思い出したこと メモ

今日も爽やかなよいお天気。

毎日少しずつ日が短くなっているとはいえ、まだまだ日が長いし、ヴァカンスモードに突入したので世の中も何気にノンビリしているし、快適です。

 

昨日7月4日、アストール・ピアソッラの命日でした。

夕方のニュースで「亡くなって今日でちょうど30年になります」と言っていて、何かの間違いじゃない?と思うくらい≪30年≫に驚きました。

もう30年も経つんですねえ…。

亡くなったとき、ああ、まだ生で演奏聞いていないのに…と、とても悲しく残念だったのを覚えています。

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パコ・デ・ルシアが亡くなった時もずいぶん悲しかったですが、メキシコで1回、ベルギーに来てからは3回、コンサートに行くことができてました。

ベルギーで最初に行ったコンサートは、ジョン・マクラフリンアル・ディ・メオラと3人の、死ぬ前に絶対に一度は生で聴きたい!と思っていたもの。

 

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2回目は、私のモト夫のモト妻であるアマリアというコロンビア人と一緒に行きました。

これはパコデルシアの兄、ラモン・デ・アルへシラスや、ブラジルのバイーア出身のミュージシャンたち、といった彼とその仲間たちによるコンサート。

 

アマリアは超人級の社交能力を持っていて、会場の警備員さんたちは皆彼女を見るとタダで通してくれるし、パコデルシアたちともすでに知り合いで、楽屋にまで入れてもらいました。

憧れのミュージシャンとじかにお話しできるすごい機会でしたが、憧れすぎで緊張してしまい、後で「ああ言えばよかった、こう言えばよかった」とずいぶん後悔しましたが…。

ちょうど彼らはデザートを食べている最中で、パコデルシアからティラミスを分けてもらったのであります。

その日はアマリアのうちに泊めてもらい、翌日モンスに帰宅。

楽屋に入れてもらったと話すと、「子供が3人いる母親の行動じゃない!!!」とかなんとか、モト夫にひどく叱られたのを覚えています。

バカかコイツ、と、そのとき心の中で囁いた記憶あり。(口汚くてすみません…)

 

その次は、亡くなる少し前。

EN VIVOというタイトルのディスクがありますが、それとほぼ同じ内容でした。

 

パコ・デ・ルシアを初めて知ったのは、まだ20代半ばの頃グラナダで、でした。

 

グラナダへ向かう列車で同じ席に座った米国人の女の子と話をしていて、宿泊先をまだ決めていないと言ったら、自分がいつも利用するのは学生向け下宿、紹介してあげると言われました。

でも彼女の泊る下宿屋さんは満員、さらに他の下宿を紹介されそこに泊まることになりました。

その彼女、名前は忘れましたが、苗字がステイトンだったのはよく覚えています。

私がステイトンと発音したとき、おお、そう本来発音すべきなのよ、米国ではみんなステトンとしか発音してくれない、と言われたのが印象的だったので。

 

グラナダは学生の街です。

学生たちと一緒にいろいろ行動しましたが、Casa de vino というワインを飲むところも連れて行ってもらった場所のひとつで、そこで流れていたのがアランフェス協奏曲。

おおお、と思って、誰の演奏?と聞いたら「パコ・デ・ルシアだよ」と。

 

日本に戻ってから福岡のレコード店で探しまくりましたが、当時は全く見つけることができなかったです。

ティーナという音楽雑誌を購読し始めたり、スペイン語の本を読みまくったり、すっかりラテンかぶれになったことでした。

 

おバカな若い頃の懐かしい思い出。

おバカはあいかわらずですけどね。

 

 

 

昨日は近所の病院に、インプラントに向けてのスキャンに行ってきました。

予約を入れたのは半年前です。

受付ではその予約がなかなか見つからず、ちょいと時間がかかりました。

しかもするはずの検査の日ではない、ときた。

たまたま担当医がその日に限って例外的に出てきており、無事に検査終了。

なんでも、私が予約を入れたのちにプログラムの変更があり、検査日の変更も行われた、その際に私の予約がきちんとトランスファーされなかった、ということらしい。

ものすごくベルギーらしい出来事。

その担当医、先週だったら月曜日は来ていないし、来週はヴァカンスに出かけるからいない、ラッキーでしたね、とのことでありました。

私って、こういう風にけっこう運がいいんです。

それもあって、ちょっとひどい目に遭っても、本来ならもっとひどい目に遭うはずがこれで済んだんだ、と信じられたりする。笑

 

けっこう思慮の浅い行動をとることが多くとも、今まで無事に楽しく生きてこられたというのは、運がいい以外の何ものでもない、と思ってます。

ありがたいことです。

 

 

検査に行ってきた病院は近所ですが、普通通らない道を通るのでフォトを撮ったりしました。

 

朝9時半頃、気温15℃くらい、さわやかなお天気でした。

 

プラタナスの並木。

 

一重のバラ。

 

途中の広場には、コンスタンタン・ムーニエールの船乗り像がありました。

この像、港で栄た、そして今も栄えているアントワープの市庁舎横に大きいのがあります。

これと同じ大きさのは、ムーニエールの住まいだった家(今ミュージアム)と、王立美術館にあります。

ウィーンのベルべデーレ・ミュージアムにもありました。