空気を読まないベルギーの私


昨日は3女くんの16歳のお誕生日でしたが、みんなしてムチャクチャ忙しいこの頃、「気持ちだけで充分」というんで、ほんとうに気持ちだけのお祝いでオシマイ。

日曜日の母の日も、「気持ちもいらない」という私の思いをくんで、何もなし。

ほんとうに、こういう風に静かな日々を迎えることができるなんて、めでたいことではあるなあ。ああ、嬉しい。

うちのネコちゃんも昨日が誕生日なので、この日のために大事にとっておいたビオ缶を夕ご飯にあげたらば、お皿がピカピカになるくらいきれいにたいらげていました。
このビオのネコ・マンマ、去年の暮れだったか、パリのマイミクさんちでいただいたもの。
ふたつもいただいてしまい、ひとつは帰宅してすぐにネコちゃんにあげたんだけど、もうひとつは「お誕生日に」としまっていたのである。

ネコちゃんも我が家にやってきてもう6年。
ご本人(猫)も、自分が家族の一員であることにまったく疑いを抱いておらぬもよう、この全面的信頼感がかわいらしくてたまりません。


さて、今日のタイトル。

私は今まで生きてきて、「いじめられた」という経験がゼロ、何故かというと、一説には「えらそうにしているから」ということで、ふむ、そうか、とずっと思っていたんだけど、さっき藤原新也さんのブログで、講演の広告を読みながら、

http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20090402

ああ、そうか、私って「空気を読む」ということをしないんだわ、と気付いた次第。

もしずっとニッポンに暮らしていたら、もうちょっとは空気を読む人間になっていたのだろうか?

お気楽な仕事を6年やって、オンナであることの不便さも実感しないまま仕事を辞めたのでフェミニズムにもほとんど関心を持たず、いじめられることもなくニッポンを出て、空気読みなどしなくても生きていけるベルギー社会で長年生活、ということなんだなあ。
なんだか妙に納得してしまった。



6月7日に欧州議会の選挙と地方選挙が同時に実施されますが、欧州議会の候補である、以前のベルギー首相ヴェロシュタット氏が、ふたたび本を出版。
その折に出版記念の記者会見など行ったらしく、ル・スワールにヴィデオがあったので、そのアドレスなど貼り付けます。

http://video.belga.be/belgavideo2/player.htm;jsessionid=8D595E7253BFB67DE8D8B090595060A2?fileName=pxy_31004599_26939127360K_Stream.wmv&agency=LESOIR&page=1&tabId=

行き詰まり感のある世界を、危機から救うことができるのはヨーロッパだ、なんてことを言っているんですが、誰かが、「世界を救うなんてことを言うのは、アメリカや中国にまかせておけばいいのに」って批判していましたわ。


リズムなくした、なんて言いましたが、さっそくちょいと長い日記をアップ、さすがヒマ人だわ。(笑)