。

家族に一緒に行こうと言ったが、残る、と、そしてお父さんは武器を取る覚悟だった、と。

ニュースキャスターの「故郷で成長するとき、ロシアは友好国だ、とか、敵国だ、とか、そういう意識はありましたか?」という質問に、2014年まで、敵とか味方とか、そういう発想をすることすらなかった、と答えていました。

お父さんがウクライナ人、お母さんがロシア人、ロシアにも親戚がいる、と。

この日、ブリュッセルロシア大使館前で戦争反対のマニフがあるので参加する、と言ってました。

米欧が攻撃することはやめて欲しい、世界大戦になってしまうから、とも。

www.rtbf.be

他にもブリュッセル在のウクライナの人たちの話を聞いていましたが、そのうちのジャーナリストの女性が、自分も武力行使には反対だが、今の状況でプーチンを止めるにはもう仕方ないかもしれない、と言ってました。

 

ロシアの人たちも反対のマニフをやってますね。

もし私が今ロシアにいるロシア人だったら、同じようにマニフに参加すると思う。

無力かもしれないけど、少なくともこの方針に反対をしていることを知って欲しいと思うから。

 

2014年、ミンスクプーチンとオランド大統領とメルケルさんが、ウクライナ問題で徹夜で話し合いをしました。

徹夜明けの日はEUで、たしかギリシャの経済問題がテーマだったと思うけど首脳会議だったのですが、メルケルさん、EUでの会議の前にグランプラス近くのホテルで一休み。

たまたま日本からみえた方たちの案内でそこを通った時、メルケルさんがホテルから出てきました。

私は彼女のことが好きなんで、「メルケルさーん」と手を振ると、にっこり手を振り返してもらいました。

嬉しかった。(ミーハーなので)

そのとき、その日本からやってきた方たちのひとりの若い女の子がメルケルさんを知らなかったことにはずいぶん驚きました。

マルクスを知らない、ブロンテ姉妹を知らない、ランボーヴェルレーヌを知らない、などなど、いろいろと驚いてきましたが、この日も驚いたことを覚えています。

あのときから8年経ったのね…。

 

子どもたちのクラスメートにも、ウクライナの子はいたし、モンスで暮らしていた頃けっこう親しくしていたウクライナ人の女性(彼女は、ベルギー人は寛容すぎる、とよく怒ってた)もいました。

みんな故郷を思って苦しんでいるだろうな、と思います。

 

速攻で影響があったのは、株価が下がったこと、燃料費の更なる値上げ、穀類の大幅な値上がり、などです...。

これからじわじわとその影響が日々の生活にも及ぶことでしょう。

爆弾が落ちてくるよりはずっとマシですが…。

 

ウクライナへの武器の援助(これに関しては、何故行うか、外務大臣が説明をしていた)、医薬品等の援助、避難してくる人たちの受け入れや負傷者の受け入れ、といった準備が始まっています。

 

 

spinou.exblog.jp