メモ

7月も終わりそうですね。

 

猛暑は予報通り二日で終わりました。

翌日の雷雨は、私が住んでいるところではほんのちょっとのみ、被害が出ない程度にちゃんと降って欲しかったんですけどね。

でも昨日午前中にそれなりに降ってくれたので、今朝起きたときは外の温度は13℃でした。

 

フランスでもスペインでもイタリアでもギリシャでも火事。

タイヘンです。

ベルギーでもリエージュ近くの自然保護地区が燃えました。

これ、誰かがタバコの吸殻をポイ捨てしたのが原因だとニュースで言ってたと思う。

ポイ捨てだけでもよくないけど、なんでこういう乾燥状況ででそういうことするかな、バカだろな、などと思わないではいられないです。

 

 

 

昨日はベルギーの国の記念日。

一代目の王様レオポルド1世が、市民と憲法に忠誠を誓ったのが7月21日だったので。

コロナ禍ゆえにちゃんとした式典やイヴェントは3年ぶり。

いつにもましてみんな嬉しそうで、楽しむ市民が多かった印象です。

私は籠って過ごしましたが。笑

 

この日を過ぎると、王宮が市民に公開されます。もちろん無料。

これも3年ぶり。

いつもは予約なんていらないんだけど、今年は要予約です。

毎回この機会に行われるふたつのエクスポジション、今年のテーマは5代めの王様ボードワンとレゴです。

 

 

グランプラスで2年に1回開かれるフラワーカーペットの年でもある。

今年でちょうど50年、ということで、デザインは第1回目の再現だとか。

bruxellessecrete.com

 

 

 

FB上で見てグッときたフォト。

彼の兄が撮影した31歳のチェーホフ

Anton Chekhov photographié par son frère Alexander en 1891

 

そうだそうだ!と思ったユルスナ―ルの言葉。

Notre grande erreur est d’essayer d’obtenir de chacun en particulier les vertus qu’il n’a pas, et de négliger de cultiver celles qu’il possède.

自分が持ち合わせていないヴィルトゥスを得ようとし、持っているヴィルトゥスを育てようとしないのは、大きな間違い、といった意味(のはず)。

 

 

これまた「おお、これは!」と思った動画。

20年代のパリで撮影された、スコット・フィッツジェラルドゼルダフィッツジェラルドヘミングウェイ。もう一人は誰だろ。

フィッツジェラルドの動いているところを初めて見ました。

ロスト・ジェネレーションと呼ばれた人々ですよね。

そういやこの呼び名、ガートルート・シュタインがそう呼んだのが始まりだし、まさしくこの頃彼女がそう言葉にしたんだと思う。

自身も小説家になりたかったゼルダ。試みるも花咲かず。

私はまだ日本にいる頃、この方の小説を読んだことあります。

内容は何も覚えていないけど…。

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サントロペがヴァカンス地として発達する前と後の話。

サントロペという地名は、子供の頃、一条ゆかりのマンガ「ふたりのサントロペ」で覚えました。
ベルギーで暮らし始めた最初の頃、ヴァカンスで南仏に出かけたとき立ち寄って、マンガで描かれてたイメージと全く異なるんでものすごく驚いたのです。
マンガ家さんが地名を拝借しつつ勝手に描いたイメージだったのね こういうことってよくあるんだろうな、と、そのとき学んだのであった。笑
おもしろいのは、これ ↓ も、地元の人がインタビューで、実際のサントロペはみんなの描くイメージとは全然ちがう、と笑っていること。
年に3か月、ヴァカンスで人がやってくるときが特別なのよ、と。
今はもう超高級な街だから、この動画の時代とはものすごく大きく変わったとは思うけど。

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あらまあ、と思ったフォト。

この子たちの母親が撮影したって…。

La bonne éducation ! La Princesse Yvonne Sayn-Wittgenstein et le Prince Alexander Sayn-Wittgenstein, Majorque. Espagne, 1955

La photographe se nomme Marianne "Manni" Sayn-Wittgenstein-Sayn. C'est la mère d'Yvonne et d'Alexandre qui est connue par son sobriquet pour la photographie de "Mamarazza".

 

 

 

 

日本の記事は、見たくもない人々の顔写真がドカンとくっついているんで、気持ち悪くてつい避けてしまうのですが、この記事だけは頑張って読みました。

president.jp

 

 

「民主主義」って訳されている言葉のキモは、きちんとディスカッションが行われること・より多くの者にアクセシブルであること、だと私は思うんですよねえ。

ディスカッションすることを学ばせない社会には、最初っから「民主主義」なんてないんじゃないのかしら。

お金があってなんでもけっこううまくいってるときは(私が生まれて大きくなっていった時代みたいに)、それでも一見アクセシブルに見えたんだけど大間違いだったのかも。

社会がロジックでなくエモーションで動くってのも、ディスカッションをする習慣の欠如ゆえに、言葉をきちんと発達させてないからではなかろうか。

 

ヒトの歴史はコトバの歴史、ヒトの発達はコトバの発達だと思う。

 

読み書きができ、ある程度の自由があるにもかかわらず、私の生まれた国があんなになっちゃったのは、考える人が少ない(言葉を使いますからね)からだろうな、とか、そういうことをずっと前から考えてます。

 

 

個人も、社会も、理想とヴィジョンは失いたくないものですねえ。

個人としては、それに加えて、死ぬまで楽しく生きられたら最高だわ。