脳内モヤモヤのメモ

FB上で見かけ、すごい・すばらしい、と思ったので貼り付けておく。

アリナリ兄弟が撮影したフォト。

このフォトについていたコメントの一つに、このアリナリ兄弟が撮ったフォトって写真技術が始まった頃の重要な研究材料になっていて、研究機関が買い上げているのだ、という説明がされていました。

 

Escalier de la tour du Palazzo Vecchio et vue sur la cathédrale, Florence, vers 1900
Photo © Fratelli Alinari

fr.wikipedia.org

 

 

これもいい。小学校の休み時間。マチスの絵を思い出したり…。

男の子の学校ですね。

私よりもう少し下の世代まで、ベルギーでは男の子と女の子の学校は別々だったんだけど、フランスでも同様だったのね、きっと。

La récréation, rue Buffon, Paris, 1959.
Robert Doisneau

 

 

 

昨日は国際高齢者デーだったようです。

ニュースで知りました。

「何歳から高齢者だと思いますか?」と路上で若い人たちや子供にインタビューしてました。

子どもたちは、50歳(これって…いくらなんでも…)、60歳、80歳といろいろ答えていました。

40歳くらいのある女性は、人に頼らず生きていける間は高齢者じゃないのでは、と答えてました(聞きながら、それは違うだろ、と思った私)。

 

 

コロナ禍でもって生活のペースがいきなり変化したのが大きく影響したのかもしれないけど、最近はほんとに何でもめんどうに感じるようになってしまいました。

お腹が空くのすら、ああめんどくさい、なんでお腹空くかな、なんて思ってしまうくらい。

私に関して言えば、この「めんどくさい」ってのが「歳を取った」ことの証拠のような気がする。

生きていること自体がめんどくさい…。

一応それなりに元気なので、そういう横着なことが言えるのかもしれませんが。

 

今でもよく覚えていることのひとつに、フランスのTV番組にゲストとして呼ばれていた晩年のアベ・ピエールの様子。

その表情から、もうやることはやった、もう疲れた、ということが見て取れ、もうすぐ亡くなるんだ、と感じたのです。

 

人気の高いアベ=ピエール、Wikiの記事もすごく長い!

fr.wikipedia.org

Il affirmait : « J’ai passé ma vie à prier Dieu pour mourir jeune », et ajoutait : « Vous voyez, c’est raté ! ». L'abbé Pierre faisait également régulièrement allusion à sa mort en évoquant son départ en « grandes vacances ». 

若くして死ねるようにずっと神に祈ってきた、うまくいかなかったけどね、と言ったそうです。

そして、死と言うのは長いヴァカンスに出かけることだとよく言ってたと。

 

日本語の記事は短いのであっという間に読めちゃう。

ja.wikipedia.org

 

 

上述したように、私なんかが「生きるのがメンドウ」なんて口走るのは横着なんだろうな、という思いがあって、言い訳のように大学の講義を受けたりもしているのである。

 

「哲学と美術史」というのが、私が思っていたのとは異なっていた、と前の記事に記しました。

哲学と美術史に分かれているんですが、火曜日の哲学の最初の講義は歯医者のアポと重なり行けず。

2回目の週は講義自体が休講だったので、まだどんな感じかわからないのだけど、大学のサイトの自分のページに行くと、宿題と思われる視聴すべきビデオと読むべきテキストがアップされていました。

それを見ると、講義のテーマがTraduire(翻訳する)だということはわかる。

おお、これはまさしくここんとこずっと自分が気になっているテーマではないか、と感動しました。

(まだちゃんと視聴してないし、読んでないけど…苦笑)

 

なんで気になっているかというと、自分の≪ミュータント化»がほぼ終了したことを実感するから、です。

ニッポンを出て36年。

もうニッポン人ではなくなっていて、多分一番得意なニッポン語の言葉すら共有している気持ちになれないのです。

かといってヨーロッパ人でもないわけで。

(ベルギー生活が快適なのも、ここはミュータントがいっぱい住むところだからだと思っています。)

ここに骨をうずめるのなら、ここの言葉をちゃんと理解しないとなあ…、と思っているわけです。

 

哲学の先生はどんな人だろ、と思って検索すると、うちの長女クンとFBでつながっている人でありました。

哲学の先生であると同時にシタール演奏家でもある。

長女クンによると、2回目の講義が休講だったのはコンサート出演が理由だったそうです。

それにしてもなんと小さな国でしょう。

興味関心が共通していると、必ずと言っていいほどつながっているんですよね。

小さすぎる、とも言えるかもしれないけど、今のように世界中が大きな困難に直面している時は、「他人事ではない」ということが実感できるこの小ささは、私にはよいことに思えます。

 

 

 

今朝読んでいろいろ考えたり思い出したりした記事を貼ってオシマイにしよう。

 

www.vogue.co.jp

 

哲学者と限らず、たとえば作曲家についても同様ですよね。
 
それに今だって「大学」に研究者として残ると、同じような構造につぶされそうになっている「若者」がたくさんいると思う。
(たまたま昨日も、大学には残らないことを選んだ長女と同様の話をしたばかり)
 
 哲学科の学生に女の子がものすごく増えたと書かれているけど、これって女の子たちに選択肢が増えたという要因もあるだろうけど、「哲学」では就職できないから男の子たちが行かなくなった、というのもあるのではなかろうか。
 
私も大学では哲学科に入ったけど、新入生への先生の「お言葉」の出だしが「就職に役立たないと思ってください」だったのをはっきり覚えています。
私の時代は日本の経済に勢いがあったし、卒業した頃はバブルの時代に入りつつあったし、就職問題はなかったですけどね。
私自身は卒業後の就職の問題など、考えもしていなかったのですが。
 
美大の彫刻科だった友人が、当時彫刻科には女の子はふたりしかいなかった、でも純美の方は就職には不利なんで、今は女の子が圧倒的に多い、と言ってたのも思い出したり。
 
いろいろと考えさせられる記事でありました。