日曜日、アノン邸の修復現場を見学してきたので、そのとき見聞きしたことを記しておきます。
今年ミュージアムとしてオープンすることは知っていたし、窓の修復が終わったことは外から見てわかっていたので、内部がほぼ終わったことでのご招待かな、と思ったのだけど、いやいや、内部は前に見た時よりもっとがっつり修復の真っ最中でした。
案内してくれたのは修復チームのひとり、若い建築家くんでした。
この状態だと今年オープンってムリでしょ、と思ったんだけど、とにかくオープンして、入場料の15~20%を更なる修復に充てつつ段階的に進めていき、最終的には2030年くらいに終了という計画だそうです。
今回はフォト撮影はNGでした。
前に入った時はフォトが撮れたんで、そのときの記事を再度貼っておきます。
↑ の記事で見ることができる、来客用のサロン、冬の庭、ダイニングルームなどには入ることができましたが、上の階には行けず、フレスコは修復のために布で覆われ、冬の庭もステンドグラスや壁は修復の真っ最中でありました。
一部の壁の内部の鉄筋まで見えていました。
フレスコについては、後に表面にニスが塗られてしまったためにとても難しいことになっている、という説明でした。
そのニスを取り除こうとすると、フレスコ自体を傷つけてしまうので。
↑ の記事には、ひとり娘さんがこの家を顧みなかったと書いていますが(そういう説明を受けたか、あるいは手持ちの本でそう読んだ)、彼女にとってはそこは父親の死の場所であったゆえにいっさい手をつけなかったのだ、と、今回は説明を受けました。
その後はスクワットされたり、内部のものを盗まれたり。
サロンの照明が今どきのスポットだったところがあったんですが、資料がなくてホントのことがわからない時は、想像でニセモノをつけることはせず、「不明」とはっきり示す方針なので、ということでした。
60年代末にこの家を手に入れた業者によって取り壊されそうになった時、この建築を行ったブランフォーの娘さんが、それを阻止するべく文化財として認可してもらう手続きをスタート、80年代初頭に文化財として認可されています。
文化財として認められた時点で、Hôtel Hannon と呼ばれ始めますが、この家の規模や作りは Hôtel と呼ぶカテゴリーに含むには小さすぎるということで、今はMaison Hannon と呼ぶそうです。
ちなみに、私の持ってる本は Hôtel Hannon というタイトルです。
ミュージアムとしてのオープンは6月1日の予定。
私が今まで入ったことのない庭から公開をスタートするつもりだそうです。
入場料を修復に充てるのなら、ミュージアムパスの魔法は効かないでしょうね。
とはいえ、徒歩3分と近いので、ときどき訪ねることになるでしょう。
修復を段階的に確認するのもおもしろいし。
今回は、フォトは外側から撮ったこの1枚だけ。
1時間毎に10人ずつくらいの規模で、という見学でしたから、予約できたのは全部で100人足らずだったと思います。
速攻で予約してよかった。
さて話は変わり、諸事情によりベルギー国籍取得日をニッポンの某役所に知らせる必要がありました。
ええええっ、そういう文書はどこに置いちゃった?(その後数回引っ越しをしてるし、離婚後の引っ越しでは全ての書類を持ち出したわけではないので) もしうちになかったらどこでゲットする? 裁判所の記録庫? 外務省? コミューン? とものすごく慌てましたが、思いのほかカンタンに我が家で発見。
私ってけっこうキチンとしてるのかも…と嬉しくなりました。笑
で、すっかり忘れていましたが、その文書で1999年6月にベルギー人になったことが判明したのである。