Close 観てきた   追記あり

ものすごく久しぶりに映画館へ足を運び(とはいえ、しばらく前にCINEMATEKでクロサワの隠し砦の三悪人は観たんだった、と思い出した)Close を観てきた。

何年ぶりだろう…5年ぶりくらいか?…と思い、この備忘のためのブログでチェックしたら、コロナ禍の規制の少し前、2020年2月に Jojo Rabbit を観に行ったことが判明。

 

コロナ禍をはさむと、時間の感覚がおかしくなるんですよね。

直前の出来事が全部ものすごく前のことのような気がする…。

これってどういうことなんだろう。

そこらへんの記憶のメカニズムを知りたいものだ。

 

 

Closeはホントは今日11月2日から公開なんだけど、うちから行きやすいマトンゲ(コンゴの人が一番集まって住んでいる地区)にある映画館 Vendome ではAvant-Premier(ニッポン語ではなんと訳すのか?とオンラインで訳を見たら プレビュー と出た) ということで、1日早く公開されました。

昨日は Toussaint 万聖節 で祭日だったけど、ものすごく天気がよかったんで、早い時間のセーアンスなら誰もいないだろ、と思って13時のをめざしました。

ところがどっこい、人が並んでたんですよねえ。

ガーンときましたが、この小さな映画館、でっかい今どきのシネコンに比べたら人力部分が多く(笑)、チケットも窓口で買わねばならないんで(しばらく前まではキャッシュでないといけなかったくらい)、どうしても時間がかかり人が並ぶことになるだけで、実際にはそれほど混んでるわけではありませんでしたが。

それにしても、人が並んでる、ということ自体がめずらしく、一緒に並んでた方と「びっくりしたね」と話したことでした。

並んでた人が皆 Close を見に来ていたわけではなく、半分は Holy Spider を観にきてたようでした。

 

入り口はこんな ↓ 感じ。

若者はこんな明るいうちは外で遊んでいるからでしょうね、並んでいるのは年寄りが多い。

 

 

思ったとおり、切なくて泣けた。

四季の色彩も美しかった。

だいたいこのくらいの年頃の子供たち、特に男の子は、それだけで美しくて切ないところに持ってきて…ですから。

 

前回貼った記事をもう一回貼っておく。

 

www.rtbf.be

 

 

映画については、よかった、おもしろかった、好きだった、かっこよかった、くらいのことしか表現できず、批評なんてとてもできないので、この記事 ↑ で彼が話していることを少し記しておこうかと思います。

 

まず、言語について。

この作品は仏・蘭語バイリンガル

キャスティングに際して、この繊細な役柄を考え広く募集したかったゆえに、オランダ語圏に限らず仏語圏も含めたそうで、それならいっそのことベルギーらしくバイリンガルで行こう、ということになったようです。

この作品のように、両言語で暮らす人たちはとても多い、なのに文化の面で言えばそれぞれの言語で分断されているんで、それをひとつにしたかった、と。

 

主人公のレオとレミは13歳。

ルーカスは以前、米国の学者による男の子たち150人に対する調査結果を見たことがあり、それによると、13歳の頃は表現していた男友だち間の「優しさ」「友情」「愛情」が、それ以上の年頃になるともう表現されなくなるんだそうです。

まわりの視線によって固定された男性性ゆえに、そういうものは自分の中に閉じ込めてしまうことになるんですね。

そこに自身の経験との一致を見た、と。

(学校では、男の子たちと一緒にいても、女の子たちと一緒にいても、どちらもしっくりいかず、自分の居場所はなかったと、別のインタビューで話していた)

ルーカス自身はダンサーになることを夢見ていたのだけど、彼の動きがフェミニンだということでまわりの者たちが居心地の悪さを見せ始めたことで、12歳でその夢を諦めることとなる。

(彼はよく彼のお母さんの話をします。辛い少年時代に彼を支えた大きな存在だったようです)

そのまま続けていたら映画は作っていなかったわけだけど、と付け加えていました。

ダンスというのが彼の中で今も大切なのは、やはり大きな話題となった彼の前作 Girl でもわかります。

今回も、シナリオを書く作業はまさしくコレグラフィーです、と言ってます。

そして、作品では沈黙とまなざしが語りかけてくる。

主人公の内側と外側のコントラスト、内側はセリフでは表せないから、それは「コレグラフィー」で、ということです。

 

この作品において、セクシュアリティは自分にとって重要なことではなかった、と言ってます。

 

レオとレミには、「さよなら子供たち」のふたり、ジュリアンとジャンでしたっけ、が重なります。

 

 

 

話はちょいと変わるのだけど、もうニッポンを離れて長いので、ニッポンでフツーに使われている言葉で何のことかわからないものがいっぱいあります。

ネットでいろいろ読めるようになってからずいぶんわかるようになりましたが。

ヤンキー、オフ会、イケメン、アラサー、ツンデレ中二病、などなど、上げていたらキリがないくらい。

で、腐女子ってのもそのひとつでした。

最近どこかで誰かが書いていた記事に、「今は腐女子と言われるけれど、昔は文学少女と言われていた」みたいな記述があり、おお、そういうことか、と思いました。

先日「東京リベンジャーズ」のドラケンくんが好きだ、と言ったら、「ヤンキーが好きなんですね」と指摘され、これも、おお、そういうことか、と思ってしまった。

 

って、ホントにどうでもいいことなんだけど(笑)、もし自分がもっと後で生まれてニッポンに暮らしていたら、オタクで腐女子でさらにはヤンキーと呼ばれるひとだったのかも、なんて思ったのである。

別にめだちたいってことは全くなかったけど、いつも他の人がしないことをしようとするところがあり(これもミーハーの一種なのよね)、父親に怒鳴られていたことなんかもついでに思い出してしまった。

 

 

 

さて、日曜日に時計の針を戻しましたから、もう夕方17時を過ぎると暗くなり始めるようになりました。

昨日映画館からの帰り道、うちの近くのイチョウ並木が実をいっぱいつけていました。



 

備忘として記事など。

www.liberation.fr

www.rtbf.be

 

Jean-Pierre Marielle, Françoise Fabian, Jean-Paul Belmondo, Pierre Vernier et Pierre Hatet, candidats aux concours du Conservatoire. à Paris, en 1954
Photo © Studio Lipnitzki / Roger-Viollet

 

 

 

追記・

今昼のラジオのニュースでルーカスが話してたことを付け加えておく。

レオを演じたエデンくん、ゲント行きの電車に乗り合わせて出会ったのだそう。

そのときエデンくんはガールフレンドと一緒で、目を輝かして自分が感動したことの話を彼女に話して聞かせていたのだそう。

その時の表情に魅せられ、話しかけようかどうか、迷った末に話しかけたことで、キャスティングの際に来てくれたのだと。

話しかけてよかった、と言ってました。

貼り付けた記事にカンヌで賞を取った時のインタビューの様子のヴィデオもあるけど、そこでエデンがルーカスを見ている様子も、ものすごく印象的だったんですよねえ。

敬意にみちている。

こういう人生にかかわる出会いって、それだけでドラマだわ。