前回の記事から1週間ほど経過。
この間のことや、フォト、おおおっと思った記事などを忘れないようにメモしておく。
13日、モンスのガン専門医のアポ。
血液検査の結果も心配なし、ということでした。
いい医者で信頼しているのだけど、アポ当日まで、ストや天候の影響でちゃんと電車が動くか…などといったストレスがあるのと、彼のキャビネが公共の交通機関が使えないところに引っ越ししたことで、年に1回だけとはいえモンスに行くのをちょっと負担に感じ始めていた私です。
それで、ブリュッセルの専門医(少し専門性に違いがあるのだけど、この医者もガンに関してはとてもよいと評価が高いし、私も信頼している)だけに絞ることに決め、このアポが最後でありました。
何かあったらいつでも戻ってきてOKだから、と言ってくれました。
その用事が済んだ後、仕事を終えた友人と会い、グランプラスのカフェでお茶。
このエクセルシオールというカフェは、モンスの最も歴史あるカフェのひとつのはず。
モンスの鐘楼。
130年前から存在するカフェ。
13日の金曜日でしたから、こんなのをFB上で見かけました。笑
もし黒猫があなたの通り道を横切ったとしたら、それが意味するのは…その動物がどこかに出かけているってこと、グルーチョ・マルクスのジョーク。
ジェフ・ベックが亡くなりました。
全然知りませんでしたが、この方、≪アンガジェ≫の人だった。
もともと絵を描く方で、美術アカデミーで学んだそうで、女優になったのは偶々の巡りあわせだったとのこと。
この記事と一緒に、ファンファンつながりでこんな記事も見かけました。
ここ数日で、一番うおおっと気に入った記事はこれ。
もし好きな映画をひとつだけ選べと強要されたとしたら(笑)これ、トリュフォーのジュール&ジム(邦題 突然炎のごとく)だと思っている私、その中でジャンヌ・モローが歌う Le tourbillon の話です。
この歌詞について女性が女性に恋に落ちる内容だとの解釈があり、LGTBQIA+のサイトにある100曲ほどのリストの中の1曲でもある、という記事です。
↑ の記事で、ヴァネッサ・パラディ、アンジェルによるLe tourbillonと、そして映画の中でジャンヌ・モローが歌うLe tourbillonが聴けます。
昨日はワーテルローに住む友人がブリュッセルに出てきたんで一緒にランチ。
例のソーシャルレストランに行ったんですが、昨日のメニューは、スープとラザーニャとヨーグルトでありました。
ランチの後は、聖カトリーヌ教会傍のお気に入りのカフェでお茶、というか、泡。
ここ、建物を見るとアールデコの時代のものなんだけど、働いているのはみんな感じのいい若者なのである。
また視聴したいと思ったヴィデオ。
1997年のものですが、2051年まで視聴できると書いてあるんで、私自身は死ぬまで何回も観ることができるわ。
有名なこの絵 ↓ と、当時の自由芸術会の絵に描かれている人たちや描き込まれている美術作品についてのヴィデオ。
おもしろかったです。
これ ↑ はThéo van Ryssekbergheによる1903年の作品で、ヴェラーレンによるレクチャーというタイトルのもの。
こういった作品は、王立美術館や王立図書館が所有していて、もう何回も観たなじみ深いもので、それをこのドキュメンタリーのように見せてもらうと、本当にうれしくなります。
ヴェラーレンは詩人ですが、芸術の批評家としても知られています。
今探したら、Wikiに日本語もありました。
この頃の知識人たちって国境関係なく交流がありますよね。
「国境による移動の困難」は、今と同じか、それ以上に存在しなかったのだと思う。
大戦へと向かうナショナリズムは、まだそれほど深刻ではなかったのではないかな?
彼の作品を独語に訳したのは、親しかったステファン・ツヴァイクだったと、どこかで読んだ記憶あり。
くっつけた絵の中で、一番右に描かれているのがメーテルリンク。
ホントの音はマーテルリンクだけど、私が小さい頃ニッポンで覚えた音はメーテルリンクだった。
小6のとき、いわゆる「学芸会」でグループに分かれ出し物を決めた時、私のグループは演劇をやることになりました。
私が「青い鳥」と決め、私が脚本を書き、私が配役を決めたんです。
(振り返ってみて、なんと独断に充ちたイヤな子だったんだろう…と呆れてしまう本人である)
メーテルリンクはゲントの人。
ベルギーに暮らし始めて知り、おおお、縁があるわ(って、何の縁?)と思ったのである。
こういう縁(?)を感じたのは他にもあり、大学時代にドイツ語の授業で読まされたティル・オイレンシュピーゲルもそうです。
この授業は、私にはビックリするほど試験が難しくて、これはまずい、落とすかも…と先生のところにお参りに行ったので、ものすごく記憶に残っているのである。
その先生は福井大学から毎週金沢まで講義に来ていた方で、福井までお参りに行きました。
やはり不安だという同級生と二人で行ったんですが、先生のお部屋で日本酒までごちそうになり、試験も「可」で通してもらえたのであります。
(私と一緒に行った同級生は「優」だった…こやつはお参りは必要なかったんじゃないの?)
話が逸れてしまったけど、このティルは、ブルージュのそばにあるダムという小さな町の出身でここの教会に埋葬されたと16~17世紀の記述が残るそうで、そういう設定でシャルル・デコステールという19世紀の作家が小説を書いています。
ここにお墓もある。
そういうわけで、ティル・オイレンシュピーゲルにもベルギーで再会し、縁を感じたという次第。
ああ、もっといろいろ気になる記事やヴィデオがあったのだが、もうめんどくさくなってきてしまった。
いくつかフォトを貼ってオシマイにしよう。
かわいい。
子どもの笑い声まで聞こえてきそう。
これを見て、うちの3女が赤ちゃんの時のフォトを思い出したのである。
子ども3人連れてニッポンに行った時、姉のうちで湯上りの姉と3女。
Titanic survivors Marjorie and Charlotte Collyer in New York immediately following the sinking of the liner in 1912. [Colorized]
これも貼っておこう。