一昨日美術館に行ったことと、昨日がブリュッセルでのテロの日だったこと メモ (追記あり)

近いうちにまたアントワープ王立美術館に行こうと思っていて、今日...とも考えたのであるが、天気悪いし(時々陽も射すが、雨だけでなく風もある、3月だもんね…)来週にしようと決めました。

明日以降また来週半ばまで少しだけ忙しくなるし、外に出かける気持ちになれない今のうちに、一昨日と昨日のことをメモしておこうと思います。

 

 

一昨日、王立美術館に行ってきました。

前回は古典セクションを久々に訪ねたのだけど、今回は19世紀末セクションで久々にフェルナン・クノップフの作品を観る、というのがメインの目的。

 

世紀末セクションに向かう時、特別展示のセクションの近くを通るんだけど、マグリットの作品の展示の準備中でありました。

というのも、もうすぐマグリット美術館が照明の入れ替えその他で工事に入るので、その間は特別展示のスペースが使われることになり(マグリット美術館は王立美術館の各セクションのうち一番入場者が多いから、工事の間ずっと閉じるわけには絶対にいかないのだと思う)ので、先週からお引っ越ししています。

この間だけは鑑賞できませんが、31日からここで、ということになります。

9月にまたモトの場所に戻る予定。
工事の目的は節エネです。

世紀末セクションも4月3日から閉じられ工事に入るため、その一部が古典セクションの一画を使って展示されるのみ、となります。

未来のミュージアム」としての変化、ということらしい。
(ちなみに、王宮も同じ目的で窓や照明の工事にこの前突入しました)

 

 

 

クノップフ象徴主義の画家で、クリムトにも影響を与えた人です。

ウォーリュウェにあるストックレ邸(建築家はホフマン)の内装には、この二人が関わってます。

ストックレ邸については、ニッポン語Wikiにも記事があった。

ja.wikipedia.org

 

風景画を描いても、クノップフクノップフだなあ…、と思う。

ここは、けっこうたくさん彼の作品を所有します。

キリがないのでこのくらいにしておくが…。

この画家の作品のほとんどのモデルは、彼の妹マルグリットです。

あとこれね。

BL好き婆さんの推すクノップフ作品といえば、これか? 笑

この美少年は、ベルギーの4代目の王様、レオポルド3世。

 

 

当然ながら、他にもいろいろ見たのであるが、しばらく前に参加させてもらったベルギー研究会のイヴェント、図書館でのレクチャー関りで再確認した19世紀末から1900年代初頭の、この国における芸術関りのムーブメントに目が行ったのであった。

(我ながらわかりやすい脳みそ構造であることよ)

 

 ↓ 入場料が1フラン、それが日曜日には半額、というのがおもしろいと思った。

 

この ↓ Les 20 というムーヴメントが ↑ の La libre esthétique へと続いていった。

fr.wikipedia.org

 

メーテルリンクの戯曲に、スピリアールの挿絵。

 

 

これ、以前には展示してなかったと思う、初めて見て、いいな、と思った。

遠くへ種を蒔こうとしている人。

 

 

さらにはついでに、この前は行かなかった古典のいくつかの部屋にも行ったのである。

 

ヤン・ブリューゲル1世(左)と2世(右)

 

今回、へええええっと思った部屋がここ。

以前にはなかったスペース作りです。

ルーベンスによる黒人の頭部のエチュード、以前は別のところに展示されていた作品ですが、それがここに移され、現在の研究に関しての展示となっていました。

というのも、前にここに記した先の大戦時に不法に没収されたユダヤ人所有の作品についての研究同様、植民地主義時代の反省や、MeToo運動のようなマイノリティへの差別の反省といった視点に立った研究です。

こういう ↓ 冊子も用意されてました。

まだちゃんと読んではいませんが、ルーベンスの時代の考え方や、ルーベンス自身が書き記した記録などについても説明してありました。

彼はエチオピアに傾倒していて、その地の人たちの骨格その他に、ギリシャ神話の神々の姿を見ていたらしいです。

 

ちなみにこの黒人をモデルにした作品はいくつかあって、私も観たことがあります。

アントワープ在の黒人さんだった。

ルーベンス後のアントワープで一番売れっ子だったヨールダンスの作品にも、同じモデルが出てきます。

これ ↓ をクリックしたら見れます。

fine-arts-museum.be

 

 

 

昨日は2016年3月22日のテロから7年、記念式典が空港、EU地区、モーレンベークで式典が行われました。

朝のラジオのニュースでも、この事件の裁判をずっと追っているジャーナリストが話しをしていました。
去年の秋から裁判が始まっていて、しばらく前からテロに遭遇し生き残った人たちの証言が続いています。
彼らの共通する感情が「周りには亡くなった人がいるのにもかかわらず、自分が生き残ったことの罪悪感」だと言っていたのが、ものすごく印象的でした。

その例をいくつか挙げてましたが、中でも衝撃だったのは、食事ができなくなった生存者の女性の話。

彼女は爆発の少し前にカウンターでチェックインの手続きを済ませ、相方氏の手続きが済むまで、近くのベンチで用意してきたサンドイッチを食べていた。

そのとき爆発。

まるで映画か何かのシーンを見ているかのように、わけがわからないままサンドイッチを食べ続けたのだそうです。

そして「自分はそこでただ食べていた」という事実が強烈なトラウマになった…。

それ以来何も食べられなくなった彼女は、ずっと栄養補給は点滴等で、だそうです。

ユータナジーを申請しているけれど、まだ認められていないと言ってたと思います。

そういえば、精神的苦痛からユータナジーを申請した人は他にもいて、それが認められ亡くなった方がひとり、テロによる死者が一人増えたとも。

(追記・今思ったのだが、ユータナジーで亡くなった人一人、というのが彼女かもしれない。申請が受け入れられていない、というのが聞き間違いなのかも。)

 

去年の秋、裁判は、始まる始まると言いながら人権問題にひっかかり、なかなか始まりませんでした。

関係者がものすごく多いので普通の裁判所では狭すぎ、このために旧NATOの建物が整えられたのですが、その中で被疑者のボックスの作りが人権侵害ということで直さねばならなかったこと、加えて、被疑者たちが、会場に移送される際の扱いが人権侵害だということで、会場に来ることを拒否した、といった問題が起こりました。

 

被疑者たちに制裁をするのは移送に関わる人がやるべきことじゃないから、この問題は充分理解できるんだけど、私自身は、被害に遭った人たちの身に起こったことを思うと、犯人たち自身の気持ち・態度としてどうよ、とは感じていたのであります。

(弁護士たちの指示もあるんでしょうが…)

被害者たちの証言がスタートしてからは、被疑者による裁判の拒否、みたいなことがなくなりました...。

 

というわけで、「罪悪感」というのが昨日の朝から私の脳みそに貼りついた言葉なのだけど、そんな中、今朝FBで見つけて読んだ記事。

www.nhk.or.jp

私みたいなノーテンキなニンゲンでも、籠ってばかりいると罪悪感を感じることもあるくらいだから、ましてや…と思います。

この亡くなった方のお父さんの日記の「明るい家庭創り」というのにも心痛んだ。

まじめないいお父さんですよね...。

それだけに辛い。

うちの父親はクソみたいな人だったので、私たち子どもは家を1日でも早く出ることを考えていたのよねえ…なんてことも思ったり。

(小さい頃、声つつ抜けのむちゃくちゃ狭い我が家で、兄が寝言で「クソは?クソは?」と口走っているのを父親が聞いて「寝言でクソって...」と笑ってたことがあります。私は「それ、アンタのことだよ」と心で思っていたのである。そんなことまで思い出した。)

 

そういうわけで、美術館で見た立体。

私んちみたいだ、と思って撮ったのである。

 

 

最後に、昨日FB上で見て、きゃああああ、と思ったフォトを貼る。

Abandoned World という人(グループ?)がアップしていたものです。

めちゃ怖いけど、ものすごく想像力を刺激されます。

Found in an abandoned mansion.