昨日はULB(Université Libre de Bruxelles =自由大学)のキャンパスにある建築物とモニュメントのガイドツアーに参加したので、そこで初めて知ったことを忘れないようにメモ。
大学がソルボッシュ・キャンパスに移ってきてから今年で100年なので、その記念行事でいろんなイヴェントがあり、その中のガイドツアーのうちのひとつがこれ。
参加無料。
お天気がよくて気温も15℃くらいだったんで、そのつもりの服装で出かけたら、陽がかげるとひゅーんと体感気温が下がるし、冷たい風が吹くしで、もうちょっと暖かいコートにすればよかったと少し後悔したのであった。
うちにいると陽当たりがよくて暖かいので、外のことがわからないですよねえ…。
さて、参加したツアーでのガイドの話の中で、「へえええ」と思った初めて知ったことのメモ。
1920年代にキャンパスが、万博で開発されインフラが整ったソルボッシュにレオポルド公園から移ってきたわけだけど、その前には現在のギャルリー・ラーヴェンシュタインのところにあった、というのは以前記しました ↓ 。
自由大学周辺の建築めぐり - ちびころおばァさん備忘録 (hatenablog.com)
そこが最初の場所だと思い込んでましたが、実は一番最初の場所は、シャルル・ドゥ・ロレーヌの宮殿だったそう。
これ、初めて知った。
で、次が上述の場所で、それはグランヴェル枢機卿の宮殿だった、というのも初めて知りました。
恥ずかしながら、かなり有名らしいグランヴェル枢機卿の名も初めて知った…。
ソルボッシュのキャンパスにOBが運んできたという古い校舎の柱、これが唯一残る16世紀のグランヴェル枢機卿の宮殿の柱。
これが古い校舎からOBが持ってきたってことはプレートで説明してあるんだけど、グランヴェルの名もその宮殿のことも記してないのよね。
こういうプレートは絶対読むので、もうちょっと詳しく記して欲しいものだ、と思ったことでした。
教会の話に触れたくなかったのかな?
第2次大戦のときレジスタント活動を行ったグループGについては、去年記しました ↓ 。
で、メヘレンからアウシュビッツへ出発する列車の動きを妨害するというレジスタント活動を行ったユラさんの話もやはり何回か記しました。
このユラさん、ULBの学生だったことは知ってましたが、グループGに関わっていたことは初めて知りました。
メヘレンからの列車を妨害することをグループGに提案したけれど、危険すぎるということで却下されたんだそうです。
グループGは、ものすごく細かくプランを立て、最小限の行動で最大の効果を生むことを是としていたようです。
例えば、わずか28か所の送電ポイントを破壊することで、国内の3分の1の工業生産をストップさせるのに成功した、とか。
もうひとつ、おおおっと思ったこと。
キャンパスの中心を通っている道の名は、アヴニュー・ポール・エジェールと言います。
で、このポール・エジェールさんの話になった際、シャーロット・ブロンテが恋した相手が、この方のお父さんであるコンスタンタン・エジェールだった、というのを初めて知りました。
ブロンテ姉妹はブリュッセルに縁が深い、特にシャーロットは住んでいた女子寮の管理者である男性に恋をした、というのは以前本で読んで知っていましたが、それが大学の通りの名前の方の父上だったことは初めて知った。
うちにあるその本を開いて見たら、ちゃんとエジェールという名前が出てましたわ。
恋してはいけない人に恋したわけで、サン・ミシェル大聖堂で告解していたそうです。
(それが、左の並びの手前からふたつめの場所をいつも使っていた、というところまでこの本には記してあった)
以上、備忘のため。