驚いたニュースなど

前回「雨 降ってほしい」と書いた翌日、ちょっとだけ降りましたがとても十分な量ではなく、「さわやか」には程遠いものでした。

でも昨日ようやくちゃんと降り、今朝はずいぶん快適でした。

 

それにしてもまだ最高気温は25℃を超えるし、最低気温だって15℃くらい。

以前は真夏でもジャケットなしで出かけることなんてなかったんですけどねえ…。

スカーフなしで出かけたら急に冷たい風が吹き始めたりで、出かけた先で購入したり…。

(というわけで、私は山ほどスカーフを所有している。)

 

今、昼前、晴天、気温18℃。

 

 

 

8月も終わりに近づき、夜も暗いままの家が多かったうちの通りも、先週くらいからヴァカンスから戻ってきたのか、明かりがともり始めているし、車の量も増えてきました。

 

ギリシャに出かけていた3女も一昨日戻り、イタリアに出かけていた長女も昨日戻りました。

 

3女くんが、ギリシャは経済的にものすごくタイヘンそうだけど、地域の連帯感がすごい、感心した、と言ってました。

 

 

 

さて、一昨日びっくりするようなニュースを見たので、忘れないようここに貼り付けておきます。

 

www.rtbf.be

 

1815年のワーテルローの戦い、この時亡くなった兵士の数は10万から30万1万から3万とみなされているのに、発見される遺骨がものすごく少ない、なんで? というのがずっと謎だったのだそうです。

ワーテルローの戦い」と呼ばれるのは、ウェリントンが勝利を知らせる手紙の最後に「ワーテルローにて」と記したからで、実際はものすごく広範囲に渡る戦いでした。

 

歴史学者たちが最近発見した文献の記述で、なんで遺骨がこんなに少ないのかがわかった、というニュースです。

 

なんと、砂糖を作る工場で使用されたのだそうです。びっくりしました。

 

ベルギーではテンサイを原料にした砂糖が生産されます。

砂糖は白くないいといけない。

そこでシロップはフィルターを通される。

そのフィルターとして用いられたのが、動物の骨を焼いて黒い粉にしたもの。

 

1820年頃、ワーテルローの近くに大きな砂糖工場ができて動物の骨の需要が高まり、高い値段で取引されるようになった。

で、戦いで死んだ人たちの遺骨を掘り出しては売る者たちがいっぱいいたんだそうです。

1830年代、ブレンラルー(ライオンの丘があるところ)の市長が、遺骨を掘り起こして売ることを禁じた、その記録が発見されたわけです。

 

ひょえーーと思いました。

 

戦いの後1週間もしたら、戦場跡ではツーリズムがスタートした、というのも前に本で読んだことがあります。

 

うわああ、と呆れると同時に、なんとまあたくましい、と興味深くもあり、その砂糖に関して言えば、高級なお菓子にも使われたんだろうなあ…なんてことも思ったり。

 

甘党だったうちの母が、「戦争中は、死ぬまえに甘いお菓子を食べたいなあ、とよく思ってた」と話してくれたのを覚えているんですが、こちらで義母が、「戦争中は小麦粉がないんで、ジャガイモと砂糖でタルトを作ってた、それがけっこうおいしかったのよ」と話してくれたことがあって、ああ、ここでは小麦粉はなくとも砂糖はあったんだなあ、と思ったのも思い出します。

 

 

 

昨日の朝、ラジオのニュースで、私が生まれた国の話がちょっと出ましたよ。

「政府が税収入を増やすため、アルコール離れしている若者たちにもっと飲んでもらうキャンペーンを始めようとしてる。SNS上で批判多し。」と。

 

あらまあ・・・・また・・・でありますねえ。

 

 

 

またFB上で見かけたフォトなど。

 

Edith Piaf photographiée par Boris Lipnitzki en 1936

 

 

若い頃のジョンウェイン、初めて見ました。

John Wayne en 1930

 

 

まさしく、と思ったアーレントの言葉。

全体主義を定着させるのに必要なのは、孤立し教養がなく、社会と有機的関係を持たず、社会的に分離させられ、極端なエゴイズムへと向かわせられた者たちである。

 

 

 

アルディメオラと若いギタリストが演奏してる。

けっこう好きだったので、それを貼り付けてオシマイ。

 

www.youtube.com