この1週間の備忘メモ

9月ももう残すところ1週間足らず。

この調子だと2022年もすぐに終わっちゃいますね。

 

この1週間のことをメモしておきます。

特に Journées du Patrimoine の2日間に見たこと・聞いたことはメモしておかないと、時間が経つと私のちっちゃい脳みそには記憶が残らない恐れがあるので。

以前はこの二日間、あっちこっち欲張って回っていましたが、もうそういうエネルギーはなくなり、一日に一カ所ずつ、それもうちからトラム1本で行けるところのみ、にしました。

 

 

17日土曜日、この日は「歴史的エレベーター巡り」に参加しました。

ガイドを務めたのは、Homegrade という「歴史的に重要なものはきちんと保存しながら、家屋を現行のセキュリティ規定に沿ったものに改修するためのアドヴァイスをするブリュッセル首都圏の組織」に所属する方たちでした。

この組織のメンバーは、その活動の性質から建築家の方が多いそうですが、この日ガイドを務めたお二人は美術史家でした。

homegrade.brussels

 

今年の Journées du PatrimoineのテーマはTrace de la colonisationですから、その中でエレベーターの話となると、一見テーマから逸れているっぽいですが、建築にはマホガニーといった、当時の植民地であったコンゴから持ってきたものが使われたりしたわけです。

 

全部で4か所まわりましたが、最初のところ以外はプライベートだったのでフォト撮影はできませんでした。

 

イヴェントのプログラム ↓ に載っているフォトは4軒めのアパルトマンのものです。

heritagedays.urban.brussels

このフォトを見てもわかるように、金網があるだけなので、階段を上るとき容易に手が危ないところに入っちゃうんですね。

セキュリティのための改修は今年中にやらないといけない規定なのですが、こういった文化財とみなされるものに関しては、2027年まで待ってくれることが決まったそうです。(でもまだ決まったばかりで執行には至ってない)

外観を損なわないうえでの安全対策として、エレクトロニック技術を用いることになるそうです。

お金もかかりますからね、首都圏政府が助けてはくれるでしょうが、まだまだクリアするべきポイントがあるようでした。

 

ブルジョワ階層の人々が、旧市街から出て数階建てのアパルトマンに引っ越すことを受け入れるに至ったことの大きな要因が、「エレベーター誕生」だったわけです。

 

キャビンの中は、上述したようなエクゾティックな木材や鏡などが用いられた豪華なもので、腰掛や(今は絶対使われない)灰皿なども備えてありました。

 

唯一フォトを撮ることができたのは、現在中等学校の一部であるチャペルの塔内に備えられたもので、1919年のもの。

プランはもっと前にできていたけど、第一次大戦にはいっちゃいましたからね。

今は動いていませんが、修復されるそうです。

 

見上げたところ。塔は5階建て。

見下ろしたところ。

地下にあるメカニズム。

 

この組織が発行している説明書のうち、メカニズムに関するもの。

誰でもダウンロードできます。

https://homegrade.brussels/wp-content/uploads/Publications_internes/brochures/Homegrade_pat_AscenseursAnciens.pdf

 

 

2日目、18日日曜日。

ボエル邸の内部の見学ツアー。

ガイドは、たびたびこのブログで触れるARAUのメンバーの方。

この邸宅の中が見られるのは、今年が初めてです。(だからこれを選んだのである)

最近オーナーになったお金持ちの銀行家の方が、修復に向け文化財と認めてもらったので見学が可能になったわけです。

でもフォト撮影はNGでした。

ボエルというファミリー名を聞くと、最近6代目の国王アルベール2世の娘であることが公式に認められて王家の仲間入りしたデルフィーヌさんの戸籍上の父親だった有名な実業家、最近亡くなったボエル氏が思い出されます。

この邸宅はデルフィーヌさんの大叔父さんだった(過去形 笑)人のものでした。

 

この建物があるのはロワイヤル通りといって、旧市街にある王様が執務を行う王宮と、北東にある住まいの王宮を結ぶ道で、旧市街から出る道路としては、ブリュッセルで一番最初に通された道です。

今はちょっとごみごみしているんですけどね、重要な建物や当時の大金持ちの人たちの邸宅がありました。

 

建物入り口付近から見た通りはこんな感じ。

突き当りに見えるのは聖マリア礼拝堂で、プッチーニのお葬式が行われたところです。

彼はブリュッセルで亡くなったので。

ボエル邸の外観。

道の真ん中を人が歩いていますが、毎年この日曜日はノーカーデイ。

公共の交通機関以外は車を走らせてはいけない日なので、トラムに気をつけてさえいれば大丈夫なのです。

 

プログラム ↓ にも記されているとおり、外観はブリュッセル特有のボザール様式ですが、内部はアレコレ混ざってます。

heritagedays.urban.brussels

 

暖炉や柱などなど、趣味で集めた16・17・18世紀の骨董を利用してあり、スペースによってはフランダースルネッサンス様式だったり、バロック風だったり、いろいろ。

私にはあまり趣味がいいとは思えませんでした。

ものすごく豪華だし、おもしろくはありましたけどね。

 

ボエル家はもとはナミュールです。

最初は鋳物業の職人だった。

働いていた鋳物工場が経済的困難に直面した時、その危機を救う大活躍をしてパトロンの信頼を得たのだそうです。

そのパトロンには後継者となる子供がいなかったので、全部彼が受け取った、それがこの大金持ちのファミリーの始まりだそうな。

 

趣味で集めた古い建材等を利用して建てたと聞くと、私はアントワープのMayer van den Bergh ミュージアムを思い出します。

museummayervandenbergh.be

美術品のコレクションが第一に重要だったフィリッツ・マイイェル・ヴァン・デン・ベルグ、若くして亡くなってしまうんですが、彼の母親が彼のコレクションのために作ったミュージアムです。

建物は19世紀のものなんですが、建物のあちこちに彼のコレクションだった暖炉や窓などが使ってあって、それに合わせた建物になってるんで、16世紀頃のものに見えます。

ここでは、フランダースとしては唯一、ブリューゲル父の作品が観られます。

例えば これ ↓

このミュージアムで私が一番好きなのがこれ ↓

13世紀の作品、イエスと福音者のヨハネ

 

ボエル邸の話に戻ると、ここは1958年からMGMに、1970年から2013年まではユナイティッド・ピクチャーズにレンタルされていたそうです。

あちこちに映画のポスターが貼ってあった跡がありました。

 

テーマに関わる大事なことを書き忘れちゃった。

このファミリー、財を成した理由の一つに、コンゴに砂糖工場を持っていたことがあります。

コンゴの人たちを奴隷のように使って、です。

 

 

 

19日月曜日、大学で初講義。

前期は月・火が「哲学・美術史」です。

その時代ごとの哲学・思想が芸術にいかなる影響を与えたか、という講義かと思いきや、月曜日が芸術史で火曜日が哲学と分かれた講義だと判明。

あれ、ちょっと思ってたのと違うぞ、と思いましたが、この美術史の講義は、前年度受けた美術史概論よりもっと的を絞ったやり方でルネッサンス以降の美術を見ていくもので、これはこれで面白そうです。

先生は40歳くらいの、ものすごくカッコイイ女性です。

 

火曜日の哲学の講義は、歯医者のアポと重なってしまい、仕方なく歯医者優先にしたので、まだどんな先生のどんな講義かは不明。

 

哲学の用語と概念の歴史は後期の講義となります。

これが一番のオタノシミだったのですが、まだオアズケ状態。

 

 

 

19日火曜日の午後は、オミクロン株に対応した4回目の対Covidワクチンの接種に行ってきました。

たぶん感染・発症しているので抗体があるのかもしれないけど、結局ちゃんと医者にかかったわけではないので、念のため。

接種後の副作用は、今回も何もなし。

ホントに私の鈍感力は…これって賞賛に値するのではなかろうか。笑

 

 

ワクチン接種の帰路に、Victor de Laveleye 氏の家がうちのすぐそばにあることに初めて気づきました。

この方、第2次大戦時に亡命先ロンドンからラジオ放送を行ってたベルギー人で、私たちが普通に使っている勝利のVサインを生み出した人です。

仏語の勝利を表す言葉Victoireの、そして蘭語の自由を表す言葉Vrijheidの最初の文字〈V〉を取って、Vキャンペーンというオペレーションを行ったのです。

 

Vサインの話は、以前バストーニュにある戦争博物館に行った時に知りましたが、こんなに近くにこの方の家があったことに「おおおおっ」と思いました。

 

 

21日水曜日は、国上げてのマニフェスタシオンだったので、交通機関もまともに動かないし、うちでおとなしく過ごしました。

 

22日は、暖房費援助(うまくいけば国から300ユーロもらえる)の申請書を郵便局で書留で送付。

 

 

そして昨日23日金曜日は、友人と恒例の月に一回のランチ日でありました。

 

この日いつも前を通るリック・ワウテルスの作品、そういえば作品名ってなんだろうと思い初めて確認しました。

タイトルは 家庭の悩み でありました。

今日の食事はどうしよう、って感じかな?

例によって友人より10分ほど早く到着、泡を飲みながら、今日のランチ、どちらにしようかな、と考え中。

私はスターターはカジキマグロのマリネを選び、彼女は森のキノコの炒め物。

メインはふたりとも、アンコウにパルムハムを巻いたもの。

添えてあるシコン(ニッポンではチコリと言うんでしたっけ?)の蒸し煮を焼いたものがものすごくおいしかった。

 

 

 

 

ウクライナ戦争ですが、ウクライナ軍が挽回し始めた頃、戦争の終わりが近づいてきたのか?とも少し思われましたが、一昨日だったか、プーチンが30万の予備兵を招集するようなことを発言するに至って、またまた怖い様相を見せ始めてきましたね。

ロシアを去る人たちもたくさんいますが、ベルギーも普通の難民のかたちで受け入れるようなことをチラッとニュースの見出しで読みました。

「普通の」ってことは、ウクライナからの避難民のような特別扱いはしない、ってことだと思います。

 

 

 

そしてエネルギー費高騰の新たな対策。

www.rtbf.be

 

 

なんだかもっといっぱいいろんなことを見聞きしたような気がするが、またFB上で見かけたフォトを貼ってもう終わりにしよう。

 

 

かわいい。でもお話を思い出し泣けてくる。

Giuletta Masina dans le film de Federico Fellini “La Strada”, 1954

 

 

この作品のジョニー・デップ、切なくてすごくよかったわ。

Winona Ryder et Johnny Depp photographiés par Herb Ritts sur le tournage de "Edward aux mains d’argent" (Edward Scissorhands) réalisé par Tim Burton, sorti en 1990